TOP > 中小企業ルネッサンス > 第54回 有限会社松本魚問屋
調理技術・保存技術を駆使して
「ひみ寒ぶり」のさらなるブランド化を
松本魚問屋本社(写真上)と同社で新商品開発を
担当する山下貴民氏(写真下)。山下氏は大学で
フランス語を学んだ後で調理師免許を取得し、渡仏。
現地のレストランで副料理長を務めた後で帰国し、
のちにフレンチの技術を生かして同社で商品開発に
取り組む。
「『寒鰤と言ったら富山県氷見市の松本魚問屋』と、日本中の鰤ファンにいわれるようになる。これが当社の当面の目標です」
そう語るのは(有)松本魚問屋の山下貴民氏。氏はフランス・ビアリッツ市にあるパラス(宮殿)の格付けを持つ「Hotel du palais」のレストランで修業した後、パリ・セーヌ川のサン・ルイ島の星付きレストラン「le sergent recruteur」で副料理長を経験した腕利きの料理人。縁あって平成29年から同社直営の飲食店「かねまつ食堂」を監修しながら、氷見産を中心とした新鮮な魚介類を利用しての商品開発も試みている御仁だ。
その山下氏が続ける。
「平成23年の東日本大震災の後、魚の流通が変わったようです。東北の太平洋沿岸から房総半島にかけては震災の影響で漁ができなくなり、魚を扱う商社などは日本海側の漁港に商材を求めてきました。その際、当社も商社の依頼で鮮魚の出荷を始めましたが、のちには国内のみならず海外にも輸出するようになりました。従来は国内の魚市場への出荷のみを仕事にしていましたが、この時の経験からビジネスの視野を広く持つようになったのです」
同社が開発した「ぶりの生ハム」(写真上)と
「ぶりジャーキー」(写真下)。コロナ禍で
旅行客が少なくなっているにも関わらず、
土産物店で人気だという。
松本魚問屋に入社する2年ほど前。知人の紹介で同社の経営幹部に会った山下氏は、「鰤を加工してハムやジャーキーをつくることができないか」と相談を持ちかけられ、「できる」と回答。外部スタッフのような形でその試作に取り組み、当機構の「地域資源ファンド事業」(平成28年度)の支援を受けたのを機に商品化を目指し、ほぼ同時期に入社したのであった。
なぜ鰤を、ハムやジャーキーにしようと思ったのか?その理由は、BtoCに関心があったからだ。商社と縁ができたことを背景に輸出も手がけるようになった同社では、さらに国内の個人客に向けても商売したいと思うように。そこでブランド化が進みつつある地元の鰤に着目し、それを商材にしたプランを模索したのであった。ただ鰤丸ごと1本は、一般の消費者はさばくことができないし、仮にさばけたとしても一般家庭では大きすぎるため、加工食品に思い至ったという。その加工食品も、和風の加工では地元の海産物加工業者と競合する恐れがあるため、洋風の加工食品に絞ったのだ。
「それも少しアッパーな客層を狙い、中・高級品の仕立てにしました。そうすることで、土産物品の中で他社商品と一緒に並べられても差別化が図れると思ったのです」(山下氏)
できあがったのは鰤の生ハムとジャーキー。山下氏のフランス仕込みの技術が活かされた秀作だ。本格的な販売を前に、シンガポールでの日本のシーフードショーや東京ビッグサイトのジャパンフードショーなどに出展して生ハムとジャーキーを紹介すると、いずれも会場では「おいしい」と好評を得るのだが、フォローの営業では商談はなかなかまとまらなかった様子。そこでネット上での直販と地元の土産物店などでの販売に切り替えると売れ始め、駅の売店や道の駅、高速道路のサービスエリアなどでは人気商品の1つになりつつあるという。
今回開発した冷凍技術と〆方により、
従来にも増して新鮮な状態で提供できるようになった
同社の「ひみ寒ぶりしゃぶ」。
