TOP > 世界をリードするアジア経済交流 > 第32回 株式会社加積製作所
「パネルラジエーターの製造拠点をアジアに!」
同社の海外展開を経験豊富なマネージャーが支援
滑川の加積製作所本社。主力製品はパネルラジエーターで、
made in Japanの表記ができる数少ない専業メーカーである。
滑川市に本社を構える(株)加積製作所。電力会社や大工場などの変電所で使われる大型トランスの冷却器(パネルラジエーター)のメーカーで、競合各社が拠点を海外に移すようになったため国内唯一の専業メーカーといってもよい状況に。海外からの輸入製品に比べて、品質面で圧倒的な優位性を保っているため経営は安泰かと思いきや、国内市場そのものが縮小傾向にあるのだという。
「パネルラジエーターそのものは成熟商品で、各国での規格はだいたい決まっています。ですから新しい技術が導入されるとか、仕様変更などはほとんどありません。おまけに変電所などの限られた施設でしか使用されないため、電力関係の設備投資の動向が市場の活況を左右します。その意味でいうと日本のパネルラジエーター市場は10年ほど前から頭打ちになり、特に東日本大震災による原発事故以来、電力関係では設備投資の意欲が低くなり、国内唯一の専業メーカーといっても安心できない状況になっていました」
そう語るのは加積製作所のタイ法人・カズミタイランドのマネージングディレクターを務める轡田(くつわだ)幸夫さん。同社は今でこそタイでのパネルラジエーター生産にこぎつけ、販売先の開拓も進みつつあるところだが、当時はまさに暗中模索の状態。ここに至るには文字どおりの紆余曲折があったようだ。今回のレポートでは、加積製作所がタイでの事業を始めるまでの経緯を紹介しよう。
同社で海外展開を専任であたった轡田幸夫さん。本社では企画
室長を務めていたが、タイ工場の稼働開始に際してはマネージン
グディレクターに就任。
海外展開に当たって、同社がまず注目したのは、日本の製造業の多くがそうであったように中国だ。というのも、加積製作所の大口の取引先である某重電メーカーが、先行して中国で大型変圧器の製造を始めており、より信頼できるパネルラジエーターのメーカーを探していたため「中国での事業展開を検討しているのなら、役所の担当者や合弁の可能性のある中国企業を紹介しましょうか」と打診してきたのであった。
当時の中国は「世界の工場」と賞賛され、経済発展は破竹の勢い。競合メーカーが先に事業展開しているとはいえ、伸びしろを考慮すると魅力的な市場環境であるのは間違いなかった。中国国内での電力関係の設備投資は、産業用・民生用ともに十分に見込むことができる。加積製作所にとっては、重電メーカーからの誘いは、渡りに船のようなものだった。さっそく仲介を依頼し、役所の担当者や合弁の可能性のある企業をいくつも紹介してもらい、重電メーカーの工場からそう遠くないところを工場予定地にするなど、まさにトントン拍子に話しが進んでいったのだ。
ところが、である。
合弁企業の設立についての交渉も順調に進み、1~2週間後には契約書を交わすことになるのでは……、と見込まれたところで話しが急に進まなくなったのだ。原因は合弁期間の設定にあった。加積製作所側はできるだけ長い期間を希望し、10年あるいは20年の契約を想定し、更新による延長も望んでいたのだが、相手先は5年を主張。その口ぶりからは、更新による延長は期待できない様子であった。
「当社なりに情報収集してわかったのは、合弁相手は5年間で当社の技術を吸収して、その後は独自に、より高品質のパネルラジエーターを生産することを狙っていたようです。当社にしてみたら、技術を移転するだけになりますから、それ以上話を進めることができなくなりました」(轡田さん)
同社主力製品のパネルラジエーター。
ちなみにこれはmade in Thailand。
結局のところ、この事業計画は白紙に戻し、同社では再び海外展開の道を探ることに。中国のみならず東南アジアにも視野を広げて調べていた矢先に、東日本大震災(2011年3月)が起きたのだ。この地震により、福島第一原発で事故が発生。そして日本の原発のほとんどが止まり、電力各社の設備投資への意欲が低下したのは先述のとおり。同社にとって、海外での展開は急務となった次第だ。
「地震の数カ月後に、新世紀産業機構に県内中小企業の海外展開をサポートするマネージャーがいることを知り、訪ねてみました。担当マネージャーは商社OBで、東南アジアでの駐在経験も豊富な方でした。そのマネージャーから台湾やタイでの可能性についてアドバイスしていただきました」
