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第65回 株式会社DQ Solution

食品メーカーを早期退職して起業
人とのご縁の中でビジネスのヒントを

食品スーパーを経営していた父親から
「食べ物にまつわる仕事は、形を変えても続く」
と教えられ食品にまつわる業界に
関心を持つようになった山崎勇人社長。

 食品にまつわる仕事に、川上(メーカー)から川下(小売)までいくつか就いた山崎勇人社長。DQ Solution(ディー・キュー・ソリューション)を立ち上げる前は、ある食品メーカーで営業を担当し、コンビニエンスストアや大手スーパーの本部向けの販促を担当するなど、ビジネスの大舞台での活躍に恵まれていた。
 一方、「安定しているとはいえ、定年までこのままでいいのか。独立して自分なりの道を歩んでもいいのではないか」という考えが、40歳頃から徐々に強くなり、42歳の時に退職してしまった。
 といって、「これをする」という明確な計画があったわけではない。「とりあえずポリテクセンター富山に通い、電気工事士(第二種)の資格をとるための職業訓練を受け始めた」(山崎社長)のであった。そこで慌てたのは奥さんだった。知人から「とやま起業未来塾」のことを聞きつけ、奥さんが「とにかく受講してみたら」と強力に勧めたのである。
 時は平成24年3月のこと。ちょうど未来塾8期生の募集が始まり、当機構のホームページでもその告知を行っていた頃のことだ。
 「さっそくホームページを見ると、“起業のために学び、各自のビジネスプランをブラッシュアップする”とありました」
 こういって8年前を振り返る山崎社長。食品メーカー在職時などに知った食の流通過程での鮮度劣化の課題に対して、金沢大学のある教授が考案した冷蔵システムをヒントに、新しい冷蔵庫を開発して商品化すれば、ビジネスとして成り立つのではないかと思い至り、それをビジネスプランにまとめて未来塾8期生募集の願書とともに提出したのであった。

新型冷蔵庫のプランで未来塾へ

山崎社長が開発した新型冷蔵庫。初期は電圧を
かけるユニットのみの販売を企画していたが、
効果的な冷蔵法を調べるうちに、冷蔵庫とセットに
した方がよいとわかり、今ではセット販売している。
(冷蔵庫は既製品)

 「急ごしらえのビジネスプランでしたが、面接でも未来塾の講師の方々に関心をもっていただき、合格させていただきました。それでこのままプランを進化させるものだと思っていたのですが・・・」と山崎社長は語り、「その前に谷底に落とされました」と続けた。山崎社長のコメントを要約すると以下のようになる。
 講師陣は、ビジネスプランの甘いところを徹底的に突いて、「起業の本気度を試すようなことが何度もあった」という。「起業しても3年持たない企業がほとんどだ」とベンチャービジネスの厳しい現実をデータを元に紹介しながら、塾生に甘い考えを捨てるようにと迫ったのだ。
 「実際のところ、初期の私の覚悟のレベルは低かったのですが、講義を重ねる中で目覚めさせていただきました。私が開発を目指した冷蔵庫は、冷蔵庫にあるシステムを取り付けて、マイナス数度にしても食品を凍らすことなく新鮮に保つというものです。極めて単純にいうと、食品に電圧をかけて食品中の水の分子を振動させ、氷点下にしても凍らないようにしました」(山崎社長)
 以前に見た、寒冷地に棲むフラミンゴの生態を紹介したテレビ番組を思い出した。冬の寒い日、湖の浅瀬に立って眠るフラミンゴの足のまわりだけ湖水が凍らないのは、その足から伝わる微細な振動により、周辺の水が凍らないということだった。これに似た現象を冷蔵庫内で起こし、食品を凍らせることなく新鮮に保つことを、金沢大学の教授の協力も得ながら開発しようというのだ。
 山崎社長が語るこの新型冷蔵庫のビジネスプランは、平成24年11月に行われた「とやま起業未来塾ビジネスプラン発表会」で特別賞を受賞。発表会では、その年の8月下旬に収穫した呉羽梨・幸水を、未来塾の名誉会長を務める石井知事ほか講師の方々に試食してもらい、その機能を実証的にPRしたのだった。

