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第59回 株式会社リンデンバウム

街の洋菓子店が海外展開を狙うまでに
“キニナル”そのビジネスプランは・・・

リンデンバウム3代目・玉森周一社長と
同社の古くからの人気商品のひとつのいちごショート。

 「私が小学生の頃は、同社のことを『リンデン、リンデン』といっていました。給食がない日は、10円玉数枚を握りしめて、校舎のそばにあったリンデンの工場に、パンを買いに行ったものです。私はチョコパイが好きで、いつも2個買っていました」
 そう語るのは編集子の友人で、魚津で生まれ育ったご仁。「リンデン」とは、かつて魚津市を中心に呉東地域に洋菓子店5店舗を展開した(株)リンデンバウムのこと。本江(ほんごう)小学校(現・よつば小学校)の横にあった同社の工場は、周辺住民のみが知る“直売所”の機能も兼ね、菓子やパンを焼く匂いに誘われてリンデンファンが集う裏店舗のようなところだった。
 その人気店が、大きく舵を切ったのは今から16年前の平成17年のこと。現社長の玉森周一氏が、父親(前社長)からお店の再興を託されて経営の差配を行うようになった時だった。
 玉森社長が振り返る。
 「祖父、父の代を通じてお店は拡大傾向にありましたが、平成に入ってしばらくしてから、売上げは徐々に減っていったようです。私が大学を卒業した平成10年頃には赤字決算が何度か続き、かつての勢いに陰りが見えるようになっていました」
 当時、大学4年生の玉森青年は、都内の企業から内定を得ていたそうだが、家業を手伝おうと一念発起。中学・高校の頃から「お手伝い」として製菓作業に従事したこともあったため、入社早々即戦力として洋菓子づくりに携わり、また販促の手法を探ったそうだ。

スクラップからビルドへ

モモ丸ごと1個をスイーツにしたKININALの人気商品。

 玉森社長が続けた。
 「当時はパソコンが普及し始め、経営や販売の計数管理にエクセルを使ったり、またホームページを利用した販促手法が試されたりと、今でいうIT化の草創期でした。私はそれらを経営に活用しようと、設立初期の新世紀産業機構の『Excel基本講座』や『Internet活用講座』などを受講し、反転攻勢の機会をうかがっていました」
 ただ、初めのうちは期待したほどの効果はなかなか現れなかったそうだ。そこで父親(当時は社長)、金融機関を交えてお店の将来について協議。世代交代によって会社に新風を起こし、不振からの脱却を図ろうと意見がまとまったのであった。
 「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し・・・」
 これは東照公(徳川家康)の遺訓と伝わる有名な一節であるが、玉森周一社長の経営者としてのスタートはまさしく「重荷を負て」の出発であった。周囲の期待を一身に背負う一方で、「やめておいた方がいいのでは・・・」と助言する知人もいたそうだ。しかしながら、「祖父や父、家族への感謝の念が勝った」という玉森青年は社長業を引き継ぐことに。29歳の時だった。
 さっそく各お店の販売状況やコストを把握し、売上げの数字より収支のバランスを重視するように。リストラにより売上げの数字が落ち込んだとしても、収支の改善が見込めるならばそれを「More better」と判断し、魚津市内の本店と魚津店の2店舗、そして滑川店のみを残すようにしたのだ。
 「身を切る改革の大変さを、身をもって経験しました。その後しばらくは、この3店舗で洋菓子の販売を続けましたが、今から10年ほど前には本店も閉めました。余力のあるうちに始末をし、次の一歩のための体力を残したかったのです」と言って玉森社長は平成26年頃を振り返る。氏の構想には「近いうちにスクラップからビルドに転換する」というビジネスマインドがフツフツと湧き、「モモ丸ごとケーキ」という今日の夏の一番の人気商品の原型のアイデアをあたためていたのだ。

「キニナル」ブランドで新展開

魚津埋没林博物館の入り口左側に、平成30年4月の
リニューアルオープンに合わせて出店した「KININAL」。
店舗のデザインには横浜のデザイナーの協力を得た。

 そして玉森社長は、平成26年度に当機構が開催した「農商工連携マッチングミーティング」に参加。生産農家と契約することによりモモの安定供給を図り、モモ丸ごとケーキの販促を試みようとしたのだ。ただこの時は、農家との“契約による連携”までは進まなかった。他の作物も栽培している農家にしてみれば、契約によってモモづくりを優先させられるのではないかと不安になり、また「連携」「契約」などの言葉に気が引けた様子で、従来どおりの取引きを望んだそうだ。
 一方で玉森社長は、その少し後から魚津市の旧商店街活性化のための勉強会に参加。ある時、横浜で活躍するデザイナーが「デザインの力で街に賑わいを」という趣旨で講演されたのを縁に親交を結ぶように。デザイナーの横浜の事務所も訪ね、魚津の活性化やリンデンバウムの再興についての夢を語るようになった。
 「何度目かの横浜事務所訪問の際に、モモ丸ごとケーキを手土産に持って行きました。その帰り、新幹線に乗って富山に向かっている私にデザイナーから電話があり、『このモモ丸ごとケーキは食べておいしいし、商品としての企画やデザインもいい』と絶賛してくれて、『できることがあったら協力したい』と励ましてくれたのです」
 玉森社長は、“ビルド”のきっかけをつかんだ時のことをそう振り返るが、数年してそれが現実のものに。魚津埋没林博物館がリニューアルを企画し、その際、エントランスでのカフェ運営業者を公募(平成29年6月)したのだが、玉森社長は横浜のデザイナーの協力を得て店舗運営のアイデアを応募したところ選定されたのだ。
 「魚津産のフルーツを素材にして、リンデンバウムとは別に『見た目はフルーツ、食べたらスイーツ』というコンセプトの下で、『キニナル』ブランドの新しいスイーツを販売することにしました。フルーツなのかケーキなのか“気になる”でしょうし、木の根っ子が展示されている博物館にどんなスイーツが売られているか“気になる”でしょう。またここで販売されているスイーツは、魚津の“木になる”フルーツを素材にしている・・・などとデザイナーとともに考えているとアイデアが膨らんでいきました」(玉森社長)
 こうして「KININAL」(キニナル)ブランドの商品開発が進むと、お店のロゴマークや店舗デザインにもそのアイデアは生かされ、「キニナル」のプランは大樹のように枝葉を広げ始めたのであった。

