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第66回 株式会社FuKuTa Inc.

富山発のもつ料理を県外へ、そして
「いずれは海外の市場も狙いたい」と

富山では珍しいもつ鍋、もつ料理での事業展開を試み
ている(株)FuKuTA Inc.の福田健社長、朋恵副社長
(写真上)。写真下は人気のもつ鍋「牛もつ鍋」。

 タイトルを読まれた方の中には、「海鮮料理ではなくもつ料理? もつ料理といえば福岡でしょう」と、頭に「?」をいくつもつけられた方がおいでになるかもしれない。しかしながら今回取材した(株)FuKuTa Inc.の福田健社長・朋恵副社長ご夫妻は、本気でもつ料理で海外の市場をうかがうまでに。過日、航空会社系の企業が開催した海外ビジネスの展開に関するセミナーに参加した際には、講師やその職員から「実際にその時がきたら、私どもにぜひお手伝いさせてください」と言わしめたほど現実味のある話で、2人の今日までの足跡をうかがうと「夢の実現に向けてがんばって!」と思わず応援したくなるほどだ。

もつ鍋ファンの裾野を広げたい

最初のお店「もつ家 福多 本店」の正面(写真上)
と店内(写真下)。本店はカウンター席、テーブル席が
メイン。

 2人のお店の源流は、福田社長の祖父母がもつ鍋屋を始めたのが始まり。結構はやったお店だったらしく、その息子夫婦(つまり福田社長の両親)がその味を引き継ぎ、またその味を福田社長が受け継いだ。
 「私は学生のうちは店を継ぐ気はあまりなく、他の職に就きました。ところがたまにお店にくるお客さんを見ていると、もつ鍋を食べた後、ものすごく満足した顔をされているのです。そういうシーンを何度も見るうちに、『お客さんをそこまで喜ばせるもつ鍋って何だ』と興味を持つようになり、それが高じて28歳の頃に仕事を辞めて両親が営む店を手伝うようになりました」
 福田社長はそう言って二十代を振り返るが、厨房に立つうちに料理人としての素質が芽生えたのか、「もつ料理の可能性の大きさを自覚し、従来のもつ鍋では満足できなくなった」という。
 福田社長が続けた。
 「当時、もつ鍋はブームになっていて、どのお店も繁盛していました。それ自体はうれしいことですが、ただ私は、しばらくすればブームは落ち着き、反動で下火になる可能性もあると考えました。そこで今のうちに、味つけや素材の使い方をアレンジするなどして、もつ鍋ファンの裾野を広げたいと思うようになったのです。その思いがだんだん強くなり、現状維持でよいと判断する父と考えが合わなくなりました。そこで『自分のお店を持ちたい』と独立を志ざすようになったのです」
 転機は、お店を手伝い始めて7年後の、35歳の時に訪れた。独立の希望を胸に秘め、JR富山駅周辺で候補地を探していたある日のこと。「駅前に空き店舗が出た」という情報が、知人よりもたらされた。この空き店舗情報に飛びついた福田社長。たくさんの方のご縁とお力添えを頂戴し、2人のお店の1号店「もつ家 福多 本店」がオープンしたのは、平成20年9月だった。

 

長年空き店舗だったところで2店舗目を

「MOTSUYA 福多 其ノ二」の店内。(写真上)「其ノ二」には
個室、小上がりの他にテラス席がある。(写真下)

