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企業活動には山あり谷あり。谷から脱却し、右肩上がりに導いた経営者のひと言には再起のヒントあり。

第59回 TSK株式会社

客先にとっても、社員にとっても
TSKな企業を目指す。その鍵は・・・

同社の高木亮太社長。先代社長の時に始まった改善
活動を、商品の品質向上やサービス改善に生かして
いる。ベトナム工場でも実施。

 「当社はKAIZEN活動によって、いくつもの困難・不景気を乗り越えてきました。コロナ禍の3年間には、事務職員が当社で扱っている包装材を利用してフェイスガードをつくることを企画し、試作を重ねました。ある程度形になった時、県内の病院でクラスターが発生したので寄贈すると、たいへん喜んでいただきました。それを商品化したところ短期間に1億円近い売り上げを立てることができたのです」
 こう語るのは富山市水橋の富山企業団地に本社を構えるTSK(株)の高木亮太社長。高木社長が語る同社のKAIZEN活動は19年前に始まったものだが、ある出来事がきっかけであった。
 今から20年前の平成15(2003)年のことだ。その3年前にITバブルが弾けて、物流業界にも不況の影が忍び寄ってきた。売り上げが徐々に低下する中で高木悦郎会長(当時社長、以下同)は危機感を抱いたそうだ。

「KAIZEN」の進め方も改善し、徹底した

富山企業団地に構えるTSKの本社(写真上)と、改善
活動により力を入れるために欧文表記の「KAIZEN」
のロゴマーク(写真下)を商標登録した。KAIZEN
活動が功を奏し、同社は19年連続して「グッド
パッケージング賞」を受賞し、また2018年度版、
2023年度版の『中小企業白書』に紹介された。

  「どうしたらいいのか!?」
 高木会長が思い悩んでいたある日、ひとりの部長が「地獄の特訓をやりますか」と提案してきたという。「地獄の特訓」・・・。確か、企業の管理者養成のための民間の人材育成機関で、厳しい規律と実践の中で自己の殻(自分が決めた限界)を破らせ、飛躍させるセミナーのようなものではなかったか。だいぶ前にテレビで見た、という記憶を頼りにネット検索をすると、お目当の項目がずらりと並んだ。
 高木社長によると、当時社内には、「リーゼントの髪型が崩れるから作業帽は被らない」「面倒くさいから作業靴のかかとは踏んだまま」という若い社員が数名いたそうだ。年長者は誰も注意せず、問題があっても見過ごすという社風が根づきつつあり、「このままでは不況の波にのみ込まれるのではないか」という不安があったようだ。
 それを同社流の「地獄の特訓」で改めようというのだ。まずは始業時の、ラジオ体操の徹底から始めた。誰か一人でも、背筋や手先を伸ばさずだらしなく体操していると、「もう1回最初から」とやり直させるように。ある日の朝には、5回やり直したそうだ。高木会長は強烈なリーダーシップ(ご本人は「強権」という)を発揮して、社風を改めようとしたのだ。
 ところが・・・。「親の気持ち子知らず」とでもいうのか。「地獄の特訓を始めて1年間で12名の退職者が出た」(高木社長)という。
 高木会長は再び考えた。“人は指図されて動くより、自分で考えて動いた方が楽しい。それが人間の本性だ”と。「当時よく読んでいた西堀栄三郎先生の本の影響も受けた」(高木社長)ようで、かつて何度か取り組んで長続きしなかった「改善提案」を見直し、本気で取り組むことにしたのだ。(西堀栄三郎/明治36(1903)年生まれ。京都大学助教授より東芝(当時)のエンジニアに転身。アインシュタイン博士来日の際、京都・奈良を案内。後に、第一次南極地域観測隊・越冬隊長として南極へ(1957年)。著書多数)
 高木会長は再チャレンジを機に、従前の「改善提案」を「KAIZEN実施報告」に改めた。「改善提案」が根づかなかったのは、いざ実行に移そうと思っても実現へのハードルが高かったり、時間がかかったりするものが多く、そのうちに「提案してもムダだ」と諦めてしまうことが多かったのではないかと分析。それを「KAIZEN実施報告」として、行ったKAIZEN活動を報告する形に変更したのだった。
 高木社長が、父・会長から受け継ぐ当時の様子を回想する。
 「地獄の特訓からボトムアップへ。会長も相当悩んだ末の、180度の方向転換だったようです。改善を報告型にしたことがよかったのか、ひとつの『KAIZEN』を行うことを通して、社員は達成感を感じるようになりました。1人毎月4件の「KAIZEN実施報告」は平成16年から実施されるようになり、以来、今日まで19年続いています」
 この「1人毎月4件」は、同社のコアビジネスの包装資材の生産や物流支援の担当部署のみならず、事務なども含めて全社を挙げて実施。「ゴミを拾った」「汚れた場所を掃除した」等も1件の「KAIZEN」として受けつけたところ、毎年2,000を超える事案が報告され、その一つひとつを社長が確認しているのだという。

