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企業活動には山あり谷あり。谷から脱却し、右肩上がりに導いた経営者のひと言には再起のヒントあり。

第60回 株式会社 林インターナショナル

「中国と日本の架け橋に」と起業
石材・食材の販売から精密部品製造、人材派遣まで

1996(平成8)年に富山市で起業した林広麗社長。
日中間のビジネスを中心に総合商社を目指している。

 さて今回の物語の主人公は林インターナショナルの社長・林広麗(リン・コウレイ)さん。中国遼寧省瀋陽市生まれの林社長は、大学で教員をしていた父親の影響を受けて、中学生の頃から英語や哲学、歴史なども学ぶように。後にはフランス語や日本語の学習にも触手をのばし、英語は通訳を務めることができるほど上達した。
 来日のきっかけは、瀋陽市が企画した日本への留学生派遣事業に応募し、選抜されたこと。当初の計画では1989年(平成元年)年末に出発予定であったが、その年の6月4日に発生したロクヨン事件(日本では「天安門事件」という)の影響で手続きが遅れ、翌年11月に来日して東京の日本語学校に入学したのである。

瀋陽から東京、富山へ、そして起業

「中国と日本の架け橋」をイメージにつくられた同社の
ホームページ(トップページ)。
食材・雑貨事業、石材事業、金型事業、LED事業、
人材派遣事業、自動機装置事業、特定技能外国人
支援事業などが紹介されている。

 ところが大学の頃から日本語の勉強を始めていた林社長にとって、授業は簡単すぎて満足のできるものではなかった。そこで遼寧省−富山県の職員交流で、遼寧省に派遣されていた知人の紹介で富山大学の教員と面談。翌'91(平成3)年4月からは同大人文学部の研究生として学び、さらには留学生としての入学試験に合格して'92(平成4)年4月からは富山大学経済学部で経済・経営を基礎から学んだのだ。
 林社長が学生時代を振り返る。
 「中国で学んでいた時は、英米の思想と文化に関心があって英文科に進んだのですが、富山で学ぶうちに経済・経営に関心を持ち、いずれは自分で事業を起こしたいと思うようになりました。それも、中国と日本の橋渡しになるようなビジネスがしたかったのです」
 その橋渡し役は、経済学部1年生の時にさっそく訪れた。遼寧省と富山県との交流イベントで通訳を務め、後には県の農業技術センター('08(平成20)年、富山県農林水産総合技術センターに改組)や工業技術センター('18(平成30)年、富山県産業技術研究開発センターに改組)の職員が中国の研究者・技術者と交流する際の通訳も担当。また4年次には浴室用機器の製造販売を目的に、日中の合弁会社が設立されるのをサポートし、卒業後はある大手アパレルメーカーの関連会社で働き、中国での工場建設に向けての準備に携わるなど、橋渡し役の経験を重ねたのだ。
 ところが後に、このアパレルメーカーの中国進出計画は白紙に。東南アジアの別の国での生産へと計画が変更されてしまった。そのため“いずれは中国工場の責任者に”と雇用されていた林さんは活躍の場を失い、「これを機に自分の会社を持とう」と、'96(平成8)年に林インターナショナルを設立(当初は有限会社)。富山市大島の住宅街で一軒家を借り、1階を店舗兼事務所として中国から美術工芸品や家具、雑貨、食品、健康食品、衣類、石材などを輸入して販売し始めたのだった。

人的ネットワークが功を奏して

林インターナショナルが扱っている墓石(写真上)や
建築用の石材の施工例(写真上から2点目)、
しいたけなどの乾燥食材(写真上から3点目)、
ますの寿司に使用する笹(写真下)の例。消費材は
事業者向けに卸す他、個人向けにも販売している。

 なぜ、美術工芸品や家具、雑貨、食品・・・だったのか。またなぜ、市場規模の大きい東京や大阪などの大都市周辺での起業ではなく、富山だったのか。そのあたりを林社長に尋ねると、以下のような答えが返ってきた。
 「美術工芸品や家具、雑貨、食品・・・等を主に取り扱ったのは仕入れが容易で、小ロットで混載のコンテナに乗せやすかったからです。また大都市周辺ではなく富山を起業の地として選んだのは、自然や町の雰囲気が私の故郷の瀋陽に似ていて、落ち着いて生活ができそうだったのと、知人のネットワークが富山を中心にできつつあったからです」
 このネットワークが創業の初期から功を奏した。墓苑の開発を行う業者、公園や駅前などの環境整備を行う事業者との出会いを縁に、石材事業は墓石や石柱・石板などの建築資材の販売へと発展(後に施工も行うように)。また大量に仕入れた干し椎茸は、知人を介して食品メーカーへと販路が開け、後には冷凍食品メーカーや弁当屋などにも卸しはじめ、その取引きは今日も続いているという。
 '98(平成10)年10月には、中国南方航空により大連−富山間に定期便が開設された。通訳などでその就航をサポートした林社長は、「これを機に、富山と中国の経済交流は盛んになる」と見込んで、ソフトウエア開発とエンジニアを中心とした人材派遣を行うための拠点づくりの準備を進めると同時に、大連日聯信息技術有限公司を設立('06(平成18)年)。地元ばかりでなく日本からのソフトウエア開発やホームページ制作の受注に努め、また日本企業のニーズに応えて人材派遣の事業にも乗り出したのだ。そして'08(平成20)年には金型の設計・製造、金属精密加工品の製造などを行う金型事業を、'09(平成21)年には事業所の水銀灯や蛍光灯をLEDに交換するLED事業を、'17(平成29)年には生産ラインで用いる自動省力機械の設計・製造・組立を行う自動機装置事業を開始し、業容を少しずつ拡大してきた。時あたかもバブル崩壊から失われた10年、20年・・・と続く低迷期。この間、リーマンショック('08年)、東日本大震災('11(平成23)年)などが出来(しゅったい)して不景気に追い打ちをかけたが、同社は'11年を除いて毎年黒字決算に。'11年の赤字は、売り上げが伸び悩む中で創立15周年記念事業(ある歌手を招いてのコンサート)を行い、その費用が思いのほか嵩んだことによるもので、翌年には再び健全経営に戻り、先のコロナ禍の3年間も「厳しいなりに善戦して黒字を維持した」(林社長)そうだ。

