第40回 有限会社ブルー・ワールド オリジナルプリントTシャツ TONIO Web情報マガジン 富山

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第40回 有限会社ブルー・ワールド

2坪から始まったオリジナルデザインのT シャツ店
落とし穴に落ちたこともあったけど、今ははい上がり

 「いずれは地元に帰って、自分の店を出そう」
 そう思っていた高橋咲子さんは、東京で働いていた最後の年に、それまで勤めていたデザイン会社を退職。知人のデザイン事務所で間借して、個人で仕事を始めるとともに会社経営の基本である数字の読み方、書類の書き方などのノウハウを学んだ。
 富山にUターンしたのは1992(平成4)年。かつての同級生の紹介で、いったんは高岡市内のデザイン会社に勤め、自治体や企業のパンフレットのデザイン制作を担当した。
 「本当は、最初から独立して店を出すつもりでしたが、そのデザイン会社の社長が『Uターンしたばかりでは、地元の事情もわからないだろうから、ウチで働きながら、地元のことを理解したらいい』と勧めてくれたのです。それで3年間、その会社で働きながら、県内の事情を把握していきました」
 高橋さんは21年前を懐かしそうに振り返るが、この間すべてが追い風ではなかった様子。今でこそ、元気なT シャツプリント店として県内でも人気のお店に育ってきたが、一人でじっと悩んだ時もあったそうだ。

チャレンジショップからスタート

2坪のお店から始めた高橋さん。
今は小さなビルの1、2階を借り、6人のスタッフを抱える
までに。Uターンしてからの21年間は、山あり谷ありだった。

 企業や自治体の、パンフレット等の制作事情をおおまかに把握した高橋さんは、1995(平成7)年に独立。自宅を拠点にして、デザイン会社・印刷会社の下請けをしながら業務の拡大を図ったのだが、独立早々、大きな壁が立ちはだかった。
 景気の低迷(役所は税収の低迷)により広報・宣伝費が削減されて、パンフレット・チラシの発行を絞る傾向に。その受け皿であったデザイン会社・印刷会社は規模の縮小や廃業を迫られ、年に数件「倒産」の情報が業界をかけ巡った。ホームページの普及も、ペーパーレス化に拍車をかけ、技術やライフスタイルの変化はデザイン・印刷業界に構造転換を迫る“黒船”の観すらあったほどだ。
 「自宅で3年ほどやっている間に、仕事を出してくれていたデザイン会社・印刷会社が何社もなくなり、売り上げの回収ができなかったケースもあります。仕事は減る一方でした。そういう時に富山市の商店街でチャレンジショップを始めると聞き、さっそく申し込んだのです」(高橋さん)
 全国的にも注目を集めた「フリークポケット」のことだ。富山市中央通り商店街の、あるビルの1・2階部分を2坪毎に仕切って、独立の意思のある若者に低額で提供し、店舗経営のノウハウを学んでもらうための、文字通りチャレンジの場である。
 高橋さんはそこで、パンフレット等のデザイン制作だけでは限度があると思い、オリジナルデザインのTシャツプリントも始めた。
 「家賃・共益費合わせて月に2万円。そこで1〜2年修業して、独立して店を構えるというのがフリークポケットに入った人たちの目標でした。商店街にはファッション関係のお店が多く、それを求めてのお客さんも多いと思い、オリジナルTシャツプリントも始めたのですが、本音のところでは“毎月2万円払えるのか”“本当に独立できるのか”と心配で心配で…」
 希望で夢を膨らませるより、高橋さんの場合は不安が先行したのである。

