TOP > オーダーメイドの企業支援 > 第57回 合同会社新村こうじみそ商店
古くても新しい糀屋、味噌屋へと進化
タレントから転身した5代目の試み
同店の主力商品のひとつの「手づくりこうじ純白」。
のれんをあしらったロゴマークは、当機構の専門家
派遣事業を活用しての指導を受ける中で企画された
(写真上)。写真下は、同店のみなさん。中央は
5代目の新村弘之代表。向かって右隣は、4代目の
新村義孝さん。
両親の働く背中を見て、いずれ家業の糀屋、味噌屋を継ぎたいと思っていた新村弘之さん。「特に母が身を粉にして働く姿は、子どもの私が見ても胸が熱くなるほどで、『大きくなったら僕が働いて、母を楽にしてあげたい』と思っていた」という。
小学生の頃は、放課後や土日には家業のお手伝いをする、孝行息子だった。
ところが長じるにつれ、弘之少年は大きな夢を持つように。歌手としてスポットライトを浴び、ファンに夢を届けたいと思うようになったのだ。ただ、夢はそう簡単には実現しない。高校3年生の進路を決める際には、両親にも先生にも反対され、地元の食品会社に就職。そこで頑張った。
でも諦め切れなかった。夢はますます大きく膨らみ、両親を説得して20歳の時に上京。タレント事務所に所属し、レッスンを受けるなどして夢を叶える準備に入った。23〜24歳の頃には「国民的アイドルグループ」といわれたSMAPをはじめとするメジャーなグループのサポートシンガーを務め、メンバーの代役としてリハーサルの舞台に立つことも。取材の日には、あるメンバーの代わりにSMAPの中で歌う新村さんの映像も見せていただいた。
「父とは、25歳までにデビューできなかったら、富山に帰る約束をしていました。サポートシンガーというのはデビュー待ちの状態で、私はもうすぐ芽が出そうだったので、5年のばして30歳までチャレンジの機会をもらいました。その5年のうちに役者として舞台に立つ経験もしましたが、メジャーデビューの機会はついにつかむことができず、約束どおり富山にUターンすることにしたのです」(新村社長)
帰ってきたのは平成18年12月半ばのこと。年が明けると新村さんは30歳を迎えるのだが、その直前に、家業を継ぐことを前提に働き始めたのだった。
糀室で糀の発酵具合を確認する様子(写真上)。
ちなみに「こうじ」を表す漢字には「糀」と「麹」が
あるが、前者は米100%のこうじ、後者は米、
大豆、麦など穀類全般を材料にしたこうじを指す。
写真下は同店の季節商品の「かぶら寿司」。発酵
により糀が上品な砂糖のように甘くなり、かぶと
鰤の旨味を包んでいた。
さっそく工場に配属された。かぶら寿司づくりが最盛期を迎えていたため、そのラインに入って毎日深夜まで鰤の切り身をかぶに挟んだ。
Uターンして働き始めた頃を回想し、新村社長が語る。
「私がタレント活動をしていた時は、優しい言葉をかけて応援してくれる父でした。ところが私が家業に就くとたいへん厳しく、ドラマなどで見る職人の親方が弟子を指導する有り様そのもの。当店は明治30年創業で父は4代目でしたが、私に糀や味噌づくりのノウハウを伝え、5代目として家業を継がせようと必死だったのだと思います」
熱くなりすぎて、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられたこともあったという。こうしたことが重なるうちに、コミュニケーションがとりにくい状況に。そこに事業継続についての認識の差が明らかになることも加わって、溝は深くなる一方であった。
「平成23年に全国的に塩糀ブームが起こり、当店もその恩恵に与かって売上げが伸びました。塩糀人気は今も続いていますが、いつまでも続くとは限りません。従来の当店の主力商品は、糀、味噌、甘酒のほかに季節商品のかぶら寿司。塩糀は、じり貧であった当店の売上げに喝を入れる形になりましたが、いずれ私が5代目となり、そこで生活の糧を得て家族を養い、10年、20年とお店を続けて6代目にバトンタッチするには、今のままではいけないと、漠然と思うようになりました。ところが父は、従来のやり方を変えようとはしません。溝が深まる一因はそこにあったのですが、お互いに歩み寄ることはありませんでした」(新村社長)
工場で糀づくり、味噌づくりに励む一方、8年前からは営業も一部担当するようになり視野が広がってきた新村さん。「5代目」を意識し始め、何か手を打とうと具体的に模索し始めたのは、翌年の平成25年のことだ。
まず考えたのは、「発酵」もしくは「経営」について専門的に学ぶこと。働きながら学ぼうと、通信教育課程を有する大学を調べたところ、「発酵」について詳しく研究する大学はあったものの、そこには通信教育課程はなかった。目を転じて「経営」を講じる通信教育課程のある大学を探すと、実践的に学べると評判の大学が浮上し、仕事との両立のための準備を経て平成27年4月に入学。途中仕事が忙しくて休学することもあったが、令和元年9月に卒業したのだった。
また大学入学の半年ほど前には、富山市商工会議所の紹介を経て、当機構の富山県よろず支援拠点を訪問。経営観が異なる2人の折り合いのつけ方をはじめ、10年先、20年先をにらんでの糀屋、味噌屋の方向性などについて相談したのだ。
「働くことに誇りを持ってもらえる職場にしたい」
という一念から社屋を一新(写真上)。本年秋に
オープンした。写真下は新店舗での5代目の
新村弘之代表と奥さんの美恵子さん。