「ビジョナリーカンパニーを目指す」と卒業文集に

同社の製袋(せいたい)ライン(写真2点とも)。創業の
ころの勢いはないが、袋の用途開発を進めたため
セメントの包装以外にも、数多くの産業の現場で
用いられている。

 この「KAIZEN実施報告」が始まった当時、高木社長はまだ高校生であった。
 「学生のころ、父が営む会社や事業について、あまり関心がありませんでした。ただ、父の書棚にビジネス経営の本がたくさんあるのを見て、中学の卒業文集に『ビジョナリーカンパニーをつくりたい』と書いたのを覚えています」(高木社長)
 と詰襟の学生服を着ていたころに思いを馳せるが、なんと早熟な中学生だったのか。ビジョナリーカンパニー・・・長期的な視点で商品・サービスを提供し、時代を超えて柔軟に生き続ける企業・・・それをつくりたいと“15の春”に考えていたとは。ただこれは、TSK4代の社長に受け継がれたDNAかとも思われる。
 80年を超える同社の社歴を俯瞰(ふかん)してみよう。
 創業は昭和14(1939)年。現社長の曽祖父が事業を起こした。従前は仕出し屋を営んでいたそうだが、兵役を経験した際、セメント袋の生産を知人から持ちかけられ、除隊を機に商売を変えたのだった。セメントは橋やダム、ビルなどの建築資材として注目され、のちには戦後の復興、高度成長の追い風も受けて需要はますます拡大。セメント袋の生産も並行して盛んになり、祖父(2代目社長)の代には工場を拡充して量産体制も整えた。さらには袋の用途開発に努め、樹脂素材や米を入れる袋としても販売するようになったのだ。
 ただこの勢いも、昭和50年ころになると徐々に鈍るように。ミキサー車が生コンを工事現場に運ぶようになり、セメント袋の需要が減り始めたのだ。高木会長(3代目社長)が入社したのは、昭和63(1988)年のことだが、このころには「紙袋だけでは会社はもたない」と2代目社長と若き日の高木会長は、商売のネタ探しに靴の底を擦り減らしたという。

「袋」に「緩衝材」、そして「物流ソリューション」へ

自動車部品通い箱でのKAIZEN例。部品メーカーでは
プラスチックコンテナに6個の部品を入れて次の工程に
送っていたが(写真上)、TSKが並べ方のKAIZEN
提案を行って8個入るようにした(写真下)。これにより
客先の物流コストは25%削減された。