展示会・商談会で販路開拓

当機構が東京、大阪、名古屋で毎年開催している
広域商談会。富山県内企業の技術や製品に関心の
ある企業に参加を呼びかけているため、不特定
多数の来場者のある大規模な展示会より
マッチングの可能性が高いと言われている。
(写真上は平成29年名古屋、写真下は
令和4年東京での商談会の様子)

 あと3年で創立30周年を迎える同社。事業領域を増やしながら、今日まで順調に営業を続けてきた背景には、林社長や営業スタッフのたゆまぬ努力があるのはもちろんであるが、当機構では販路開拓等で少しばかりお手伝いをさせていただいた。その一つは、当機構が富山県と共同して2年毎に開催してきた「NEAR(北東アジア経済交流EXPO)」や、それが発展した「富山県ものづくり総合見本市」への出展を通しての販路開拓支援であり、もう一つは当機構が東京、大阪、名古屋等で毎年開催している広域商談会への参加を通しての新規取引先の開拓支援だ。林インターナショナルでは、同社もしくは大連日聯信息技術有限公司を窓口として双方の事業にほぼ毎回出展・参加し、成果を出してきたという。林社長がその効果を語る。
 「当社の本拠地が、富山にあることは中国の企業には知られています。そこでNEARやものづくり博で来日したついでに、日本でのビジネス展開に当たっての支援を求めてくる企業が結構多く、展示会への出展はそのニーズに応えるという意味合いもありました」とその意義をまとめた。また広域商談会については「大都市周辺のマッチングする可能性のあるメーカー等に参加を呼びかけていますから、不特定多数が来場する大きなビジネスショーよりは成約率が高く、事実、当社では毎年1〜2社の新規取引先の開拓に成功しています」と評し、近年新たに顧客に加わった企業として7社の社名を挙げ、機械の精密部品の製造や金型製作などを受注していることを明らかにしてくれた。

日本の高齢者福祉施設を中国で!

技能実習生やエンジニアなどの中国人派遣人材向け
に、日本語と外国人向けの専門技術資格取得支援等
の場にもなっている。在日中国人の子ども向けに、
中国語を教えるコースもある。

 コロナ禍の3年間も林社長の事業欲は衰えなかった。
 外出の自粛や対面での商談・打合せが控えられる中で、取引先や本社−支店間などのコミュニケーション不足からくる売り上げの低迷を防ぐために同社では、富山県中小企業リバイバル補助金('21(令和3)年)の採択を受けて高機能性会議効率化システムを導入。従前のオンライン会議システムでは伝わりにくかった、サンプル商品や図面を見ながらの意見交換も、対面での打ち合わせに近いものにクオリティーを上げ、企業活動の停滞を防いだのだった。
 また'22(令和4)年には、富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金の採択を受けて、中国や東南アジアから派遣されるエンジニアや技能実習生向けの日本語教室で用いるオンライン授業用にノートパソコンを導入。同教室の現状は、一種の塾のような形で運営されており、「県内在住の実習生及び特定技能生と企業をマッチングできる日本語教育と技能教育に取り組んでいます。また、在日中国人の子どもたちに、中国語を教えることも試みています」(林社長)という。
 最後に林社長に、「今後取り組んでみたい事業分野はありますか」と尋ねると次のような答えが返ってきた。
 「日本の老人ホームやデイサービスなど、高齢者向けの福祉サービスのノウハウを習得して、中国で展開できないかと考えています。中国の高齢化も急速に進んでいて、そういうサービスの必要性が説かれていますが、なかなか進んでいません。ハードの建設はすぐにできるでしょうが、ソフトの整備はなかなか難しい。そのための人材育成も課題です。中国での高齢者福祉施設の展開がひとつの夢ですが、これがうまく行くと、日本の福祉人材の不足解消のお役に立てるのではないかとも思っています」
 林社長は、日中間に架け橋を何本架けるのだろうか。

連絡先/株式会社林インターナショナル
〒930-0834富山市問屋町1-2-52
TEL 076-451-0088
FAX 076-451-0097
URL https://www.lin-international.co.jp

作成日 2024/01/25

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