TOP > オーダーメイドの企業支援 > 第71回 株式会社ジャパンビジュアルサポート
街のカメラ屋の生き残り戦略
「撮影する」をコアに展開すると・・・
ウエディングの記念撮影の依頼件数を急速に伸ばしている
ジャパンビジュアルサポートの宮﨑太郎社長。「ウエディ
ングの撮影でもっとも大切なのは、花嫁さんに選択肢をた
くさんご提案し、喜んでいただくこと」だという。
かつては、商店街に1店か2店は必ずといっていいほどあった街のカメラ屋さん。カメラやフィルムの販売、現像・プリントの受け付けを行うお店として商店街に溶け込んでいた。ところが、デジタルカメラの普及によってその多くが暖簾(のれん)を下ろしてきた。全国展開している大手カメラチェーン店も、時代の変化に抗しきれずに店舗を集約したり、業態を一部変えたりして生き残りを図っている。
今回お話をうかがった(株)ジャパンビジュアルサポートは、元は上市町でカメラ屋を営んでいた。そのお店、二十数年前にはオリジナルデザインのテンプレートを多数揃えて、プリントショップの多店舗展開に着手。大手スーパーやショッピングセンターの中に小さなお店を構えて、プリント市場が少なくなる中でも健闘したのだった。
「それは父の時代のことです。フィルムを使っての撮影が徐々に減り、デジタルカメラで撮影してもプリントしない方が増えてきました。そこで父は、通常のプリントに加え、年賀状や結婚・子どもの誕生などの家族の慶事をお知らせするハガキに写真を活用することに乗り出し、他店の追随を許さないほどの多数のオリジナルデザインのテンプレートを用意して、プリント市場を掘り起こしました。富山県内を中心に、一時は石川県にも食指を動かし、二十数店舗展開した時もあります」
語るのは令和2年に、同社の事業を引き継いだ宮﨑太郎氏だ。父親であり、前社長でもある宮﨑一郎氏は、後にプリントショップ事業を整理・撤退し、一時は写真館事業に専念。その後、ドローンによる撮影事業を新たに起こして分社化し、ジャパンビジュアルサポートの経営は息子である太郎氏に託したのだった。
同社の百日(写真上)、一歳(写真下)の記念撮影の例。
写真館の事業は平成12(2000)年秋に始めた。高岡の駅南にイオンモールが出店するのを機に、その店内に「スタジオアミ」を構えて子ども専用の写真館としてスタート(後に店名を「フォトスタジオde」に変更)。百日、1歳の誕生、入園・入学、七五三など、子どもの成長に合わせて記念写真を撮ることを事業化したのだ。スタジオアミでは、約300着の衣装や多数の小道具を用意し、スタジオ脇の小部屋では着替えやヘアメイクもできるように。従来からある街の写真館にとっては、脅威的な存在であった。
スタジオアミでの撮影件数は順調に伸び、平成20年にはスタジオアミ魚津インター店をオープン。その3年後にはファボーレ店(こちらは子どもの記念撮影に加え、後にウエディングの需要にも応じた)も構え、県内3店舗で写真館事業を展開し、先代社長はここで培ったノウハウを全国に販売することを試みたのだ。
「今日の言葉でいうとメーリングシステムですが、当時、その初期的なシステムを父は独自に開発し、顧客の携帯電話に画像付きの『撮影しませんか』のDMを送って、多くの受注を得ていました。その頃、写真館事業は全国でも盛んになりつつあったので、父はそのシステムを販売しようとしたのです」(宮﨑社長)
前社長は、当機構の「中小企業販路開拓総合助成事業」(平成24年)の採択を受けて、東京ビッグサイトで開催された「ブライダル産業フェア」へ出展。「マイプロムービー」と名付けられた結婚式場向けのメーリングシステムの販売に努めたのだった。当時の記録を見ると、展示会での「マイプロムービー」の成約件数は7件。結婚式場関係者より美容院の方々に注目されたそうだが、いわゆるメーリングシステムが発展してくるにつれて、需要はなくなったそうだ。
同社の七五三(写真上)、成人式(写真下)の撮影の例。