 「そうしたある日、『電子機器などに用いる緩衝材の事業をやりませんか』と知人から声をかけていただいたのです。当時、日本のエレクトロニクス産業は世界的に注目され、北陸にはその関連企業・協力工場が多数ありました。祖父と父は、物流用のクラフト紙の製造販売に加え、電子機器輸送の際の緩衝材の製造販売も試み、仕事の間口を広げることを図ったのです。中でも最初に取り組んだのは、緩衝設計でした」(高木社長)
 「緩衝設計」。物流の専門用語であるが、わかりやすくいうとこうだ。例えば、電気店等でテレビを買ったとしよう。一般的には、メーカー出荷時の段ボール箱に入れて商品の引渡しが行われる。その際、箱の四隅等に緩衝材をかませ、外部からの衝撃が伝わるのを抑えるよう工夫がなされている。
 この時、緩衝材が大きく、段ボールとテレビの隙間が広いと、梱包は大きくなり、テレビが壊れるリスクは小さくなるが、包装材のコストは高くなる。また1箱の梱包が大きくなると、トラックに載る箱数は少なくなり、輸送費がアップするなどのデメリットも出てくる。そこで「緩衝設計」をするわけであるが、その意味するところは、箱(梱包)を小さくしつつも、緩衝材の素材・大きさ・形・かませ方などを工夫することで、商品が壊れるリスクを抑えようというのがそれだ。
 こうして緩衝設計のノウハウを蓄積していく中で、エレクトロニクス業界を中心に順調に顧客開拓を進めていったTSKであったが、元号が「昭和」から「平成」に代わるころから、日本のエレクトロニクス企業は生産拠点を海外に移し始め、国内の緩衝包装のニーズは激減。同社は、新たな販路開拓に取り組まなければならなくなったのだ。
 「そのころ会長は、ある企業の担当者から『包装資材はものが届いたら破棄するから、タダでもいいのでは』と冗談交じりにいわれたそうです。その言葉に会長は相当ショックを受けたようですが、包装は物流の一要素に過ぎないことに気づいたようです。そこで荷姿そのものを改善することにより物流を合理化し、コストの低減も図ることができるのではないかと考えたのです」(高木社長)
 ここに冒頭に紹介した、同社のKAIZEN文化が結びついたのだ。同社のホームページをご覧いただくと、荷物の積み替えをしなくてもよい搬送支援機材など、物流を最適化するアイデア商品が満載され、さらには客先工場の調達から生産・出荷までの、ものの流れのソリューションに取り組むことにより、コスト削減や生産性向上などが実現できた例が多数紹介されているので、ぜひともご覧いただきたいところだ。

精密機器大手にアプローチ

ベトナムの工場(写真上)と従業員の皆さん(写真下)。
高木社長はTSK入社2年目に、ベトナムに拠点を構える
ために赴任した。

 同社のKAIZEN文化は、ビジョナリーカンパニーへの道を後押ししているようだが、当機構でも高木会長、高木社長の夢の実現に少しばかりお手伝いさせていただいた。その始まりは平成22(2010)年、高木会長が「販路開拓マッチングコーディネート事業」に申し込まれて、当機構のマネージャーと販路開拓に取り組まれたことだ。大手商社OBのマネージャーは、現役時代に培った人脈と顧客開拓のノウハウを駆使して、ある精密機器大手(A社)への道を切り開いたのだった。
 「さすが日本を代表する精密機器メーカーだけあって、A社が求める包装や物流のクオリティは極めて高いものでした。それも『今年はこのレベルでOK』でも、来年はより高いものが求められるのです。そこで役立ったのが、当社のKAIZEN活動でした。A社の包装・物流上の課題に対して、当社から改善案を提示させていただく。この繰り返しの中で梱包技術、物流ソリューションのノウハウを高めさせていただき、今では大口のお客様となっています」(高木社長)
 高木社長がTSKに入社したのは、A社へのアプローチを開始した翌年のことだ。その2年後の平成25年には、ベトナムに生産拠点を設けるためにハノイに赴任。悪戦苦闘の末、包装材の生産が順調にでき、また経営が安定するようになった平成30年に帰国したのである。
 「KAIZEN実施報告」は、ベトナム工場でも導入した。その初期には「品質基準を守る」という意識は定着せず、「このくらいは大丈夫だろう」と不良品を見逃すことが多かったそうだ。それを「客先からクレームが入るたびに詳しく説明し、なぜ品質基準を守らなければいけないかを繰り返し教育した」(高木社長)のだそうだ。その結果、「KAIZEN」に対する意識は徐々に定着。高木社長の帰国前には、担いで2階へ引き上げていた荷物を、現地従業員自らがリフトの設計・施工を行い、作業の改善を自分たちで行うまでになったという。

積み替えを不要にする「トラパレ」

「富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金」(令和4年度)
の採択を受けて制作された「トラパレ」のホームページ
(写真上)と、「とやま中小企業チャレンジファンド事業
 販路開拓挑戦応援事業」(令和4年度)の助成を受け
て、「トラパレ」のPRのために出展した「国際物流展
2022」の同社のブースの様子(写真下)。

