第80回 菓子屋Chemin(シュマン)  ワクワクチャレンジ創業支援事業 TONIO Web情報マガジン 富山

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第80回 菓子屋Chemin(シュマン)

郊外の集落で始めた洋菓子店に

市外・県外からもお客さんが!

高校1年生の時、パティシエとして自分のお店を
持つことを意識し始めた村上美沙さん。独立まで
3つのお店で経験をつんだ。

 二上山(高岡市)から稲葉山(小矢部市)に連なる丘陵の裾野を走る県道32号(小矢部伏木港線)。その稲葉山への登り口のそばに、「菓子屋Chemin」はある。周囲には数十軒の集落と田んぼが広がり、取材で訪れた9月上旬には稲穗は金色に輝き、その向こうにアウトレットが佇んでいた。
 「菓子屋Chemin」は、令和3年10月に村上美沙さんが開いた洋菓子店。Cheminは「道」を意味するフランス語で、武道・茶道・華道のように、菓子職人としての道をきわめようと命名したのか・・・と思いきや、独立前に働いていた喫茶店「roji」(ロジ:路地)での洋菓子づくりの経験を活かすため、また「roji」との関係性を込めて「Chemin」にしたようだ。(編注:「roji」は令和6年に入って閉店しました)

「常勤の先生が多い学校がいい!」

頂上付近に風力発電の装置がある稲葉山の遠景(写
真上)。そのふもとの集落、稲葉山への上り口付近に
「菓子屋Chemin」はある。写真下はお店の正面。創業
当初は定休日(ケーキ、焼き菓子の仕込みに充ててい
た)は週2日にしていたが、早めに売り切れとなるため、
定休日(仕込み日)を3日(月・火・水)にし、つくる量を
増やした。それでも閉店(19:00)の数時間前に売り
切れになる日があるという。

 村上さんは高校生の頃までは、福祉関係の仕事(介護福祉士など)に就きたいと思っていたという。高校のクラスでは女子生徒が多く、手づくりのおやつを持ち寄って、昼食時などに楽しんでいたそうだ。それまで村上さんは、ケーキやクッキーをつくったことはなかったが、「いつもいただくばかりでは申し訳ない」と一念発起。手づくりクッキーを持っていくと、クラスメートから「おいしい」と絶賛されたのだ。その時、将来の夢が福祉関係からパティシエへとハンドルが切られ、大阪の製菓専門学校への進学を希望するようになったのだ。
 「製菓専門学校の中には、先生の大半が非常勤という学校があります。そのような学校ではこちらが疑問に感じたことはすぐには聞けず、先生の次の出勤日まで待たなければいけません。そこで私は、進路を決めるにあたっては常勤の先生が多い学校がいいと思い、大阪の専門学校を志望するようになったのです」(村上さん)
 その時からクラスメートや先生方は、「いずれ村上さんは自分のお店を持つ」と期待し、応援するように。専門学校を卒業し、富山県内の洋菓子店や喫茶店でパティシエとして働くと、旧友や恩師がお店に訪ねてきて「その日が来ることを楽しみにしているから」と背中を押し続けてくれたそうだ。
 パティシエへとハンドルを切った時から、村上さんはお菓子の食べ歩きを始めた。富山県内の洋菓子店はもとより、金沢などの隣県へも。大阪に進学してからは関西の洋菓子店にも触手を伸ばし、レシピや素材の活かし方の研究に勤しんだ。
 村上さんが、独立を胸に秘めていた時代を振り返る。
 「中でも射水市小杉のA店のケーキはピカイチでした。富山県で1番おいしいケーキ屋さんと言ってもいいくらい。他の県でも、あんなにおいしいケーキはなかなか出合えません。オーナーの菓子づくりの姿勢も素晴らしく、専門学校卒業後はそこで修業させていただくことにしました」
 ただそこで、村上さんは頑張り過ぎたのだった。

郊外の実家前での出店を決意

同店のショーケースに並ぶショートケーキなどの生菓
子(写真上・下)。基本材料の卵は、地元の米を餌と
している地元の養鶏業者から仕入れているため、すっ
きりとした味に仕上がっている。