SNSのみの告知からリアルの告知も

KININALで販売されているフルーツ丸ごとスイーツの例。
魚津市内の果樹栽培農家の協力を得て、新鮮で熟した
フルーツを利用している。写真下はパッケージの例。

 「キニナル」は、魚津埋没林博物館のリニューアルオープンに合わせて平成30年4月に開店。その開店に合わせて魚津駅前店を閉め、ここにリンデンバウムは新たな歴史を刻むことになった。
 売上げについては、当初は伸び悩んだものの、3年目突入の前あたりから急激に人気が出て、日によっては閉店数時間前に売り切れになるという。その経緯を玉森社長が語る。
 「平成31年のお雛様の前日の3月2日のことです。閉店間際に来店された男性客が、丸ごとキウイをオーダーされました。お客様は、そのケーキの写真を撮った後で召し上がられましたが、召し上がりながらご自身のTwitter(ツイッター)にその画像をアップされました。その反響がすごかったのです。短時間に11万を超えてリツイートされ、キニナルのフルーツ丸ごとケーキが多くの人に知られるようになったのです」
 翌日から売上げは3倍に。その1年後には富山県内第1号の新型コロナウイルスの感染者が報告され、その後は「コロナ禍」により売れ行きにブレーキがかかるものの、感染状況が落ち着いてくると「抑えた分を上乗せしたような消費の勢いに押され」(玉森社長)、長期的に見ると右肩上がりの様相を示しているという。
 そこで玉森社長は、「キニナル」の飛躍の可能性を探ろうと当機構の専門家派遣事業を活用して中小企業診断士の指導を仰ぐことに。従来のキニナルのPRはSNSを中心とした情報ツール上の手法しかなかったのだが、リアルな告知も試してみたいと思うようになったのだ。
 「どこかにもう1店舗構える、あるいはテナントとして大型の商業施設に出店するというのは、コロナ禍においてはリスクが大き過ぎます。そこで中小企業診断士に相談したのですが、『ショッピングセンターへのポップアップ出店はどうか』と提案されました。大型の商業施設ではコロナ禍の影響を受けてテナントの撤退が相次ぎ、空きスペースを期間限定で貸し出しているので、そこで対面販売しながら商品やお店をPRしたらよいのではないか、というのです」(玉森社長)
 たまたまその時、富山市の大型商業施設「ファボーレ」でポップアップ出店が行われていたので見学に行くと、ある飲食店が空きスペースに長机を置いて白いテーブルクロスをかけ、その上にテイクアウト用の商品を並べて販売していた。週単位の出店ならばそれは一般的な光景といえるだろうが、玉森社長は「お店の見た目も宣伝したい」と、博物館のキニナル同様のファザードを準備することを企画。ポップアップ出店を一つの事業と捉え、他の商業施設でも機会があれば出店することとし、何回の出店で什器やファサードの費用を減価償却することができるかの事業計画を、中小企業診断士の指導のもとで作成したのだ。

コロナが収まったら海外へ

令和3年夏、富山市の大型商業施設「ファボーレ」に
ポップアップ出店したKININAL。実際の店舗に近い
装飾を施し、対面によるPR・販売を試みた。

 そして実際、令和3年の夏に「ファボーレ」にポップアップ出店することに。当機構の「中小企業リバイバル補助金」の支援を受けてファサードを制作し、テナントのようにお店を構えてキニナルのフルーツ丸ごとスイーツを販売した。「この分ならあと2回のポップアップ出店で什器やファサードの費用が回収できる」(玉森社長)という見込みが立つほど好調な売れ行きを示したという。
 最後に、玉森社長に尋ねた。「富山市や高岡市など、県内でのキニナルの常設店の出店は・・・?」と。返ってきたのは以下のような答えだった。
 「普通に考えたらそうでしょうが、都市の勢いの観点からいうと私は今シンガポールに関心を持っています。実は博物館でキニナルをオープンして1年半ほど経った頃、金融機関の紹介でシンガポールのビジネスマッチングに参加し、フルーツ丸ごとスイーツを紹介しました。このスイーツは、長々と説明しなくとも、見ただけでこれが何かわかるので好評で、シンガポールでの展開については手応えを感じて帰国しました。ところがそのすぐ後で新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい始め、海外展開は宙に浮いたままの状態になっています。コロナが収まったら、いずれまた・・・」
 玉森社長の海外展開がいつになるのか、キニナルところだ。

所在地/( 本 社 )滑川市上小泉463

      (KININAL)魚津市釈迦堂814魚津埋没林博物館内
代表者/玉森 周一
資本金/1,000万円

従業員/13名

事 業/洋菓子の製造販売

T E L/(本社)076-475-8711

     (KININAL)0765-24-4014
U R L/https://kininal.co

作成日  2022/01/07

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