1年後には自分のお店を

近代美術館の近く(立山通り沿)にあるお店。
お店のイメージカラーの青が目立つ。

 空き店舗対策の試みとして、フリークポケットは注目された。テレビや新聞、雑誌などが次々と取材し、他県の商店街や行政関係の見学も相次いだ。こうしたことが相まって、若者を中心に商店街に足を運ぶ人が増え、手応えを感じた入居者の中には早々と卒業し、自分の店を構える者も出始めた。
 高橋さんもその1人だ。「この調子ならやっていける」と判断した氏は、チャレンジショップを1年で卒業。近代美術館の通り沿い(立山通り)にあった空き店舗に入ることとし、パンフレット・チラシのデザイン制作とオリジナルデザインのT シャツプリントを主なサービス内容として店を構えたのである(1999(平成11)年)。
 最初のうちは、商店街のお店や市役所が応援してくれたこともあり、パンフレット・チラシのデザイン制作の依頼が結構あったそうだ。午前中に客先で打ち合わせをし、11時頃に店をオープン。午後は、印刷物のデザインをしながら、Tシャツプリントのお客さんへの応対をし、忙しい時には臨時にアルバイトを雇って店を続けた。
 「交通量の多い通りに面したお店で、カーテンもつけずに夜の10時、11時まで毎日のように仕事をしていました。外からは丸見えです。そのうちに『毎夜遅くまで何をしているお店か気になってきました』と日中訪ねてくる人も出始めました。仕事の中身を紹介すると『オリジナルデザインのTシャツか。珍しい商売だ。機会があったらお願いしよう』と、その時は仕事には結びつかないことが多かったのですが、そういう方々が『こんな店があった』と当店のことを話してくれたようです」(高橋さん)
 フリークポケット入居時からのお客さんや、ふらりと店に入ってこられた一見(いちげん)さんの口コミ効果などから、独立1年後にはTシャツの方が忙しくなって、印刷物のデザイン制作になかなか手が回らなくなってしまった。そこで高橋さんは、パートながらもスタッフを常用することにして、その育成に努めるようにしたのである。
 「印刷物のデザイン制作では、基礎的な勉強をした上で、3~5年ほど先輩のアシスタントをしながら実地訓練を積まないと、お客様にデザイン案を出せるようにはなれません。しかしTシャツのデザインには、そこまで高度なノウハウは必要でなく、パソコンの操作ができれば半年から1年の訓練で十分にできる。つまりTシャツデザインの方がスタッフを育てやすいのです」
 こうして高橋さんは、オリジナルデザインのTシャツプリントの方に徐々に比重を移し、独立当初は7~8割方が印刷物のデザイン制作による売上げであったものが、独立から7年後(つまり平成18年頃)にはそれが逆転。Tシャツプリントの売上げが7~8割を占めるようになったのだ。

作業をマニュアル化、確認をシート化

 急速にTシャツプリントが伸びた背景には、「オリジナルデザインが可能」ということで、各種団体が自分たちのサークル用にとオーダーすることが増えてきたからだ。またそのオーダーに、例えパートのスタッフとはいえ、適切に対応してきたことも一因としてあった。チラシやカタログのデザインほど高度なノウハウは必要ないとはいえ、スタッフの育成はどのようにしたのか。そのあたりを高橋さんに尋ねると、「作業をマニュアル化しました」と返ってきた。
 デザイン素材(イラストやイメージ画、写真、文字)の使い方の確認や客先との打ち合せ・校正確認、各段階の作業チェック、そして梱包・発送までのすべてをマニュアル化して、チェックシートまでつくったのだ。
 「仕事量が増え、それをこなすためにスタッフも増やしてきましたが、客先との確認の漏れや認識のズレから、ご注文どおりに進まなかったことが何度かありました。その都度、スタッフ全員に注意を喚起してきましたが、記憶による進行管理には限界があると思い、『作業進行過程表』をつくって進行管理を“見える化”したのです」(高橋さん)

同社の「作業進行過程表」。 これに基づいて工程の一つひとつを管理し、
確認漏れや客先との認識のズレをなくしていく。

 左の写真で示したのがそのシートだ。最初の「接客」に始まり、「デザインご提案」では各校正段階をチェック。「梱包作業」ではガムテープの張り方まで確認し、客先から借りた資料の返却も「返却物・伝票内容の確認」で行うようになっている。ファーストフード店の店舗運営マニュアルとまではいかないものの、チェックシートにすることによって「パートのスタッフでも勤め始めて数カ月もすると、顧客対応から発送まで1人で行えるようになる」(高橋さん)というのだ。