鰤の生ハム等に挑戦した平成28年より、同社ではその他のBtoC向け商品を次々と開発。のちにオープンした「松本魚問屋高岡山町店」では、日々の食卓のおかず用にそれらを買い求めることができる他、お土産・ギフト・お取り寄せ用に販売し、また「かねまつ食堂」(ともに高岡市小馬出町の山町筋)ではそれらを用いた料理が楽しめるように。令和元年には、当機構の「とやま中小企業チャレンジファンド事業」の支援を受けて、鰤の新しい冷蔵法の開発とそれを利用した熟成鰤の開発、および鰤の新しい冷凍法の開発とそれを利用した鰤の刺し盛の開発に乗り出し、商品ラインナップの充実に乗り出した。
「鰤を熟成するというと、富山県の方、特に氷見の方々は疑問に思われるでしょう。キトキトが一番、と。しかしながら調理科学の点からいうと、食材にはそれぞれ旨みの成分があり、収獲直後がその成分が高いとは限りません。肉の熟成については皆さんご存知でしょうが魚も同様であり、和食、フレンチ、中華と料理のジャンルは違っても、旨みを活かす考え方は共通しています。そこで当社では新世紀産業機構の支援を得、特殊な冷蔵技術、独特な冷凍方法を持つ2社の協力を仰ぎ、このテーマに取り組んだのです」(山下氏)
編集子も“キトキト教信者の1人”であるため、山下氏のコメントはにわかには信じ難い。しかしその話を聞きながら、サツマイモやジャガイモは収穫から1年間、ある一定の温度・湿度の下で管理して追熟すると、旨みが増しておいしくなるという記事を読んだことを思い出し、「さもありなん」とうなずいた次第だ。
ここで開発した鰤の冷蔵技術、鰤の冷凍方法について、その詳細は明かせないが、その保存法が可能なのは氷見沖の鰤の漁場と氷見漁港が近く、氷水の中で仮死状態の鰤を入手しているからこそできること。鰤を生き〆していることもポイントの1つであるらしい。
「熟成させた鰤は、地元ではなかなか受け入れられませんが、県外の方々には大人気です。特にコロナの影響でここ2年ほどは旅行を控える傾向にあり、取り寄せて氷見の寒鰤を食べる、という方がとても多いようです」(山下氏)
取材の後で、同社のホームページの通販コーナーをのぞいてみた。鰤の刺身や鰤しゃぶは、ほとんどが「売り切れ」。この取材時点(令和3年12月中旬)で、氷見漁港の鰤の水揚げ量は例年に比べて少なく、それも「売り切れ」の一因とみられるが、大都市圏からのお取り寄せのオーダーが急増しているのが一番の要因のようだ。
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氷見漁港の鰤セリの様子。
「平成30年海面漁業生産統計調査」によると、
鰤の漁獲量(水揚量)は、天然物99,600tに対して
養殖物は138,900t。養殖物は年々増える傾向にあり、
天然物で生き〆された同社の鰤は付加価値がより
高まると期待されている。
さてここまで寒鰤の本場・氷見市での松本魚問屋の意欲的とも、異色ともいえる取り組みについて紹介してきた。漁師の担い手不足や不安定な漁獲量など、「ひみ寒ぶり」を取り巻く環境には厳しいものがあるが、同社のようなチャレンジは「ひみ寒ぶり」のさらなるブランド化につながるのではないか。
ちなみに氷見産鰤を全国区ブランドに押し上げた先駆者の1人に、加賀藩初代藩主の前田利家公(1538〜1599年)が挙げられるだろう。当時、京都伏見にいた利家公は、“氷見鰤17本を送るように”と「塩鰤上納申付け状」(1595年)にしたためて、400年前すでに産直便を利用。豊臣秀吉に塩鰤を献上したという話も伝わっている。
松本魚問屋の試みは、後世にどのように伝えられるのだろうか・・・。
連絡先/有限会社松本魚問屋
〒935-0014 氷見市地蔵町7-53
TEL 0766-74-2300 FAX 0766-74-0550
URL https://matsumoto-uodonya.co.jp
作成日 2022/02/01