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第70回  三代目ボーンミート

人気の精肉店を引き継いで再スタート
ジビエ関連の商品やお弁当もお目見えして

富山市の千石町通り商店街で36年に渡って精肉・総菜のお
店「ボーンミート」を運営してきた北森敏滋さん。近くに
は大型ショッピングセンターなどもあったが、商店街のお
店として人気を博してきた。

 「閉店予定日まで1カ月を切って、残すところ二十日あまりしかありませんでした。5年前から私なりに『ボーンミート』の後継者探しを行ってきましたが適任者が見つからず、『私の代で終わりか……』と半ば諦めていました。そんなところへ(株)伊久三郎商店の河野京一社長が訪ねてきて、『一度詳しく話を聞かせてください』とお店の引き継ぎについて切り出してくれたのです。のちに話はとんとん拍子に進み、諦めかけていた私にとっては奇跡のような出会いでした」
 語るのは富山市一番町の千石町通り商店街で精肉・総菜のお店「ボーンミート」を、36年に渡って切り盛りしてきた元店主の北森敏滋さん。自身も前の事業主から精肉店を引継ぎ(今日の言葉で言うと第三者承継)、夫人とともに付近の個人宅や飲食店を訪ねて肉の注文をとる(いわゆる御用聞き)などを通して顧客を増やし、人気のお店に育てたのだった。
 ところが60歳を過ぎる頃から、体力的な衰えを感じたり夫人が幾度かの入院を経験したりする中で、「そろそろお店の経営を誰かに任せ、第2の人生を楽しみたい」と思うようになったのだ。

引継ぎセンターから2件の照会が…

千石町通り商店街の入り口(写真上)。「ボーンミート」(現
在は「三代目ボーンミート」)はゲートをくぐって20~30m
にあり(写真では軽自動車が止まっているあたり)、シャッ
ターを下ろしているお店が多い中で大健闘している。写真
下はリニューアルオープンにあたっての店主(河野京一社
長)の挨拶。前のお店の写真も載せ、再スタートを誓った。

 子どもにお店を任せる(親族承継)ことを検討したものの、最終的には息子も娘も手を挙げず、従業員からも引継ぎを希望する者(従業員承継)は現れなかった。「たくさんの顧客がいて、経営も安定しているお店をぜひ残したい。このまま廃業すると、商店街や仕入先に迷惑をかける。それはなんとか避けたい」と思った北森さんは、ある金融機関に相談を持ちかけたのだった。ところが数カ月待っても、反応がなかったという。
 また別の金融機関に相談しようと店頭に訪れると、「富山県よろず支援拠点」が出張相談会を開いていた。そこで「企業のよろず相談を承ります」のキャッチフレーズを見て相談を持ちかけると、よろずのコーディネーターは「富山県事業承継・引継ぎ支援センター」を利用することを勧め、北森さんの相談内容を同支援センターの相談員に紹介。後日、相談員は北森さんに連絡をとって、後継者募集のデータベースに、ボーンミートの案件を登録することを勧め、後継者探しの間口を広めたのだった。(令和2年11月)
 「登録した後、確か翌年に1件、2年後にも1件の照会がありました。2件目はある県の総菜屋さんだったようですが、直接会ってお話しすることもなく、商店街の視察と当店を遠目に観察しただけで『今回は見送る』と判断されたそうです。その後も有力な情報がなかったので、令和5年10月末での閉店を決め、お店の解体も視野に入れていました。河野社長に出会ったのは正にそんな時だったのです」(北森さん)

たまたま立ち寄って閉店を知って…

河野京一社長(写真上)と「三代目ボーンミート」の店内
(精肉コーナ)(写真下)。「『ボーンミート』の味やレシピ
を引き継ぎつつも、自分たちのカラーも出していきたい」と。

