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第54回 食パン専門店 ファイブ

田園地帯の真ん中で食パン専門店を創業
チラシ1枚まかずに販路が拡大して……

同店の食パン「山食パン」。北海道産の高級小麦粉を長時間熟成させ、
甘みと旨味を引き出している。バターを使わずオーガニックのパーム油を
使っているため、小麦粉本来の味、香りが楽しめる。同店の食パン1本は、
一般的な食パンの2斤分ある。

 「がくっ」と膝(ひざ)が折れた。
 我に返った豊田安江(とよだ・やすこ)さんが時計を見ると、針は午前3時を指している。パン生地を切りながら、ウトウトしたようだ。「草木も眠る丑三つ時」とはよく言ったもので、遠くでトラックが走り去ってからは、もの音ひとつしない。
 昨年(H28年)5月に「食パン専門店 ファイブ」を立ち上げて以来、豊田さんは毎夜11時頃に起き出して食パンを焼くという生活を続けている。それ以前は、創業のためのパン屋での修業(3年弱)を除けば、“お堅い仕事”に十数年にわたって就き、穏やかな生活を送っていた。
 それが一変したのは、「老後はふるさとで……」とご両親が富山へのUターンを希望されるようになったから。「親だけではいずれ不自由なことも出てくる」と案じた豊田さんは、自身も富山へのIターンを決意。そして「富山では食パン店を営んで暮らしを成り立たせよう」と“お堅い仕事”を退職し、近くにあった人気のパン屋(神戸市)での修業に入ったのだ。
 「私が神戸で修業させていただいたパン屋さんは2店で、いずれも行列ができる人気のお店です。そのうちの1店のある食パンは、今日予約をしても受け取ることができるのは2カ月先という超人気商品でした」と豊田さんは修業時代を振り返り、「この2店ではパンを焼く技術もさることながら、おいしいパンを焼くための精神というか、仕事に取り組む姿勢について学ばせていただきました」と続けた。
 今回のレポートは、神戸からIターンして食パン専門店を射水市に創業した、豊田安江さんの奮闘記。「行列ができるお店」へと進化しつつある様子が浮かび上がってくる。

神戸の人気店で修業を

パンづくりに勤しむ豊田安江さん。

 そもそも豊田さんはなぜ、食パン専門店を始めようと思われたのか。「脱サラ・創業」というと、かつての定番はラーメン屋であったが、ネットの検索では、今日ではパン屋やカフェが人気の様子。そのあたりについて豊田さんはこう答えた。
 「もともと私はパンが好きで、自宅でもよく焼いていましたが、いい素材を使っても自宅で焼くパンには限界があることを知り、パンづくりの奥深さに魅力を感じていました。こうしたことを背景に持って、数年先に移住する富山のことを調べていく中で、射水市にはパン屋さんが少ないことに気づいたのです。そこで、“本当においしいパンならば、米どころ富山でも受け入れていただけるのではないか”と思い、『行列のできるパン屋』として有名なお店に修業に行ったのでした」
 それが冒頭に紹介した神戸の2店のパン屋だ。いずれのシェフも国産最高級の小麦を、最高の技術を持つ製粉会社に依頼して挽き、毎日変わる気温や湿度などを加味しながら生地を醗酵させ、パンを焼く。勤務時間や作業工程など人間側の都合に合わせるのではなく、あくまでも“パン側の都合”に合わせて焼いていく。それらお店のシェフを「パンづくりに一生を捧げたような生き方をされている」と豊田さんは評するが、「2カ月待ち」のお店のシェフは、1日のほとんどをパン工房で過ごし、タイマー片手にミキサーのそばのイスに掛けて、ミキサーを稼働させている4〜5分の間に仮眠をとる、という生活を繰り返している様子。パンを焼くことに無上の喜びを感じ、酵母の育成も自分で行っているのだそうだ。
 「私はまだそこまでは達していませんし、小麦粉を生かす技術も2人のシェフほど高くはないのですが……」と豊田さんは控えめに語り、「1歩でも彼らに近づきたいと思い試行錯誤しているところです」と熱い思いを続けた。
 お店の所在地は国道8号線「大江」(おおごう)の交差点を小杉方向に70mほど行ったところ。元は建材店が営まれていた店舗を、パン工房に改装して営業している。近隣には事業所がいくつかあるのみで、その周りには富山を象徴するような田園が広がっている。

