第55回 ますのすし本舗ちとせ(株式会社千歳) クリエイティブ産業振興事業 TONIO Web情報マガジン 富山

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第55回 ますのすし本舗ちとせ(株式会社千歳)

パッケージのリニューアルを通じて
チャレンジすることの大切さを実感

ますのすし本舗ちとせの6代目店主の大郷磨さんと同店の鱒寿司。

 さすが100年以上つづくお店の鱒寿司だ。甘すぎず、酸っぱすぎず、鱒の脂もほどよい。品のある鱒寿司だ。ノルウェー産の養殖鱒を使っていると聞いたが、日本の業者が日本向けに養殖管理をしているらしく、身にぶよぶよ感がない。脂ののり方にしつこさがなく、飽きのこない旨さがある。
 「ますのすし本舗ちとせ」。お話は5代目店主の大郷磨(おおご・おさむ)さんにうかがったが、最近、古い資料を見つけたとかで、「創業者と思っていた人より1代前が店を始めたことがことがわかり、それによると私は6代目のようです」と話す(以下、同店店主の数え方は新資料に基づく)。
 創業は明治4(1871)年か5年。富山市七軒町(松川を挟んで高志の国文学館の反対側あたり)に住みながら商売をし、その後現店舗(富山大橋西詰め)の前の神通川河畔に屋形船のようなお店を構えて、鮎の塩焼きや新巻鮭など川魚の加工品をつくって販売していた。もちろん鱒寿司もその1つ。冷蔵庫・冷凍庫のない時代の川魚料理は、季節を写す鏡のようなものだった。
 古い資料をひもとくと、鱒寿司の起源はおよそ300年前にさかのぼる。享保2(1717)年、割烹料理の技術に長けていた富山藩士・吉村新八(しんぱち)が、三代藩主・前田利興(としおき)に献上した鮎のなれ寿司が始まりだそうだ。利興はこれを大いに気に入り、新八を「鮎のすし漬け役」に任じた。NHKの幕末グルメ番組「ブシメシ」のようなことが本当にあったのだ。そして後にこのなれ寿司は、時の将軍徳川吉宗(8代)に献上され、吉宗を大いに喜ばせたという。

今ではコンビニでも鱒寿司が……

故高松宮殿下がちとせの鱒寿司を召し上がられた際の記録
写真(上)と天皇・皇后(当時皇太子・同妃)が5代目店主の
鱒寿司をつくる様子を見学された際の1枚。

 新八のなれ寿司は、「塩漬けの鮎を酒で洗い、米飯に12日間ばかり漬け込んだ後、献上の前日に米を取り除き、酒と塩で味付けした新しい飯を加えた」(「とやまブランド物語『ます寿し』」より)ものだった。醗酵させた保存食の一種といっていいだろう。
 それが現在の鱒寿司に変わったのは、酢が量産されるようになった江戸後期のころ。飯に酢を加えて手早く味わう早寿司(はやずし)が流行し、また鮎の代わりに鱒が用いられるようになって、今日の鱒寿司へと姿を変えたのではないかと見られている。
 とはいっても、明治の初めころまで鱒寿司は庶民にはあまり知られていなかった。また簡単に庶民の口に入るものでもなかった。それを一般に広める努力をしたのが「ますのすし本舗ちとせ」の創業者の喜一郎(当時武士)氏。地の利を生かし、神通川でとれた鱒で鱒寿司をつくり、屋形船のお店で販売して人気を博した。そして4代目店主・与一郎氏の時には、故高松宮殿下が御来駕されて評判の味に舌鼓を打たれた他、昭和58(1983)年には、第7回全国育樹祭のために御来県された皇太子・同妃(現天皇・皇后)に5代目の穰氏が鱒寿司の製造を披露。それらが報道されることを通して鱒寿司の人気はますます上がったのだ。一方で鱒寿司の駅弁化に尽力するお店が現れ、それらが相乗効果を発揮して鱒寿司は富山を代表する味として全国で知られるようになったのである。
 そうした中、ちとせが各種川魚料理を製造販売するお店から、鱒寿司専業店へと舵を切ったのは昭和44(1969)年のこと。大雨により富山大橋橋桁が崩落し、その年、屋形船での料亭営業・販売も止めて富山大橋西詰めの現在地に店舗を構え、新たなスタートを切るように。正確な統計がないので各種伝聞からの推測であるが、富山には鱒寿司をつくる事業所は今では40〜50カ所あるようで、ここ最近も数年に1〜2カ所の割合で新規参入する事業所がある半面、後継者難などの理由から廃業する老舗があり、この先にもそうしたお店が現れるかもしれないという状況だ。ちなみに「富山ます寿し協同組合」に加盟する事業所は、平成30年1月末時点で13社(ちとせも加盟している)。市場に流れる鱒寿司は、従来の丸い桶タイプのものからおにぎり型、細長い一本寿司型などが現れ、さらには冷凍ものの鱒寿司が売り出されたりコンビニのおにぎりコーナーに並べられたりと、伝統にとらわれない鱒寿司が増えつつあるところだ。