道の駅で会社の基盤づくり

同社の礎を築く第1歩となった七尾市の道の駅の
ファストフード店ANJAN(アンジアン)とスタッフの皆さん。

 DQ Solutionが旗揚げされたのは、未来塾8期が修了する1カ月前の、平成24年10月のことだ。新型冷蔵庫の製造についてはOEMでの調達を予定していたが、在庫を抱えて営業にまわるような時間的・資金的余裕はなかった。
 「そんな時に、七尾市の老舗水産加工メーカーの社長様が、『新しい冷蔵庫の話を詳しく聞きたい』と連絡をくれたのです。その時は、冷蔵庫は成約には至りませんでしたが、話が一段落したところで、『七尾市の道の駅・能登食祭市場をリニュアルオープンするのだが、全国で流行っている水産加工品の実演販売をやろうと思うけど、どう思う?』と意見を求められ、設計図を広げられたのです。そこには、お食事処、土産物店、魚屋、海産加工品の販売店などはありましたが、いわゆるファストフード店がありませんでした。そこで『今どきの道の駅で、ファストフードを扱うお店がないのは、ないのではないですか?』と言ったところ、『そうだな、でも俺はやったことないし、ノウハウもない』と返してこられました」
 その時、山崎社長の頭の中をよぎったのは、“当座の売上を確保するために、現金商売のお店を運営していかなければいけない、ノウハウを積み上げなければいけない、”ということだ。そこでとっさに、『私が2カ月ほど張り付いて開店支援しましょうか』と提案したところ急展開で事が決まり、設計図の書き直しなどファストフード店オープンに向けての準備が始まったのだ。
 ここで以前、山崎社長が取得していた調理師免許が生かされることになり、ソフトクリームやパンケーキの他に、地元の野菜で作ったスムージー、焼きそば、海鮮焼き、かまぼこ調理品などもメニューに加え、旅行者でにぎわう道の駅での営業をスタートしたのであった。
 「リニューアルオープンは、ゴールデンウィークの頃で、地元のお祭りが重なるなどしてにぎわいました。無事にファストフード店をオープンさせ、軌道にのせるお手伝いをさせていただきました。集客の手応えも感じたものです」(山崎社長)
 そしてその年(平成25年)の8月に、自身の店舗として、高岡市の道の駅・万葉の里高岡にツテを頼って出店することが決定。そのお店では、かつてブームとなって人気を博した高岡大仏コロッケにヒントを得て、イカスミを効かせたブラックコロッケ、昆布と米を使ってモチモチ感を引き立たせたホワイトコロッケを考案し提供するようにしたのだ。
 余談であるが、その年の11月に第1回全国コロッケフェステバルが茨城県龍ケ崎市で開催された。山崎社長の高岡コロッケは、1日に1万個以上を販売し、2位以下に大差をつけて優勝したのであった。
 その結果、地元の新聞社からコロッケについて取材を受けるようになった山崎社長。ある時、開発中の冷蔵庫についても話が及び、それが記事にされたのだ。その記事を読まれた読者から1本の電話が入った。電話の主は福光の柿の生産農家だ。訪問して話をうかがうと、厳しい労働環境などについて縷々(るる)語られ、開発中の冷蔵庫を用いると長期の鮮度保持が可能になるところに関心を持たれて、導入を決められたのだ。
 「柿は一般的に、常温で1週間程度、冷蔵庫に入れても2週間もしないうちに熟れて軟らかくなります。ところがこの農家は、新型冷蔵庫を利用された結果、収穫から5カ月経った時点でも三社柿の鮮度を採れたての状態で保つことができました。農家からは『おかげで加工の時期を分散することができ、人手不足の問題も解消できます。この冷蔵庫は農家の助っ人になるし、私たちはこれで年中あんぽ柿を供給することができるようになりました』とたいへん喜ばれました」と山崎社長は目を細めた。