チラシ1枚まかずに販路を開拓

次々と焼き上がる人気の山食パン。イベント等に出展しての販売を誘われ
ることもあるそうだが、生産が追いつかないため断ることも多々あるようだ。

 お店の前に立った時、「田んぼの真ん中のようなロケーションにパン屋を構えて、やっていけるのか」と思ったものだが、話しを聞くうちに「そんなふうにしてお客を増やしたのか」と感心するやら納得するやら。当初、豊田さんが思い描いたビジネスモデルや販促の要点をかいつまんで紹介しよう。
 お店の周りに田んぼが広がるといっても、500〜600mも行くと旧小杉町の住宅や事業所が建ち並ぶ市街地がある。またその向こうには、太閤山の住宅団地が広く開けている。豊田さんはそれらにチラシをまいて営業をかけるなどして、希望者のいる事業所や個人宅へ食パンを配達することを考えていた。お店にお客さんに来ていただくのではなく、お客さんのもとへ食パンを届ける。平たく言うと、食パンの宅配ビジネスだ。
 配達用の車も用意し、初期には叔母の支援も得ることに。あとは品質の安定したおいしい食パンを毎日焼く体制を整えるのみで、オープン前は食パンの試作に明け暮れた。
 その食パンを、工房に訪ねてきた人(電気やガスの検針員、郵便や宅配便の配達員等々)に試食していただき、味や食感についての感想を求めた。するとほとんどの人が「こんなにおいしい食パンは食べたことがない」と驚くとともに、「開業したら買う」という人が続出。中には試食用の食パンを職場に持ち帰って同僚に紹介する人も。他には「ウチの近くの農協の直売所に卸してくれたら買いやすいから……」と直売所の店長にかけ合って、同店の食パンを扱う商談をまとめてくる御仁も現れた。さらには人とのご縁が功を奏して、自然食を主に扱う食品スーパーや病院の売店、県産品のアンテナショップ、高速道路サービスエリアの売店等でも販売されるように。そこでまた「おいしい」と口コミで広まってお客を増やしていったのだ。そして極め付きは、おいしいパンのウワサを聞きつけた地元の新聞が「神戸からIターンした女性が食パン専門店を創業」と記事にしたため県内全域に伝わり、人気に火をつけたのだ。おかげで豊田さんはチラシ1枚まくことなく販路を拡大し、今では毎日300本近い食パンを焼くように。豊田さんひとりで始めた事業は、スタッフ3人を擁すまでになり、宅配便での食パンの配送も併用するようになったのだ。

「食パンを輸出したい!」

バリエーションの「あん食ぱん」。他にオレンジ、玄米、レーズン、チーズ
などを生かした食パンもある。(いずれも1斤相当)

 当初、豊田さんは「ここまで順調に販路を拡大できるとは思っていなかった」という。「富山の方々はおいしいお米や新鮮な魚介類を毎日召し上がっていて、口が肥えています。ですから、販路の拡大は難しいのではないかと思っていました。また仮に立ち上がりはよくても、物珍しさのある初めのうちだけで、潮が引くように売上げは徐々に落ちてくるのではないか、という不安がいつも頭の片隅にありました」と創業時を振り返る。
 そこで豊田さんは富山商工会議所に赴いて、経営について指導を受けることはできないかと相談すると、当機構の「とやま起業未来塾」を紹介され、「そこで経営の基礎を学びながら、パン屋の経営が成り立つビジネスプランを模索したらよいのではないか」と薦められたそうだ。そしてさっそく当機構の事務局を訪れ、平成28年5月から始まる第12期の未来塾に応募し、その年の暮までの受講をスタートさせた。
 創業とほぼ同時に塾に通い始めたため、体力的には相当きつかったようだ。「睡魔との戦いでした」と豊田さんは毎週土曜日の講義を思い出しつつも、「経営について学びたいという気持ちが強かったので何とか持った」と微笑むのだった。
 そこで豊田さんが描いたビジネスプランは、前述の食パンの宅配ビジネスで、富山市内、高岡市内に直営の販売店を持つことも想定していた。さらには、「好調なのは初期だけかもしれない」という不安から、食パンをアジア、東南アジアの国々に輸出するビジネスプランも持っていたのだという。
 果たして食パンは貿易対象の商材になり得るのか。 「食パン 輸出」のキーワードでネット検索を試みるも、それらしき製パン業者は浮かび上がってこない。「日本貿易統計」(財務省)を見ると、「麦加工食品」として麺類や調味料とともに「その他のベーカリー製品」の輸出量が記載されており(年度によって5,000t〜15,000t程度)、また輸入量では「パン・乾パン類」としての取扱量が記載されている(年度によって5,000t〜10,000t程度)。ここに食パンが含まれるかどうかは不明なのでさらに資料を探すと、(一社)日本パン技術研究所の「パン製品の食品衛生管理について」(平成28年8月)にこんな記述があるのを見つけた。いわく……。
 「パンは賞味期限が極めて短い加工食品であるため、輸出に取り組むパン製造業者はほとんどいない」、海外での展開は「現地製造が進められている」と。
 豊田さんが焼く食パンは、保存料などの食品添加物はいっさい使っていないため、輸出は難しいと思うのだが……。そのあたりを踏まえて食パン輸出の可能性についてうかがってみた。