サービス業としてのデザイン

 ではここまでマニュアル化されていると、デザイン制作の専門性はどの程度要求されるのだろう。大学・短大等で産業デザインやグラフィックデザインを学んできた人の方がいいのか、それとも…。
 高橋さんいわく。
 「Tシャツのデザインに限定していうと、デザインソフトが充実してきた今日では、デザイン科を出ているかどうかは重要ではありません。大事なのは、お客様の要望に耳を傾けること。そして発想豊かにそこからアイデアを導き出し、デザインソフトを使って形にしていくこと。私たちは作家活動をしているのではなく、サービス業のひとつとしてオリジナルデザインのTシャツをつくっているわけです」
 ここでポイントになるのは、サービス業としての自覚だ。それを欠いて作家的になると、客先の要望は二の次になってしまうものだ。
 「美術系・デザイン系の世界ではこれは一種の落とし穴で、私も落ちそうになったことがあります。作家的に振る舞いたいのであれば、売れない時は霞を食べていく覚悟をしないといけない。ところが会社員として勤めながらも、こういう態度をとるのは勘違いもはなはだしい」と高橋さんはいい、落とし穴に落ちた自身の経験を続けた。
 Tシャツプリントも軌道に乗り、スタッフも増やし始めた時のこと。右肩上がりだった売上げが伸び悩むようになったのだ。何とかしようと思ってチラシを打った。「チラシ持参のお客様には割引します」のキャンペーンも実施。OB客には、「特典(キャッシュバック)付きのお友達紹介キャンペーン」を行い、そのチラシもつくった。ところが全く効果がなかった。販促用のチラシや広告をつくってきた自分の今までのキャリアは何だったのかと一人落ち込んだ。
 そして、はたと気づいた。「前は、お友達紹介キャンペーンをしなくても、『知り合いがここでTシャツをつくったと聞いたので…』という口コミのお客さんが多かったけど、ここ最近は、そういうお客さんはめっきり減ってきた」と。そこで高橋さんは、お店の何がかわったのかと考え続けたのだった。
 そしてたどり着いたのが、お客様への態度。Tシャツプリントが軌道に乗り始めて、変わったリクエストのお客には、「そういうデザインはあり得ない」「それは変だ。こちらの方がいい」という姿勢で臨むようになってしまった。それがいつしか慢心につながったのではないか、と思い至ったのである。
 「お客さんの要望が正しいとすると、私にできることは何か、としばらく考えました。出てきた答えは『お客さんの思いを形にしてあげる』でした。そこで自分の接客態度を180度換えたのです」
 高橋さんが落ちた落とし穴は、まだ小さく浅かった。そこからはい上がって思いも新たにしたところ、口コミによる新規客も増え始め、お店に元気が戻ってきたのだ。

スタッフのデザインの様子。
イベント、サークル、商店街などのTシャツのほか、最近は結婚祝いや出産祝いにつくるケースも多いという(デザイン例2点)

ホームページを生かして…

ブルー・ワールドのホームページの一部。どのコーナーを見てもにぎにぎ
しく盛りだくさんで、楽しくなる構成となっている。

 ところが、こうして戻ってきた新規の口コミ客も、2010(平成22)年頃には再び伸び悩むようになり、売上げの鈍化に直結。OB客周辺でのアナウンス効果にも陰りが見えはじめ、低迷し始めたのだ。
 その対策として同社がとったのは、ホームページを開設して新しい層のお客を掘り起こすこと。またそのホームページも、売上げに結びつくようにするために、当機構の「新世紀ネットビジネス道場とやま」を受講して、随時、改善していくことにしたのであった。
 「22年度に受講した時は、私の勘違いでいきなり『スパルタコース』を選んでしまいました。でもそれがよかった。講師は『3日くらい徹夜しても大丈夫だから、とにかく真剣に考えて』と訴え、『ホームページではお客さんの心にいかに飛び込んでいって、自分の強みをアピールするかが勝負だ』と熱血指導をしていました。『アクセスログを解析して…』という内容だったら、途中で止めていたかもしれませんが、『お客の心に飛び込む』といわれた時には、これは販促の王道だと思い続けることにしたのです」
 また高橋さんは24年度も同道場を受講した。今度は「ネットショップ達人養成コース」と「WEBマーケティング実践コース」。両コースを通して、自社のホームページのブラッシュアップを図るとともに、ホームページ経由の売上げ目標を月商100万円におき、また自社の強みを生かしての商品開発も試みることにした。
 「講師の先生は、AKB48の50番の女性の得票数を知っているかと聞いてきました。2000票くらいだそうです。お店にそれくらいの熱心な支持者がつけば…」
 続きは新年度のコースで直接確かめていただくとして、こうした受講を通じて同社ではホームページの構成や見せ方を工夫し、その結果、県外の顧客も掘り起こすようになった次第だ。
 T シャツ1枚とはいえ、気に入ったものを求めて全国のお店を調べる時代。そこで14年間店を続け、今や6人のスタッフを抱えるまでになった高橋さん。Tシャツやパンフレットのデザインだけでなく、経営のデザインもできるようになったのでは…!

有限会社ブルー・ワールド
富山市西中野町2丁目15-14
TEL076-425-6404 FAX076-425-6486
事業内容/オリジナルデザインのT シャツ・ウエアのプリント・販売、
       パンフレット等のデザイン制作
従業員/6名(パート等含)
URL http://www.blue-w.com/

作成日  2013/3/27

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