 休日返上でレシピやつくり方の研究に取り組んだため、過労から体調不良に。医師からはしばらくの静養を勧められ、1年2カ月で退職せざるを得なくなったのだ。
 続いて勤めたのはチェーン展開している洋菓子店である。そのお店では、本部の工場から調理済みの菓子が冷凍状態で届き、それを解凍して販売。販売店ではカスタードクリームなどをつくって添えるだけ。業務はすべてマニュアル化され、パティシエとして腕を振るう場面はほとんどなかったものの、少ない人数で現場を回すノウハウを学んだという。
 そして独立前の勤務先が、前出の喫茶店「roji」だ。村上さんは最初、そのオーナーに請われてケーキを卸すだけだったが、おいしいと評判になったことから、同店で本格的にケーキや焼き菓子を製造販売することを、オーナーが提案してきたのだ。それを受けてパティシエとして働き始めた村上さん。専門学校や小杉のA店で学んだことをベースに、ケーキや菓子づくりに工夫を凝らすようになったのだ。
 「rojiで8年ほど働き、私が30歳を迎えようとしていた時のことです。オーナーから『30歳はひとつの節目だ。独立して自分のお店を持ちたいのなら、今がチャンスではないか』と背中を押されたのです」(村上さん)
 その話があったのは、令和2年2月である。富山県内で新型コロナウイルスが猛威を振るい始める2カ月ほど前だ。自宅(実家)前にある車庫をリノベーションして、厨房と販売コーナーに改装することを試みるも、設計と工事に手間取ってお店ができ上がったのは翌年8月のこと。厨房機器やショーケースを入れ、「菓子屋Chemin」の看板を掲げたのはその2カ月後のことであった。

商店街、ロードサイドでなくても…

ショーケースの向かい側には、クッキー等の焼き菓子
も並ぶ。ケーキとともに甘味のつけ方が絶妙で(主に
キビ砂糖を使うらしい)、甘いものが苦手な方でも砂
糖のくどさを感じることなく食することができると思わ
れる。

 ここで、「なぜ郊外の集落の一角で、お店を開いたのか。一般的には商店街や交通量の多いロードサイドでの出店を希望するのではないか」と尋ねると、村上さんからは以下のような答えが返ってきた。
 「それは以前の出店計画の考え方でしょう。商店街やロードサイドでの出店では固定費が多くなるばかりです。それを賄うためにはある程度の量をつくって、販売しないといけません。私は製造・販売のオペーレーションを1人で回すことを考えていました。1人でできる範囲のお店づくりを企画して、今のスタイルになったのです」と語り、疑問符をたくさん頭に貼り付けている編集子の様子を見て、「こんなところにお店を構えて、集客は大丈夫かというお顔をされていますが、SNSが発達した今の時代、十分に集客が可能です」と続けた。
 もちろん「roji」のファンも着いてきてくれたし、小矢部市外や金沢など県外からのアウトレットへの来店客が「ナビを見ていたら、アウトレットのそばに飲食店のマークが出たので来てみました」と訪ねてくる人も多いという。
 「経営健全化のために工夫していることは他にもあるのでは?」と尋ねると、村上さんは小矢部市内のイベントの確認について答えてくれた。いわく・・・。
 「例えば学習発表会などの行事は、市内の小学校はだいたい同じ日にします。そういう日は保護者の皆さんは学校にいる時間が長くなります。また学校でバザーが行われて、菓子類が販売されたりもします。そうするとわざわざケーキを買いに出かける可能性は低くなるのです。こういうふうにイベントによる人の動きを考慮して、ケーキや焼き菓子をつくる個数を調整して廃棄率を少なくするようにしています」

                   *    *    *

このお客様も喫茶店「roji」の時代からの村上さんのケ
ーキのファン。こうしたファンが友人・知人に「菓子屋
Chemin」を紹介したため、創業当初は連日、早い時間
に売り切れとなった。

 この秋で「菓子屋Chemin」は3周年を迎えた。決算はいずれの年度も黒字で、村上さんの給料も「きちんと出ている」そうだ。
 ちなみに当機構は「ワクワクチャレンジ創業支援事業」(令和3年度)を通じてお店の船出を応援し、店舗の改装費などを助成。経営状況の確認を定期的に行っているところだが、集落でも洋菓子店を営むことは可能なことを示す好事例として注目しているところだ。

連 絡 先 :菓子屋Chemin

所 在 地 :〒932-0021 小矢部市田川3570

従 業 員 :0名

TEL/FAX 0766-54-5521

Instagram: https://www.instagram.com/kashiya_chemin/

作成日  2024/9/24

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