「マイプロムービー」が注目された一方で、同社には深刻な経営課題が浮上しつつあった。それは順次閉店してきたプリントショップの償却や退店に伴う現状復帰費用などがかさみ、経営を圧迫するようになったのだ。この苦境を打開するために、同社では当機構の「専門家派遣事業」(平成25年)を活用して中小企業診断士の指導を受けることに。派遣された専門家は、好調な写真館事業、経営を圧迫する債務と厳しいキャッシュフローなどを整理して経営改善計画を立てるとともに、金融機関への要請事項もまとめ、経営健全化への道標を示したのであった。
この指導が功を奏し、苦境からの解放を徐々に感じ始めた平成28年、前社長はドローンを使っての撮影事業に乗り出した。土木や建設分野での空撮、インフラ確認・点検での空撮、農業支援のための空撮(農薬散布や生育状況の確認)、CMなど広報宣伝用の空撮などドローンを用いての撮影サービスが注目を集めつつあったことから、いち早くそれを事業化。また、ドローン操縦者の養成スクール(富山県内初、国土交通省の認定取得)やドローンの販売・メンテナンスも始めたのであった。
ここで前社長は、ドローンビジネスをジャパンビジュアルサポートから切り離すことを模索。「撮影」というコアになる部分は写真館ビジネスと共通するが、かたや結婚や子どもの成長を記念に撮る仕事、こなた各種産業の現場で点検や確認のための撮影事業、フィールドがまったく異なるため二足の草鞋を履くことは難しかったようだ。
そこで同社では分社化したのちの、ドローンビジネスのさらなる拡大を図るため、「専門家派遣事業」を活用し、中小企業診断士の助言を受けながら中期経営計画を策定。あわせて国の「ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金」にも申請したのだった。
宮﨑社長が振り返る。
「私自身はドローン事業にはほとんどタッチしていませんが、父は農業団体と連携してドローンによる農薬散布を普及させ、それ以前まで主流だったヘリコプターによる農薬散布に取って代わったようです。また、ある企業と連携し、大型社会インフラの点検や建設資材の運搬にドローンを活用することを模索し、重い構造物を山越えで運ぶことの実証実験なども行い、事業化に結びつけていました」
同社のブライダル(スタジオ)の記念写真の撮影例(写真
上)。写真下は「富山県地域企業再起支援事業」の採択を
受けて作成された同社のホームページ。
こうしてドローンビジネスを分社化し、前社長がその経営の舵取りをすることとし、息子の太郎氏がジャパンビジュアルサポートを引き継ぐ準備をしていた矢先、横浜港に接岸したクルーズ船で新種のウイルス感染が注目され(令和2年2月)、国内にも瞬く間に広がった。この間、同社では、コロナ禍に臆することなく4月に社長交代を実施。数年前から写真館事業を実際に運営し、人材採用などにも当たってきた太郎氏が、名実ともに同社運営の手綱を握ることになった。
この新しい船出を祝う間もなく、未曾有の危機が襲来した。ご記憶の方も多いと思うが、その4月に「緊急事態宣言」が発出され、外出の抑制や在宅ワークが奨励された。おかげでショッピングセンターや商店街では人出がなくなり、開店休業のお店が続出したのだった。
「ちょうどその頃、ファボーレ店でウエディングの記念撮影を試験的に始めたのですが、子どもの撮影も含めてオーダーのない月が続きました。同様の宣言や外出抑制の要請は、その後も度々出ましたが、そういう中で、外でのウエディングの撮影依頼が徐々に増え始め、のちにはこれをメインにするようになったのです」(宮﨑社長)
コロナ禍対策として宮﨑社長は、当機構の「富山県地域企業再起支援事業」(令和2年度)を活用して、同社のホームページをリニューアル。紙のDMによる広報・宣伝に加えてwebを使っての受注戦略にも取り組み始めた。また、令和4年度には、「富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金」の採択を受けて、屋外でのウエディング用撮影(動画含む)の技術の向上と販路開拓用のツールの作成に取り組んだ。
