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第77回 源流居酒屋

こんな山奥で居酒屋??

こんな山奥だから居酒屋!!

後藤さん夫妻。ご主人の正悦さんは北海道
出身、奥さんの陽子さんは宮城県出身。
令和3年に利賀村に移住された(写真上)。
写真下は「源流居酒屋」が立地する利賀村
の様子(中央は夫妻が購入した古民家で
お店としても利用)。国道から撮影したが、
撮影地の背後100メートル位のところに
流れる百瀬川はヤマメ釣りの穴場として
渓流釣りファンには知られている。

 今回紹介するアントレプレナーは、東京から移住(Jターン)してきた後藤さん夫妻。南砺市利賀村で令和4年6月、「源流居酒屋」というお店を開いた。
 「人口500人に満たない利賀村で居酒屋? しかもその創業を当機構が支援している?」  古いマーケティングの考え方が頭の大半を占める編集子は、取材先を聞いて半信半疑な気持ちで平日の午後1時からの取材に向けて、利賀村の「源流居酒屋」に向かった。
 イチコロ線(国道156号)を岐阜に向けて走り、小牧ダムの手前を左折。八尾ルートより砺波ルートの方が道路事情がよいと聞いてこの道(国道471号)を選んだのだが、数百メートル下に見える谷底に肝を冷やしながら運転し、「本当にここへ酒を飲みに来る人がいるのか」と頭に?マークをいくつも浮かべて取材に臨んだ。

いずれは地方都市で飲食店を、と

富山県が運営する移住を勧めるホームページのトップ。
東京には富山県の物産や観光を紹介する「いきいき
富山館」(有楽町)や「日本橋とやま館」がある。

 利賀村へ移住する前、ご主人の後藤正悦さんは、首都圏に拠点をもつ医療機器メーカーに勤務。営業部長を務め、後進の指導を行う一方で、売上の数字を求められる典型的な中間管理職の日々を送っていたという。若い頃から、「定年後の第二の人生は、自分の好きなことをやりたい。料理が好きだから飲食店でも・・・」と思っていたそうだ。片や、奥さんの陽子さんは、従前は東京・六本木のデザイン会社で働き、スマホアプリのデザイン開発に従事。夫婦そろって山歩きや渓流での釣りが趣味で、週末や連休の多くは河川の源流を訪ねての釣り三昧、山歩き三昧の生活を楽しんでいたようだ。
 正悦さんが振り返る。
 「飲食店の夢は当初は漠然としたもので、地方都市で開業できたら・・・と夢を膨らませていました。そこで将来の移住に備えて、東京・有楽町にある交通会館によく出かけたものです。交通会館には各道府県の東京事務所があり、観光や物産の紹介の他に、地方への移住の案内もしています」
 正悦さんは、40代から地方への移住を見据えていた様子。道府県事務所では、“移住のススメ”のパンフレットを入手し、各自治体の移住の支援策を聞いたり、移住経験者の話を聞くセミナーに参加したりした。訪ねた道府県事務所の数は片手には収まらず、そのうちのいくつかについては現地見学ツアーにも参加したという。富山県もそのうちのひとつだった。

築150年以上の古民家を入手

入手した古民家内部のリノベーションの様子(写真上)と
リノベーション後の様子(写真下)。
古い時代の建物だけに、柱、梁は極めて太い。
起業支援事業の助成金は主にリノベーションや
什器の購入に充てられた。

 

 「移住を勧めるセミナーや現地見学会に参加して思ったのは、富山県の支援策はより本格的で具体的でした。移住後の生計を立てる手立てや住むための家は、最終的には移住者の責任で決めなければいけないのですが、富山県ではそこに至る過程の支援が厚かった。移住希望者には求人企業を紹介してくれましたし、地元の生活になじむための場も設けてくれました」(正悦さん)
 移住後の求人企業の紹介では、正悦さんは富山県内4社の代表の話を聞いた。そのうちの1社が利賀村に拠点を置く、林業を営む事業所。「スーツや制服を着るのは嫌だったので林業に関心を持った」(正悦さん)そうだが、果たして50歳にならんとするその体は、林業の業務に耐えることができるのか。代表者にその旨尋ねると、「君は元気そうに見えるから大丈夫だろう」と、求人の年齢制限(40歳まで)を10歳のばして、「一度、私たちの村を見てみないか」と誘われたのだそうだ。
 そこで利賀村を訪れた後藤さん夫妻。もともと山歩きや渓流での釣りが好きだった二人は、山に抱かれたその環境が気に入り、ここでお店を持つのもいいのではないかと思うように。ただ当時は、新型コロナウイルスが猛威をふるっていた時だけに「今すぐの飲食店の新規開店は難しいだろうが、移住の準備は始められる」と正悦さんは、定年までまだ十数年を残していたものの、勤めていた会社を退職(令和2年3月)。そして林業の事業所が主宰していた「TOGA森の大学校」に入校して月に1度利賀村に通い、田舎暮らしの仕方や山との付き合い方などを学んだ。時には草刈機を使って家や畑周辺の草刈りを実習し、草木染めなどの経験を通して山深い里での暮らしの楽しみ方などのレクチャーも受け、また月に数日間、アルバイトとして林業の仕事に携わったりもした。
 そして令和3年4月には林業の事業所に正式に就職。その翌月には築150年以上はすると思われる古民家を買い求め、7月には奥さんの陽子さんも退職して利賀村に転居。2人はリノベーションしながら生活の拠点作りに勤しんだのだ。