「この頃から私は、6代目、7代目への事業承継は、本人が『ぜひ継がせてください』というような事業所に変えていこうと思うようになりました。また当店で働くことについても、従業員が親戚や友人知人に『新村こうじみそ商店で働いている』と胸を張っていえるような会社にしたい、と。大学で学ぶことも、よろず支援拠点で相談に乗っていただくことも、事業所の改善を目指しての第一歩でした」(新村社長)
その成果を生かそうと、卒業して間もない令和元年9月に、新村さんは代表の交代を4代目に提案。「父には『国の事業承継の助成制度を活用して、代替わりをサポートしてもらおう』と進言したのですが、今までの見解の相違がどこにいったのかわからないほどスムーズに事が運んだ」(新村社長)そうだ。そして経営の見える化、近代化を図るために、当機構の「専門家派遣事業」を活用して経営コンサルタントを招聘(しょうへい)。経営管理が正確にできるように各種帳簿のつけ方の指導を受けたほか、働き方改革が進む社会情勢も踏まえた上での就業規則の整備改善などについてもアドバイスを受けたのだ。
その過程で、ホームページのリニューアルについても相談することになった。新村社長が振り返る。
「実は私は、ある企業のホームページが気に入っていて、その制作者に私の思いを伝えた上で、当店の特徴を伝えるホームページをつくってもらいたいとかねがね思っていたのですが、どこの制作会社かわかりませんでした。ところが専門家は『その制作会社を知っている』というのです。そこでぜひ紹介してほしいとお願いし、自社のホームページに寄せる私の思いの丈を語る機会をつくっていただきました」
そして専門家の勧めで当機構の「とやま中小企業チャレンジファンド事業 小さな元気企業応援事業」の採択を受けて、ホームページのリニューアルに着手。そしてお店のロゴの一新やブランド戦略についてのアドバイスを専門家、webデザイナーの両方から得、それらを元にパッケージデザインのリニューアルにも話を進めるなど、2つの支援メニューの活用を通して「新村こうじみそ商店」のビジネスの進め方の一新も図ったのだ。
リニューアルした同店のホームページのトップ
ページ(写真上)。味噌の手づくり感が伝わる
ところから、売上増に貢献している様子。
写真下は、年間80回以上開催している手づくり
味噌の講習会の様子。毎回20〜30名の方が
参加され、最近は若い方も増えているという。
リニューアルされたホームページがアップされたのは令和2年3月下旬のこと。ちょうど新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた頃だ。
「皆さん外出を控えるようになったため、店頭販売が減り、ネット経由のご注文が多くなりました。ネット経由の売り上げは、ホームページリニューアル前のおよそ10倍。中には当店やテナントで入っている大和富山店の近くにお住いの方からもオーダーがありました。感染拡大が落ち着いた夏には、近所の方々は店頭にお越しいただくようになりましたが、遠方からのネット経由のオーダーは徐々に増えています」(新村社長)とのこと。遠方からの新規客はどのように開拓されているのか尋ねると、以下のような答えが返ってきた。要約すると・・・。
味噌の使い方は、地域の食文化に左右されることが多く、一般的に東日本は赤く、塩分の濃い味噌が好まれる傾向が強い。対して西日本は白味噌で、甘味の強いものが選ばれる。富山はその中間的な味噌の文化圏にあるという。転勤や結婚などで、例えば富山から九州に移住するようになった場合、一昔前は諦めて新天地の味噌を使われたようだが、今日ではネット通販が普及してふるさと富山の味噌が求めやすくなった。また他県から富山に旅行した際、ホテルや旅館で食した味噌汁が気に入り、それを縁にネット通販で富山の味噌を求める人も増えているのだという。
新村社長がさらに続けた。
「最近は、当店のような昔ながらの手づくり味噌が好まれるようになってきました。香りや風味は、工業的に大量生産される味噌とはまったく違います。それがわかって、家庭用の味噌をご自宅でつくられる若い方も増えています。自家製の味噌は、かつては庭先で大きな釜で大豆を茹でるところから始めました。でも昨今は少子化が進んで、夫婦と子ども1人〜2人程度ですから、その1年分の味噌といっても6kg〜10kg程度。これくらいの量なら、圧力鍋を使うと6時間ほどで、自宅のキッチンで仕込みまでのすべての作業ができるのです」
手づくりについては、年々関心が高まっているようだ。当店では、味噌やかぶら寿司の手づくり講習会を毎年実施。新村社長がUターンした頃は、それぞれ年間で20回、数回というレベルであったが、今ではそれが4倍強に増え、年間で合わせて110回以上は開催。それだけ回数を増やしても、抽選に漏れる方がいて、「講習会をもっと増やしてほしい」という声が届くという。
毎年これだけの講習会を行うと、同店の味噌やかぶら寿司の売上げが減るのではないかと気をもむところだが、「お客さんとの距離を縮めることが大切なのです」と新村社長は意気軒昂だ。
新生・新村こうじみそ商店の経営のミソはそこにあったのか?!
所在地 / 富山市堀川小泉町793-10
代表者 / 新村 弘之
資本金 / 200万円
従業員 / 11名(パート等含む)
事 業 / 糀、味噌、関連商品の製造販売
TEL / 076-421-6428
FAX / 076-421-6950
作成日 2020/12/25