ソフトクリームを経営の柱に

射水市大島のイータウンに出店した
同社のソフトクリーム店(写真上)と、
同店のソフトクリーム。休日には行列ができる。
同店出店にあたり、道の駅高岡で行っていた
コロッケ事業は知人に譲渡した。

 高岡の道の駅では、コロッケの製造販売のかたわら、地元の食材を使った商品も試験販売し、次の目玉商品の開発に取り組んだ。一方、七尾市の道の駅のお店では、ソフトクリームの販売が堅調だった。1日数百個のソフトクリームを販売していたところ、ソフトクリーム用の機器を扱う企業の営業担当者から、お店に導入されていた機器とは別のソフトクリームをつくる機械を紹介されたのだ。その機械は、メンテナンスに手間とコストがかかるため、ソフトクリーム店への導入は機械メーカーが期待したほど進まなかったようだが、そのソフトクリームを試食した山崎社長は「手間とコストを上回り“お客様の笑顔と利益”を生む機械だ」と判断し、高岡の道の駅のお店に導入。コロッケと並行してソフトクリームも販売するように。そのうちに「全国1位」のブラックコロッケ、ホワイトコロッケの売上をしのぎ、ソフトクリームのおいしさが評判になって、地元の人々が道の駅に足しげく通うようになったのだ。
 「リピートのお客様がたくさんついてくれたので、ソフトクリーム単独でお店を構えられるのではないかと思うようになりました。半面では、全国展開しているお店ならいざ知らず、個人商店がソフトクリームのお店を出しても続けられないのではないかという不安もありました。そうこうしているうちに、富山市内のビルの1階に入居していたテナントが引っ越して空いているという情報を得たのです。人通りが多いところではなかったのですが、評判になれば人通りはできるだろうと思い、誰も賛成してくれませんでしたが、出店を決めました」(山崎社長)
 お店の名前は「CHILL OUT & ソフトクリーム畑」。山崎社長のこの決断は、同社の経営の柱を育てる第一歩になった。そして後にはDQ Solutionの本社機能を持つ射水市の大島店のほかに、フランチャイズ店舗に導入し、業務指導することに。令和元年11月には、縁あって台湾の台南長栄大学のキャンパス内でもお店を構えるようになった。

再び未来塾へ

「とやま起業未来塾」(平成30年度)での
ビジネスプラン発表の様子。講師や同期の塾生の前で
プランを発表し、厳しい意見を受けることを通して
計画を練り直していく。

