第63回 モトエ鉄工株式会社 広域商談会 ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金 事業再構築補助金 TONIO Web情報マガジン 富山

TOP > 中小企業ルネッサンス > 第63回 モトエ鉄工株式会社

企業活動には山あり谷あり。谷から脱却し、右肩上がりに導いた経営者のひと言には再起のヒントあり。

第63回 モトエ鉄工株式会社

絶えず技術の高度化に努め
メーカーからも一目置かれる企業に

設備導入と顧客開拓に努め、”お金を失わない鉄工所“
の経営を目指してきたモトエ鉄工の本江真祐美会長
(写真上)と同社の社屋(写真下)。

 「鉄工所の『鉄』という文字は“金を失う”と書きますね。本当にその通りで、金融機関から借り入れして設備を導入し、その返済が終わったと思ったら、また設備の更新のために借り入れる。これの繰り返しです。おまけに鉄工所は景気の良し悪しの影響をすぐに受けますから、本当に気の休まる時がありません」
 語るのは砺波市の太田工業団地に社屋を構えるモトエ鉄工(株)の本江真祐美会長。工作機械や産業機械、電子機械の大型部品の精密加工を得意とする会社だ。
 創業は昭和20年12月。戦渦のくすぶりがまだ至る所にあった時である。富山市にあった(株)本江機械製作所の八男(本江鐡造氏)が、再起を期して高岡市高陵町に本江鐡工所を構えたのが始まりという。人づてに聞いたところによると、本江機械製作所は従業員を数千人抱えた大所帯で、産業機械や鉄道車両などを製造。時節柄、軍関係の機械の製造や修理も行っていたようだ。それが昭和20年8月2日の富山大空襲で自宅は灰燼(かいじん)に帰し、工場も被害を受けたようだ。

最新鋭の機械をいち早く導入

同社社員の働く様子(写真上・下)。最近は工作機械を
扱うことを希望する女性の求職者も多いようで、工場
には他にも女性スタッフが機械を扱っていた。

 高岡で本江鐡工所(平成12年に改組し現社名に)を起こした鐡造氏(現社長の曽祖父)は娘婿(現社長の祖父、初代社長)に経営を任せた。鐡造氏は機械製作に詳しい上に、手先が器用であったことから技術関連の仕事に専念し、創業当初から紡績工場の機械のメンテナンスを依頼されるように。また後には「モトエのセーバー」の名で親しまれた形削盤(かたけずりばん/平面に溝をつくる工作機械の一種)を開発し、メーカーとして全国販売にも乗り出した。
 モトエのセーバーは5000台近く売れたヒット商品だったが、同社はある工作機械メーカーから熱望されて、その協力工場に(昭和53年)。モトエのセーバーの生産を徐々に少なくし、昭和62年にはメーカーから依頼された機械加工を専業にするようになったのだ。
 本江会長が振り返る。
 「今は当たり前ですが、確か昭和50年頃からコンピュータで工作機械を制御するようになりました。当時、私の夫がこの会社の専務を務めていて、いち早くそれを導入し、操作するエンジニアの育成にも努めました。富山県西部の鉄工所、産業機械関係の企業では、他社に先駆けて取り組んだようです。コンピュータ制御ですから加工は正確で速く、夕方の退社時にセットすると、翌朝には仕上がっているのです。もちろん日中もフルに稼働させていました。その結果『本江は仕事が正確で速い』と評判になり、従来にも増して仕事のオーダーが舞い込むようになったのです」
 受注量が増えた結果、工場は手狭になり拡張を検討するように。ただ、高陵町の工場周辺には一般の住宅が建ち並び始めたため、工業団地等への移転を検討し、昭和63年に現在地に移ったのだ。時あたかもバブル景気の最終局面。3年後にはその崩壊を迎えることになるが、「景気の悪い時の鉄工所は『忍』の一文字」(本江会長)と不況の嵐に耐えつつも、社長は営業に飛び回って靴底をすり減らしていたという。

広域商談会等で新規顧客開拓

東京・大阪・名古屋で開催している広域商談会には、
ほぼ毎回参加されている同社の本江克之社長(写真
上)と今年2月名古屋で開催された同商談会の様子。
「今年も名古屋で一社の新規開拓に結びついた」
とのこと。