 一方の河野社長。食品卸の会社勤めを経て、業務用食品卸の会社である(株)伊久三郎商店を令和元年に設立。令和5年の秋からは、ジビエの販路拡大を目指して、どのような総菜に用いることが可能かを調べるために県内の総菜店をリサーチしていたのだった。
 「飲食店への食品卸の仕事をしている関係で、ボーンミート閉店の噂は聞いていましたが、令和5年10月初めに同店を訪れたのは、純粋にジビエを使った総菜の可能性をリサーチするためでした。そこでお店の前に立った時に、閉店案内の告知を目にして、『そういえば、廃業するのだった』と思い出し、親しい食品会社の経営者にも相談した後で、『一度詳しい話を聞かせてください』と北森さんに面談を申し入れたのです」(河野社長)
 この時点で河野社長は、事業の引き継ぎについて決めていたわけではなかった。ただ、商品の納入のために千石町通り商店街には若い頃から通い、「その商店主たちに育ててもらったという恩義のようなものを感じていた」という。ボーンミートとの取引きはなかったものの、“このままお店を閉じるのはもったいない。レストランのような高級な料理ではなく、一般家庭のおかずからジビエの使用を増やしたい。そのためにはボーンミートの名前のもとでのチャレンジがよいのでは…”と思い至り、事業の引き継ぎを決心したのだった。
 河野社長が振り返る。
 「ボーンミートにかけた北森さんの思いをうかがううちに、このお店を引き継ぎたいと思うようになったのです。そこで設備や屋号、レシピの引き継ぎ、また譲渡金額などを契約書のような書類にして残し、後々もめないようにしたらよいと思い、金融機関の紹介で『富山県事業承継・引継ぎ支援センター』に相談したのです」
 河野社長は同支援センターを訪れて、事業承継についてのアドバイスを求めるとともに国の補助金(「事業承継・引継ぎ補助金(7次公募、経営革新(M&A型)」)を申請。契約書の作成を進め、また補助金を活用して店舗のリフォームや調理設備の更新などを行い、令和6年5月8日のリニューアルオープンに備えたのだ。

「事業の可能性を広げた」

「三代目ボーンミート」になってお目見えした「シシメン
チ」(写真上)と「猪ソーセージ」(写真中)。一般的なメン
チカツやソーセージより“肉々しさ”や食べ応えがあった。
写真下は、人気のお弁当コーナー。日替わりでおかずが変
わるので、週に何度も利用されるお客様がいる様子。

 この事業承継は、相思相愛型の第三者承継と言ってよい。さらに言うなら、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の 「三方よし」(江戸時代の近江商人の経営哲学)か。空き店舗にせず、暖簾(のれん)を出し続けたことは、商店街や従来からのお客(世間)にとってもよかったのではないか。
 「北森さんにはボーンミート時代の決算書を見せていただきました。商店街のお店の撤退が相次ぐ時代にあって、ボーンミートの善戦はたいへん素晴らしく、地域の方々に愛されていたことがうかがえます。そのお客様のすべてを引き継ぐことは難しいですが、私たちは『三代目ボーンミート』らしく、私たちのカラーを出しつつ、新たなお客様の開拓も目指していきたいと思います」
 と河野社長は意気軒昂に語るのだった。
 ちなみに「三代目…」と、どこかのダンスヴォーカルグループを彷彿(ほうふつ)とさせる店名にしたのは、北森さんの前の事業者も、同地で精肉店を営んでいたため。そのお店は、「ボーンミート」とは異なる店名であったが、お肉屋さんが3代にわたって続くことにちなんで命名されたのだった。
 屋号の継承は両者が合意し、契約書の中でも確認されていたが、河野社長はお客様の印象にもっと残るようにしたいと思い、またどこかで聞いたことがあるなと思ってもらいたいという願いを込めて、店名を「三代目ボーンミート」にしたのだという。
 この取材は、リニューアルオープンから1年4カ月後に行われた。売上は、「『ボーンミート』時代には若干及ばないものの、ジビエを使った『シシメンチ』や『猪ソーセージ』などの新商品が店頭を飾り、新たな顧客開拓に乗り出す」(河野社長)一方、「シシメンチ」などのいくつかの総菜が、県内の居酒屋や飲食店などでも取り扱われるなど、以前の「ボーンミート」では見られなかった動きが出始めている様子。また日替わりで用意している弁当が人気で、売上の柱のひとつに育ちつつあるそうだ。
 河野社長が「三代目ボーンミート」の可能性を、次のようにまとめて取材を締めくくった。
 「その1つは、ジビエも扱う精肉店として伊久三郎商店と連携しながら顧客開拓を進める。2つ目は総菜に力を入れて取扱店を増やす。3つ目は弁当づくりでノウハウを蓄積し、その多店舗化やさらに進めて社員食堂の運営を目指すということも、可能性の1つにあると思います。いずれにしても『ボーンミート』を引き継いだことは、事業の可能性を広げる契機になりました」

 

 

所在地 / 富山市一番町4-25
代表者 / 河野 京一
資本金 / -
従業員 / 3名(パート等含)
事  業 /精肉・総菜の製造・小売
TEL・FAX / 076-413-6293
U R L / https://www.instagram.com/bonemeat_3rd/

作成日  2025/11/06

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