 「念願の最初のお店でしたが、集客には苦労しました」と副社長の朋恵さんが回想し、続けた。「当時は、SNSが普及する前でした。そこでチラシをつくって、夕方の富山駅前に立って道ゆく人びとに配りました。『今度新しく、もつ鍋屋をオープンします』と呼びかけるのですが、最初は恥ずかしくて…。それも1週間ほど繰り返すうちに慣れてきたのですが、9月3日の初日は、お客さんがきてくれるかどうか不安で、不安で…。でもそれも杞憂に終わり、たくさんの人で賑わいました」
 こうしてまずまずの船出を果たした「もつ家 福多 本店」。正社員1名、アルバイト7名、役員2名の総勢10名を乗せた1号店は、もつ鍋ファンの開拓を順調に進めたのだが、翌年の夏には客足が少し鈍くなったようだ。その原因を福田社長が推測する。
 「お店は鍋料理がメインで、湿度が高く蒸し暑い富山の夏には敬遠されたようです。また一部、焼き肉も始めていましたが、従来の鉄板焼きだったため煙がすごく、仕事帰りの方々は臭いを気にして足が向かなかったのではないか」と。
 この経験を通して福田社長は、お店で出す料理のレシピ開発にチャレンジ。焼肉では将来的に無煙ロースターを導入することを前提に、3年がかりでオリジナルのもつ焼きと専用のタレの創作を試み、飛躍の時を待っていたところ、あるビルのオーナーから「店舗が空いているから入らないか」と誘いを受けたのだ。そこは県庁前公園からほど近い雑居ビルの2階で、かつてはスナックや小料理屋など4店が暖簾(のれん)を出していたところ。人通りの多い通りから1本中に入っていたためあまり目立たず、何年も空いたままになっていたスペースだった。
 「ビル周辺の方々は、そこでの飲食店の経営は難しいと見ていたようで、中には『ここは厳しいよ』とアドバイスしてくれる方もいました。でもここを紹介していただいたのも何かのご縁と思い、またテラスで焼き肉ができる環境が気に入り、ここへの入居を決めたのです」
 副社長はこういって、2号店「MOTSUYA 福多 其ノ二」への入居の経緯を語ったが、従前以上に、集客には苦労したようだ。ホームページでの告知やフリーペーパーに広告を出しても、なかなか賑わってこない。そこで本店が満席になってくると「其ノ二のお店へ散歩しましょうか」とお客を誘導したり、本店のお客に次回の「其ノ二」でのビールのサービス券を配ったりと、あの手この手の誘客を開始したのだ。おかげで「其ノ二」は赤字にこそならなかったが、厳しい運営が続いたという。

コロナ対策補助事業を活用して飛躍

テイクアウト用に開発した商品の一例。牛もつ鍋(写真上)
と豚ホルモン焼きMIX(写真下)。富山県中小企業リバイバ
ル補助金、富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金などを活用
し、製造機器や配送車両の充実を図ったところ事業の柱に
育ちつつある。

 その努力に冷水を浴びせたのが、令和2年に始まった新型コロナウイルス感染症の蔓延だ。外出自粛が叫ばれるたびに客足は遠のき、同店では月の売り上げが前年同月比で1/10に満たないこともしばしば。富山で感染者が急速に拡大し始めた1カ月後の令和2年5月には、もつ鍋セットやもつ焼きのテイクアウトを始め、3,000円以上の注文には配達サービスを開始するなどの対応も始めたのだが、苦しい経営が続いたのだった。
 こうしてお店の運営を続けていたある日のこと。富山商工会議所の職員が訪ねてきて「小規模事業者持続化補助金を活用して、お店の経営改善をしませんか」と誘ってくれたのだ。その時初めて、公的な助成制度があることを知った2人。その話を詳しく聞いた後で、テイクアウトやデリバリー用商品増産のために、真空機と業務用冷凍庫の導入を企画し、申請書類に認(したた)めて7月に提出したのだった。
 こうしてデリバリーの需要拡大に応えていったが、徐々に課題も明らかになってきた。デリバリーの範囲は、お店を中心に半径5〜6kmを目安にし、少し足を伸ばして岩瀬地域からのご注文にも応えるようにしてきたものの、外出自粛が緩和され、お店への客足が少し戻ってくると、デリバリーを重荷に感じるようになったのだ。
「通常営業での売上げがほとんど見込めない時に、デリバリーのご注文をいただくことはたいへんありがたく、それこそ配達には飛んで行きました。でも原価計算すると、配達の人件費・輸送費は賄えておらず、ほとんどが赤字だったのです。これに関しては当初からわかっていたことではありますが、緊急事態宣言が解除され、お店の営業が通常に近い形に戻ってくると、いつまでもありがたいとは言っていられなくなりました」(福田社長)
 同社では、令和3年の春ごろにはデリバリーの注文受付を中止にしようと思案していたところ、知人から「おたくのもつ鍋はおいしいから、冷凍した商品を小売店で販売してみないか。知り合いの酒屋を紹介しよう」と声を掛けられたのだ。
 この時、福田社長はひらめいた。
 「個人客向けに1個ずつ配達しているから、商売にならない。小売店に卸す形にすれば、1カ所に5〜10個のデリバリーとなり効率がよくなる。BtoCから、BtoBに切替えればいいのだ」
 さっそく靴底を減らすように営業に歩くと、「冷凍のもつ鍋セットはおもしろい」と各種の小売店が卸すことに合意。後にその数は県内だけでも数十店に及ぶようになり、ビジネスとして成り立つようになったのだ。そしてこのBtoBへの転換を図り始めたころ、同社の ホームページの制作を委託しているwebデザイナーから、当機構の「富山県中小企業リバイバル補助金」(令和3年度)を紹介され、冷凍車を導入しての冷凍もつ鍋セットの卸売りに本格的に乗り出したのだ。
 「あの冷凍車、かわいいですよ。ブーンとエンジン音を鳴らして走っていきますが、うちのお店の稼ぎ頭に育ちました」と副社長はご満悦。同社では翌年には「富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金」の採択を受けて、今度は急速冷凍機を導入することにした。食品の冷凍には、急速冷凍により細胞内の氷の粒を極力小さくすることで、食品のおいしさを保たせることが試みられているが、職人気質が強い福田社長は「肉の組織を破壊しないようにすると、うちのもつ鍋はもっとうまくなる」と商品の品質向上を図ったのだ。
 この急速冷凍機も「稼ぎ頭に育った」(副社長)そうだが、こうなると今度は、その前工程の食肉加工の量産が求められるようになる。それに応えるために福田社長は、国の事業再構築補助金(令和5年度)を活用して工場を新設し、さらなる飛躍を誓ったのだった。