 そして高木社長が帰国して1年余りが経過した時、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい始めた。経済活動にも影響が出、物流業界では売上が2割減、3割減が当たり前に。フェイスガードの案件が出たのはまさにそういう時であったが、売り上げ確保の一方で業務の合理化も求められた。
 同社では、「富山県中小企業リバイバル補助金」(令和3年度)の採択を受けて、「RPAツール導入による定型業務の自動化」に着手。事務仕事の中の、単純なパソコン業務を自動化・半自動化するツールRPA(Robotic Process Automation)を導入することで、業務の効率化を図ったのである。
 「RPAツールのアシロボを令和3年6月に導入しました。その結果、これまでの2年余りで、約116万円分のコストダウンを図ることができ、この先もさらなる効果を期待することができます」と高木社長はパソコン上のデータを示しながらその成果を明らかにした。
 続いては翌年の「富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金」の助成を受けて進められた、「トラパレ」を紹介するための専用サイトの制作と、「とやま中小企業チャレンジファンド事業 販路開拓挑戦応援事業」を活用しての、「トラパレ」PRのための展示会出展だ。
 「トラパレ」はもともとは、県内のある自動車部品メーカーのB社が考案したもの。荷物を積んだドーリー台車4台をトラパレの枠に納めて、フォークリフトで4台まとめてトラックに乗せる。そして配送先に着いたら、フォークリフトでまとめてトラックから下ろし、トラパレの枠から外してドーリー台車を生産ラインのそばに運ぶ。パレットへの積み替え作業をなくして体への負担を軽減させ、また作業時間を短縮させるスグレモノであるが、B社が試作した時点では一部に改良の余地があったようだ。

広域商談会でも新規開拓を試みる

令和4年に実施された広域商談会(東京会場)の様子。
TSKは初参加ながらも3社とマッチングし、取材の時点
も商談継続中であった。

 それをB社は、「おたくは物流が専門で改善が得意だから、これをブラッシュアップして商品化し、一緒に販売しよう」とTSKに持ち込んできたのだ。
 高木社長がトラパレの改良に取り組んだ日々を振り返る。
 「試作品のブラッシュアップについてはなんとか形にできましたが、宣伝用のツールは、なかなかわかりやすいものがつくれません。『台車ごとトラックに乗せる』といってもトラパレの構造や機構はチラシなどの限られた紙面では表現しにくいことから、使い方を紹介した簡単な動画をホームページ上にアップしてみたのです」
 反応はすぐにあった。その動画をみた日本を代表する自動車部品メーカーのC社が、「うちで用いているカートの仕様に合わせて、トラパレの設計をアレンジして欲しい」と連絡してきたのだ。この問い合わせに好感触を得た高木社長。ビヨンドコロナ補助金の助成を受けて、トラパレの専用サイトを開設するとともに、その機構や使い方が理解しやすいYouTube用の動画も制作し直した。さらには、販路開拓挑戦応援事業の採択を受けて「国際物流展2022」に出展。これらのPRが功を奏して、この取材の時点までに多数の問い合わせがあり、うち6社については問い合わせ先の台車の形状に合わせてトラパレの設計をアレンジし、試作品の制作を進めながら商談も続けているという。
 また同社は、当機構が開催している広域商談会に令和4年に初めて参加(東京会場)。その際、3社とマッチングし、いずれの企業とも商談は続いているそうだ。 

     *      *      *

 今年、創業84年を迎えた同社。富山製袋(せいたい)株式会社としてスタートした同社は、高木会長が社長に就任してから5年後の平成10年に、とっても(T)すてきな(S)会社(K)を目指して「ティ・エス・ケイ」と社名を変え、令和元年には世界での活動も視野に入れてTSK株式会社と欧文表記するようにした。
 現高木社長が会長から事業を承継したのは令和4年5月のこと。社長就任時の抱負を尋ねると「会社には変えてはいけないことと、柔軟に対処して変えてもいいことがあると思います。当社の場合、変えてはいけないことは『KAIZEN文化』です。この先これを大事にし、さらに深めていきたい」と力強い答えを返していただいたところで、取材を終えた。

  • 販路開拓マッチングコーディネート事業について
      (この事業は中小企業大都市圏販路開拓支援事業に引き継がれています)
  • 富山県中小企業リバイバル補助金について(この事業は終了しています)
  • 富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金について(この事業は終了しています)
  • 販路開拓挑戦応援事業について(令和5年度の募集は終了しました)
  • 広域商談会について

連絡先/TSK株式会社
〒939-3548 富山市三郷9
TEL 076-478-5550
FAX 076-479-9051
URL https://tsk-corp.jp

トラパレ専用サイト
https://kaizen.tsk-corp.jp/lp_trapalle/

 

作成日  2023/08/29

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