「今の1.5倍の生産量に」

ギフト用に使っていただくことも可。ラスクなどの詰め合わせもある。

 「菓子類の個包装の中に、シート状の乾燥剤のようなものが敷いてあることがあるでしょう。あの一種にアルコール系のものがあり、熱処理したそのシートを食パンの包装の中に敷くと、1カ月くらいはおいしく食べることができます」と明るい答えが返ってきたが、「ビジネスプランを書いた後でアジアのある国に出かけて実情を調べ、また実際に商品を輸出されている方にお話をうかがって、食パンの輸出は難しいことがわかりました」と続けた。
 問題はどうやら通関手続きと輸送業務の乱雑さにあるようだ。荷物が順調に日本を発っても、現地の通関手続きに手間取って、出荷から1カ月以上経過してから受け取ることも。これでは現地の販売店に並べる時間がない。おまけに中身がつぶれて届くことが多々あり、仮に通関手続きがスムーズに進んだとしても、つぶれた食パンでは商品として扱えないことがわかってきたのだ。
 「値段の問題もあります」と豊田さんは付け加えた。現地の食品スーパーを回って日本からの輸入食品の値段を調べると、日本の価格の3〜4倍で販売されていた。同店の食パン1本は700円。輸出した場合は、1本2,000〜3,000円弱になるのか。「2,000円を超える食パンを誰が買うのか」と思った途端に、豊田さんの前には「通関手続き」「輸送の品質」に続いて「現地での小売価格」という3枚目の大きな障壁が立ちはだかったのだ。
 「でも輸出についてはあきらめたわけではありません」と豊田さんはにこやかに語り、「当面の目標はスタッフを増やし、私と交代でパンを焼ける職人を育て、今の1.5倍くらいの食パンを焼くことができるようにすることです」と続けた。お話の様子から増産した食パンの販売については、メドが立っているようだ。
 喫緊の課題は、いわゆる人手不足により人材確保が難しく、もう1人の職人を育てることができないこと。また豊田さん自身が忙しすぎて経営上の評価がきちんとなされていないことだ。「初期投資の借り入れ以外はなく、返済も滞っていない」というから、無難なスタートを切った様子がうかがえる。「経営上の評価や課題については、『よろず支援拠点』のコーディネーターに指導していただいて、利益率の改善などに取り組みたい」と豊田さんは意気軒昂であった。
 この取材からしばらく経って「日本の食パン、パリ進出」(時事通信)という記事がネットのニュースヘッドラインを飾った。日本のある事業者がパリに食パン専門店を出して、北海道産の小麦粉を使った食パンを提供するという。サンドイッチを中心とするレストランの営業も計画しているようだ。
 食パンの輸出ではなく、食パンビジネスの輸出。この記事を豊田さんが読んでいたら「いずれはウチの食パンも海外で……」と決意を新たにしているのではないかと楽しみになってきた。

食パン専門店 ファイブ
射水市大江1500-1
TEL 0766-55-0086 FAX 同左
事業内容/食パンの製造販売
Facebook https://m.facebook.com/shokupan5/

作成日  2017/11/13

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