甘味、酸味、脂のバランスを大事にして

昨年9月末までのちとせの鱒寿司のパッケージ(上)と少量の鱒
寿司を希望される女性客向けの「ますのすし はんぶんこ」。

 そうした中で老舗のちとせはどのように暖簾(のれん)を守ってきたのか。そのあたりを6代目店主にうかがってみた。
  「鱒寿司はお店によって味が違い、甘味や酸味に特徴を持たせているところがありますが、当店の場合は甘味、酸味、鱒の脂ののり方のバランスを重視しています。そのため上品な味わいがあって癖がない。たくさん召し上がっていただくことができます。鱒のしめ方も最近は少し生っぽいものも現れつつありますが、鱒寿司は押し寿司の一種ですから、ほどよくしめるようにしています」
 取扱いは、本店での販売はもちろんのこと、大和富山店とJR富山駅のとやマルシェ。大和富山店ではその創業のころ(90年ほど前)から販売しており、またとやマルシェが整備される前は、富山駅の特選館で販売されてきた。常時販売しているのはこの3店だ。この他に、首都圏で富山の食や観光の魅力を発信する日本橋とやま館や有楽町のいきいき富山館では、週に1回ちとせの鱒寿司が販売され、また不定期でデパートや富山県が開催する富山の物産展などに出展して、出張販売を行うこともあるという。
 「鱒寿司の駅弁人気は、いつも上位にランキングされ、またイベントでの出張販売では鱒寿司は早々と売り切れになるのですが、業界全体の傾向としては若干の右肩下がりの状況が続いているようです。その上、原料の鱒が高騰し、安定的な入手が難しくなり、利益率の悪化が経営を直撃しているお店もあり、事業の継続が難しくなっているところもあるようです。こうしたところに後継者不在の問題が重なって、歴史のあるお店でも廃業のウワサが漏れ聞こえてくることがあります」。6代目はこう語り「売上の推移に関しては、当店も業界の平均的な状況に近い」と続けた。
 ただ伝統にあぐらをかいて、右肩下がりを傍観していたわけではない。県外の方も鱒寿司を買い求めやすくするためにホームページやFAXでの申込みを可能にした。また少量を希望する女性客のニーズに応えて、1段丸々の大きさではなく「ミニますのすし」や「ますのすし はんぶんこ」を商品化するなど、新たな需要の掘り起こしにも努めてきた。
 こうして、なんとか形勢逆転を図りたいと思って試行錯誤していた6代目。2年ほど前、取引先の銀行主催の懇親会に参加した際、たまたま出会ったデザイナーからあるお店のパッケージのリニューアルの経緯を聞くとともに、当機構の「クリエイティブ産業振興事業」についてレクチャーを受けた。その話にピンときた大郷氏。同事業の助成を受けて鱒寿司のパッケージデザインのリニューアルに取り組むことにしたのだ。

新八のように伝統の種まきを

鱒寿司が入った桶そのものが笹の葉で包まれているように見える
新しいパッケージ。新パッケージでは、桶の形が円形であることが
わかるようになっている。

 従来のパッケージは、およそ30年前につくられたものだ。リピーターにはなじみ深いデザインである。しかしながら、例えばとやマルシェなどの土産物売り場で他社商品と一緒に並べられると、自己主張していないように感じられた。また今日的な視点でいうと、売り場で女性客の目を引くようなデザインでもない。6代目は「出張帰りの中高年サラリーマンだけでなく、女性や若い人々にも手に取ってもらえるパッケージに変えたい」とかねがね思っていたのであるが、その思いをデザイナーに伝えて、30年ぶりのイメージチェンジを図った次第だ。
 「老舗っぽいながらも斬新なデザインのもの、『千歳』の文字をロゴ化したもの、文字を多い目に使ったもの、そして笹の葉をあしらったものなど、協力をお願いしたデザイナーはいくつもの案を出してくれました。笹をあしらったものは、いつも見慣れていたためか私としては『これはないな』と思っていたのですが、友人や知人にリサーチすると、皆、笹をデザインしたパッケージが目を引き、印象に残るというのです」
 デザイナーから案を提示された当時を思い出しながら大郷氏はこう語り、友人・知人の間で支持が多かった笹の葉をあしらったデザイン案を採用することに。そしてさっそく2017年10月1日から新しいパッケージを使い始めた。前のパッケージがまだ少し残っていたそうだが、「お客樣方に、パッケージをリニューアルしたことをいち早く知っていただきたい」(6代目)という思いから、すぱっと切り替えたのであった。
 「常連のお客様からは、『笹の葉がきれい』と評判で、たまにお買い求めいただくお客様からは『いつ変わったの? 印象に残る掛け紙になっている』と好意的なご意見をいただいています。今回の経験を通して、伝統を残すことも大切だけれども、新しいことに挑戦して、伝統の中に付け加えていくことも重要であることを気づかされました」と語る大郷氏は、「将来的にはホームページのリニューアルや商品開発も視野に入れている」と続けるのだった。
 商品開発といってもベースは鱒寿司だ。寿司の形や調味料の配合比、鱒のしめ方などを見直し、若い女性や若い母子をターゲットにした鱒寿司を開発し、元気な「ますのすし本舗ちとせ」に生まれ変わろうというのだ。
 ちとせ6代目・磨氏の取り組みが、300年前の新八のように、新たな伝統の種まきとなることを祈るばかりだ。



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  • (この事業は終了しています)

ますのすし本舗ちとせ(株式会社千歳)
富山市鴨島2区887
TEL 076-432-2515
FAX 076-432-2585
事業内容/鱒寿司の製造販売
URL: http://masunosushi.com

作成日  2018/03/14

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