YouTubeの登録視聴者を潜在顧客に

源流居酒屋のYouTubeやSNSで紹介している
渓流釣りや山での生活の楽しみ方の様子。居酒屋
にちなんだTシャツやのれん、手ぬぐいの販売も
始めた。

 

 ここで本題の飲食店創業に話を戻そう。
 移住について具体的に考え始める前の正悦さんは、お店のオープンは地方都市の商店街の一角や駅前などの、集客に都合のよいところを考えていたのだが、利賀村への移住が現実味を増してきたあたりから、ここ(利賀村)で開業することを模索。手に入れた古民家の一部を居酒屋として利用することを計画し、勤務先の代表者からは、当機構の「とやまUIJターン起業支援事業」を利用することを勧められたという。
 この山奥で、居酒屋を開業してやっていくメドがあったのか。そのあたりをご主人に尋ねると、「実は私たちは『源流居酒屋』の名称でYouTubeをやっており、二人で行った各地の渓流釣りの模様やポイントにたどり着くまでの山歩き・沢のぼりの様子や山奥で作って食べる居酒屋料理の紹介をしてきたのですが、その登録視聴者は当時で3万数千人いました。その方々を潜在顧客と想定し、渓流釣りのガイドと居酒屋、そして民泊を組み合わせて紹介していけば、ビジネスになるのではないかと考えたのです」と返ってきた。
 そう、後藤さん夫妻はYouTuber だったのだ。視聴者の多くは、渓流釣り、山歩き、田舎暮らしの熱烈なファン。毎夜、駅前を通る不特定多数のおじさん、OLを対象に居酒屋を営むより、しかも競合店がひしめく中で新規創業するより、コアなファンを潜在顧客として事業展開するならば、事業としての継続ばかりか自分たちの趣味の実現もでき、第二の人生を充実させることが可能ではないかと判断したのだった。
  開業に向けて、古民家を入手してリノベーションを始めたことをSNSを通じて情報発信し、また改装工事の様子をYouTubeで流すと、登録視聴者の中から「工事を手伝いたい」と名乗りを上げる者が続々と。さすがに3万人を超えるファンがいると、大工仕事や電気工事、タイル張りなど住宅建築にまつわるスキルを持った者も多く、行政への申請が必要な水道工事などの一部の工事を地元の業者に発注しただけだという。ちなみに工事を手伝ってくれた人の数は取材の時点で47人。リノベーションは今も続いているため、イワナ釣りや山歩きを楽しんだ後で、工事に精を出すファンが後を絶たないのだそうだ。

お客様は大都市近郊から

東京から一緒に移住してきた飼い猫の「越百(こすも)」。
猫は引越しにあまり向かないという人もいるが「私たち以上に
利賀村での生活を満喫している」(陽子さん)ようだ。

 取材は、開業から1年数カ月した時点で行われた。正悦さんに売上の概要について尋ねると、「支援事業の申請書に売上計画を記載しますが、ほぼその通りに進んでいます。居酒屋を始めてから、登録者はさらに増えて70,000人を超え、首都圏、中京圏、関西圏からのお客様が多いです。先日は北海道からお見えになられたお客様がいます」とにこやかに答えた。
 根っから田舎暮らしが好きな後藤さん夫妻。今年に入って、移住にまつわる軋轢(あつれき)が全国ニュースになり人々の耳目を集めたが、この二人にはそういう気配はない様子。富山への移住を勧めるセミナーでは、先輩移住者として経験談を話す機会も持つようになったそうで、新しい商売の仕方としても注目されつつあるようだ。

連 絡 先 :源流居酒屋

所 在 地 :〒939-2511 南砺市利賀村百瀬川317

従 業 員 :1名

資 本 金 :−

事   業 :渓流釣りのガイド、居酒屋・民泊の運営

 T E L  :080-3454-5626

 U R L  : https://genryuizakaya.com

作成日  2023/10/31

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