「海外へ」の準備も着々と

富山市婦中町に新しく建てた食品工場(写真上)。肉の
下処理やテイクアウト用のもつ鍋セットの製造などを行
なっている。写真下は、工場前に設置したもつ鍋セット
の自動販売機。自動販売機での全国展開も可能だという。

 ここで2人に「いずれは海外へ」と夢が芽吹いたのだ。冒頭に紹介した航空会社系の企業が開催したセミナーに参加したのは情報収集のための第一歩で、当機構の「小さな元気企業応援事業」(令和5年度)の採択を受けて「フードセレクション2023」に出展したことはその二歩目といえるだろうか。
 副社長が、展示会デビューとなった「フードセレクション2023」を振り返る。
 「食品商社の方々を中心に200社あまりの方々と名刺交換し、単発・継続合わせて10件ほどの商談がまとまりました。初めての展示会出展でしたが、上々の出来だったと思います。もつ鍋セットの拡販が主な目的でしたが、将来の海外展開に備えての情報収集も兼ねての出展でした」
 このコメントの後、副社長はアジアの国々の名前を個別に挙げ、現地のもつ料理の事情、日本から進出したもつ料理屋の展開状況、現地の食品流通(コールドチェーン)の現状などを説明しながら、「A国では、現地でもつを仕入れて展開した方がいい」「B国では、寿司屋やラーメン店は飽和状態で、もつ鍋屋には伸びしろがあるようだ」と続け、「いずれは海外へ」の本気度を示した。
         *   *   *
 ちなみに富山市婦中町に新設した食品工場前に、冷凍もつ鍋セットの自動販売機を設置したところ、売上は好調な様子。その噂を聞きつけた関西のバイヤーが大阪でその自動販売機を置いたところこれまた好調で、大阪での増設のほかに東京での設置も計画しているという。
 冷凍もつ鍋セットの自動販売機での販売という新たなビジネスモデルが生まれ、そのフランチャイズ展開の可能性も出てきたわけだ。海外展開の前に、稼ぎ頭がまたひとつ現れた様子。人との出会いに恵まれ、福田夫妻の夢は膨らむばかりのようだ。

 

所在地/本社 富山市婦中町速星335-4
      第一工場 富山市婦中町中名1554-22
      もつ家 福多 本店:富山市桜町1-3-5藤江ビル1F
      MOTSUYA 福多 其ノ二:富山市桜町2-6-4布一ビル2F
代表者/福田 健
資本金/300万円

従業員/20名(アルバイト等含)

事 業/飲食店運営、食肉加工・販売、総菜の製造・販売
TEL/第一工場 050-3433-5905
   もつ家 福多 本店076-431-6290
   MOTSUYA 福多 其ノ二 076-432-6290
SNS/ https://www.motsuya-fukuta.jp/index.html

作成日  2024/08/20

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