轡田さんは当時を振り返って以上のように語るが、同社の別の取引先が台湾でパネルラジエーターの生産を始めていたこともあり、まずは台湾に興味を覚えたという。加えて翌2012年4月に富山—台北間に直行便が開設されるための準備が進められており、県内企業の台湾での事業展開は注目度を増すばかり。そうした中、轡田さんは直行便就航後に催された当機構主催の台湾貿易投資商談ミッションに参加したのであった。
「ミッションに参加した後の情報収集は、富山県が設置した『台北ビジネスサポートデスク』を通じて行い、現地企業との面談の段取りもお願いしました。いくつかの企業と面談し、技術的にはまったく問題ないことがわかりましたが、台湾の市場規模が期待したほど大きくないことも同時にわかりました。そうすると台湾での販売だけでなく、台湾からの輸出も図らなければなりません。当社ではそこまで手を回すことはできないだろうとの結論に至りました」(轡田さん)
結局、台湾への進出も断念したのである。
カズミタイランドの外観と事務所スタッフ。轡田さんと工場長以外は現地の
タイ人。
残ったのはマネージャーが推薦したタイだった。同社では、東南アジアの国々にも視野を広げ、再び検討を開始。電力関係施設への投資の伸びしろの他に、部材調達のしやすさなども勘案して、マネージャーの推薦どおりタイに的を絞ったのだった。その決断を後押ししたのは、ちょうどそのころ富山で開催されたタイ投資委員会(BOI)の投資セミナーに参加して好感触を得たことと、先行してタイに工場を構えている県内企業から、タイの生の情報を得ることができるようになったことだった。
「2012年の秋ごろから頻繁にタイに行くようになり、産業集積の状況把握や、どの企業団地が適しているかなどの視察を社長とともに重ねてきました。その結果、タイへの進出を決めたのは2013年夏頃で、プラチンブリ県の工業団地で用地取得の契約をしたのはその年の暮れ。翌年の6月には法人登記を済ませ、11月には工場の建設を始めました」
加積製作所にあっては、企画室長のポジションで海外展開について専任で当たっていた轡田さん。中国での交渉など数々の経緯を思い出して「やっと工場建設にたどり着いた」と感慨深く語るのだが、タイに詳しい当機構のマネージャーや現地の日系企業などからのアドバイスを基に、初期の現地通訳の確保、創業時の総務マネージャーの確保、建設会社の選択、BOIへの申請業務などを行っていったのである。
そして工場が完成したのは2015年6月。さっそく機械等の設備を入れ、試運転を開始。同時に申請どおりの工場になっているか、排水などの環境対策は満たしているかなどの役所(工業省MOI)の審査を受け、カズミタイランドは8月から操業を開始。“made in Thailand”のパネルラジエーターの製造を始めたのだ。
カズミタイランドのメンバーは、工場7人、事務所5人(轡田さん含む)の合計12人で、轡田さんと工場長以外はタイ人だ。ほかに滑川の本社から派遣されたマイスターが2人いて、技術指導に当たっているという。
「技術を吸収しようとする意欲は、日本人より高い。ですからパネルラジエーターの品質も日本のものに比べて遜色ないレベルまできつつあります。後は販路の開拓で……」
営業は、本社企画室長からカズミタイランドのマネージャーに横滑りした轡田さんの仕事だ。昨年(2015年)8月に生産ラインを動かし始め、この取材まで約4カ月。成果は出つつあるのかと尋ねると「すでに1社には納品させていただき、他4社とは製品仕様の摺合せ中です」と返ってきた。
その社名をここで明らかにすることはできないのだが、よく知られた日系企業と世界的な電機メーカーばかり。仮に検討中の4社が、カズミタイランド製のパネルラジエーターに全て切り替えたと仮定すると、現状7人の生産態勢をフル稼働で想定した55人態勢にしなければならない状況だという。
そこでさらに尋ねてみた。「仮に近い将来、フル稼働の55人態勢での生産になり、さらなる拡充が求められるようになったら、どうしますか」と。
轡田さんは「仮定とはいえ、早くそうなったら嬉しいのですが……」と前置きして、「敷地にはまだ半分(約1万平米)の余裕がありますから、そこでの工場増設の可能性があります」と続けた。そしてさらに「東南アジア全体の経済状況によっては、タイで生産して隣国に輸出するより、その国での生産を検討するようになるかもしれません」と付け加えるのであった。果たしてそれは、ベトナムかミャンマーか。
以上はあくまでも仮定の話だが、雲をつかむような話でもない。カズミタイランドの創業メンバーは、これを“捕らぬ狸の皮算用”にしないよう、2016年の始まりに誓ったのであった。
○問合せ先
(公財)富山県新世紀産業機構 環日本海経済交流センター
所在地 富山市高田527 情報ビル2F
TEL 076-432-1321 FAX 076-432-1326
URL http://www.near21.jp/
作成日 2016/01/06