これらの取組が功を奏してか、ウエディングのロケーション撮影のオーダーは令和4年時点で約70件まで増え、のちにはウエディング撮影の中で屋外を希望されるカップルが7割近くにまで伸びたのだ。
宮﨑社長に、あるカップルのウエディングの記念写真を見せていただいた。富山湾のどこからしいが、きれいな砂浜の向こうに波が打ち寄せている。砂浜には海草の切れ端や漂着したゴミなどが1つも落ちていない。「撮影前にスタッフが掃除したのか」と尋ねると、「ロケーション撮影が多くなってから、スタッフは県内をくまなく歩いて、ゴミのない海岸を見つけるなど下準備を重ねてきました。こうしたことが口コミで広まって、受注拡大に結びついているのだと思います」と返してきた。
ホームページの他にLINEにより、同社の撮影のヘアカタ
ログや人気ポーズ、オススメの屋外ロケ地、衣装、撮影料金
などが確認できるようになっている。
ウエディングの撮影依頼が増えてくると、子どもの記念撮影も並行して行っているファボーレ店では、スタジオの利用などが重なる事態が起こるように。そこで宮﨑社長は、ウエディング専門のスタジオを構えることも検討するようになったのだ。
こうして事業が拡大し、忙しくなってくると浮上するのが、雇用や働き方の問題だ。同社には女性の従業員が多く、結婚・出産・育児などによる離職やキャリアの中断が課題となる。具体的には、大型ショッピングセンターに出店していることから土日祝日や年末年始の勤務が必要など、休暇の取り方やシフト勤務の組み方などが課題になっていた。また、ワークライフバランスや育児休業の制度づくりも急務であった。
宮﨑社長は「専門家派遣事業」(令和6年度)を活用し、今度は社会保険労務士の指導を仰ぐことに。就業規則を抜本的に見直し、働きやすい職場環境づくりに乗り出し、それを進めながらウエディング専門店の開設も進め、新たなスタッフの雇用も進めたのだ。
「うちの職場では、ママさんであることが最大の利点です。子育てを通して子どもの扱いには慣れていますし、若いカップルへのアプローチも、男性スタッフよりソフトで受けがいいです」(宮﨑社長)
令和6年9月にオープンしたスタジオ「オース&アワーズ」(富山市小泉町)では、すでに年間160件のウエディングの撮影依頼を受け付け、2年目の今は200件に迫る勢いだという。
ジャパンビジュアルサポートは、街の写真屋にとっては厳しい経営環境を、「撮影する」ことをコアに事業を水平展開し、生き残りを図ってきた。そのビジネスのヒントをどのように見出しているのかを尋ねると、宮﨑社長は次のように答えて取材を締めくくった。
「父は青年会議所に所属していろんな勉強会に参加し、人脈を広げ、そうした中で得た情報に触発されていたのだと思います。私はweb関係の団体に入って、その勉強会に参加しています。また、AIを用いてビジネスのネタ探しもします。当社のPCには業界のことや業務ノウハウを学習させてあるのですが、今年の正月を迎えるにあたって『福袋の中身は何がいいか。案を10個作って……』と問いかけました。すると10分程度で答を出してくれました。その中で私がいいなと思ったものをアレンジして福袋をつくったところ、600万円の売上を達成することができました。AIに事業のアイデアを出させるのもこれから1つの手段になるかもしれません」
所在地/富山市小泉町44
代表者/宮﨑 太郎
資本金/1000万円
従業員/21名(パート等含)
事 業/フォトスタジオの運営
T E L/076-482-5554
F A X/076-482-6534
U R L/https://www.photostudio-be.jp
作成日 2026/03/24