 同社が、公的な産業支援制度を活用し始めたのは、「平成17年か18年頃ではないか」と本江会長は振り返る。当機構では東京、大阪、名古屋で毎年、「広域商談会」を開催し、大都市圏の企業と富山県企業とのマッチングの場を設けてきたが、モトエ鉄工は平成17年か18年頃からほぼ毎回参加。初期は本江会長(当時は社長)が、また途中からは本江克之社長(初期は営業担当役員として)が主に商談会に赴き、新規開拓に勤しんでいたという。
 そこでの出会いを機に、後に大口の取引先に育った企業に、京都のA社、千葉のB社、静岡のC社などがあるという。また(一社)富山県機電工業会の支援で隔年出展している『機械要素技術展』では、東京のD社、長野のE社との商談が成立したそうだ。
 ただそれ以上に、空振りだったケースも多々あった様子。編集子が取材等で出会った経営者の中には、「2〜3回の商談会・展示会の出展で成果がなければ、次からは止める」と語る方が結構多かったが、本江社長は空振りが続いても出展を継続してきたのだ。そのあたりをどう考えているかをうかがった。
 「私が商談会や展示会に出展し続けるのは、情報収集が目的です。同業の鉄工業界や客先の機械メーカーの業界動向などを知ることは、設備投資や会社の方向性を決める上で非常に役立ちます。そうした情報収集をした上で、新規の取引先の開拓も試みることができる。今までの経験から、『商談会や展示会に参加して損はない。そして得は必ず巡ってくる』と考えるようになりました」(本江社長)
 フォローの営業も、短兵急に結論を求めるのではなく、「成約までに1年かかることもある」と気長に構える。仮に第一印象があまり良くなくても、「見間違い、勘違いかもしれない」とコンタクトを取り続け、そこで信頼関係を築いて受注に結びつけるのだという。

助成金を活用し経営力向上に努めた

事業再構築補助金の採択を受けて導入した最新鋭の
門型5軸マシニングセンタ(写真上)と、ものづくり
補助金の支援を受けて導入した横型マシニングセンタ
BTD-200QH(写真下)。「モトエ鉄工の特徴の1つに、
横型の工作機械の扱いに長けているというのがありま
す」とは本江会長の弁。

 冒頭に設備導入のことについて触れた。工作機械は高額なため、導入にあたっては売上げの見通しや資金繰り等を加味しながら進めなければいけないが、商談会や展示会で新規の顧客開拓が順調に進み、より高性能な機械が必要になることも、よくあることだ。
 こうした場合、同社では、自己資金で設備導入を図る他に、国のものづくり補助金(ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金)や事業再構築補助金などを活用して最新鋭の工作機械の導入に努めてきた。平成16年、19年に、県内企業ではいち早く大型5面加工機を導入し(この時は自己資金)、短納期のニーズに答えてきた同社であるが、令和4年度には事業再構築補助金の採択を受けて門型5軸マシニングセンタを導入。精度の高度化とさらなる加工時間の短縮を図り、小ロット生産や試作品づくりなどのニーズに答えてきた。
 また令和元年には、平成29年度 補正予算ものづくり・商業・サービス経営力向上支援補助金(現:ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金)の支援を受けて横形のマシニングセンタBTD-200QHを導入。横形でも、精密で強力な切削能力を有することから、加工対象物の大型化、材質の多様化にも答えることができ、従前から導入していた横形マシニングセンタで培った技術を生かして、「横形加工のモトエ」の評判をますます高くしたのだ。
 新型コロナウイルス感染症が猛威をふるった4年間(令和2〜5年)、同社は当機構のコロナ対策補助金の採択を受けて、販促や加工精度の向上に努めた。令和2年度には富山県地域企業再起支援事業の支援を受けて、Web会議システムを導入。対面営業ができないところをこれで補った。翌年には富山県中小企業リバイバル補助金の助成のもと、5軸加工機の工具を導入し、収益率の改善を図った。また令和4年度には、富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金の採択を受けて、精密加工技術向上のために工具を導入し、その成果を紹介するためのリモート商談用のツールも作成。翌年度には同じくビヨンドコロナ補助金の助成を受けて、工場の照明のLED化による作業環境の改善と省エネに取り組んだ。
 「私が社長を引き継いだのは令和3年、日本中がコロナ禍で沈んでいる時でした。そのさなかでも、一部は中止されましたが、広域商談会が開催されたことはありがたいことです。私は帳簿はつけることができないし、工作機械をうまく操作するノウハウも持っていません」と本江社長は語り、「何もすることがなく暇だから、商談会や展示会に行き、フォローの営業をしているのです」と続けた。
 その語り口は、世に言う“承認欲求プンプン”とは真逆の、控えめな言い方だ。「それこそが中小企業の社長の仕事ではないですか」と返すと、口元に笑みがこぼれたのが印象的であった。

連絡先/モトエ鉄工株式会社
〒939-1315砺波市太田1888-2
TEL 0763-33-5002
FAX 0763-33-5435
URL https://www.motoe-tekkou.co.jp

作成日  2024/12/25

このページのトップに戻る

Copyright (C) 2005-2013 Toyama New Industry Organization.All Rights Reserved.