 未来塾修了後、こうして企業としての売上げの礎を築く一方で、山崎社長は新型冷蔵庫の改良や商品化を目指して試行錯誤することに。平成25年度は、当機構の「とやま中小企業チャレンジファンド事業」採択を受けて、それを加速させた。
 「金沢大学の教授のバックアップも得て、高性能化・コンパクト化などを試みました。しかしコストダウンがなかなか進まないのです。新型冷蔵庫は、電圧をかけるユニットがミソになるのですが、それをOEMで生産を委託していたので、コストダウンといっても限度がありました。そこで部品・部材は外部から仕入れるものの、組立・製品化は自社で行うようにしました。ポリテクセンター富山で取った電気工事士の資格がここで生きてきたのです」
 山崎社長は満面の笑みを浮かべて語った。
 そして試作機ができ上がると、知人や関心を持って連絡してきた飲食店の協力を得て、数週間程度の貸し出しによる実地検証を実施。野菜、果物、魚介類、肉など食品ごとの鮮度保持の様子を調べ、新型冷蔵庫の完成度を高めるためのデータを取り始めたのだ。
 こうした地道な検証作業を通じて、新型冷蔵庫は4つの扉・4つの冷蔵室を持つことに。冷蔵室ごとに設定温度を変えられるようにし、食品Aはマイナス2度の冷蔵室、食品Bはマイナス4度の冷蔵室にというふうに、冷蔵庫のよりよい使い方も明らかにしていった。
 この取り組みが飲食店等に伝わると、ポツポツとオーダーが入り始めたのだが、ここで山崎社長は新型冷蔵庫の販売価格や新型冷蔵庫の海外展開の可能性について検討するため、2度目の未来塾受講を決意した。
 こうして平成30年度(14期)の未来塾に再び入塾し、新型冷蔵庫の本格展開を模索。開発費の積算、生産の仕方やロットを変えての原価計算を繰り返すとともに、飲食店オーナーとの商談などから得た情報を参考に、販売価格を試算した。また海外展開では、「富山湾の鮨ネタをドバイに」という視点でビジネスモデルを考案。県内の魚市場を出た鮮魚がすぐに新型冷蔵庫に入れられ、ドバイの和食店はもちろんのこと、そこに至るまでのトラック、飛行機、列車などの交通機関すべてに新型冷蔵庫を据え付ようという、壮大なビジネスプランを立てたのだ。

売れ始めた新型冷蔵庫

「今年の秋から、大島店で新しいことを始める」
と予告された山崎社長。
10月下旬にはスタートする予定。

 「例えば、生肉を屋台で販売しているような国では、この新型冷蔵庫が普及するまでに時間がかかるでしょう。しかしながら資金的余裕があり、また日本や欧米の食文化に理解があるドバイのような国や経済発展が著しい国では、この冷蔵庫の付加価値を認めてくれると思います。海外展開については、長期的に取り組む課題だと思います」と山崎社長は語り、冷蔵庫の価格について、富山県内のある有名な鮨店の話を持ち出した。
 その店主いわく。
 「どんなに性能がよくても、個人の飲食店が冷蔵庫1台に400万、500万円の投資をすることは難しい。200万円程度なら、がんばって投資分を回収しようという気にもなるけど・・・」
 この言葉が、山崎社長の心をとらえたのである。新型冷蔵庫の価格については、4ドアの業務用冷蔵庫と電圧のユニットをセットにして200万円(税別)に設定。500万円程度を予定していたところから見ると、半額以下になったわけだ。
 その鮨店では、新型冷蔵庫の導入により食品ロス(ネタの廃棄)が激減。いいネタを安く購入して繁忙期に販売する工夫もされ、導入から4カ月弱で、冷蔵庫への投資分が回収できたそうだ。また鮨店の店主から話を聞いた一つ星のフレンチ店のシェフが、その導入を進めるなど口コミで売れ始めたのである。
 最後に、起業してからの8年についての感想をうかがった。
 「『3年続かないベンチャー企業が多い』などと、未来塾の講師の方に目を覚ましていただいたおかげで、今日まで続けることができました。新型冷蔵庫については、それ専業でやっていたらここまで持たなかったでしょう。『梨や柿の鮮度が数カ月持つ』と言っても、初期には誰にも信用していただけませんでした。ファストフードやソフトクリームで会社に体力をつけながら進めてきたのがよかった。それと最近つくづく思うのは、『いろんな人々とのご縁によって生かされている』ということです。ファストフードを始めたのも、ソフトクリームを始めたのも、冷蔵庫の開発を始めたのも、そして色々な場所にお店を出せた事も、人との出会いがきっかけで、そこから話が発展しました。もちろんTONIOさんとの出会いも・・・」
 当機構と未来塾講師との出会いが、事業拡大にお役に立っているようならば、望外の幸せである。

株式会社DQ Solution
〒939-0285 射水市本開発198
TEL0766-54-0656 FAX0766-54-0668
URL https://www.dqs-hp.com

作成日  2020/10/16

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