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第81回 楽ya(たのしや)

定年前に好きな五平餅で創業

「生涯現役で焼き続けたい」

姫野さんの開業前に、五平餅の焼き方を最終確認する
師匠の木挽小屋の君子さん(写真上、右側)と、姫野
さん(同、左側)。写真下は、「楽ya」で五平餅を焼く
姫野さん。

 ここに一葉の写真がある。撮影日は令和4年5月1日。炭火を囲んで、五平餅を焼く様子を収めたものだ。
 マスク着用のためわかりづらいが、右の「おばあ」は飛騨清見・せせらぎ街道沿いでは知る人ぞ知る、五平餅づくりの名人(木挽小屋の君子さん。通称「おばあ」)。左はその弟子で、このレポートの主人公「楽ya」(たのしや)の店主・姫野裕子さんだ。
 写真は、姫野さんが五平餅の販売(最初は、移動販売から)を始める少し前に撮ったもので、いわば卒業試験を記録したワンショットである。
 姫野さんが思い出を振り返る。
 「私は、おばあ直伝のレシピを少しアレンジしましたが、おばあは『自分のやり方を大事にしたらいい』と認め、『ただし、醤油だけは地元産を使え』とアドバイスしてくれました。そして焼き上がった五平餅を頬張ると、『おめえの五平餅はうめ〜。やっぱり富山は米がうまいから、五平餅にしても最高だ』と喜んでくれたのです」
 卒業試験に合格した姫野さんは、自宅前での五平餅の振る舞い(販売ではなく試食品を配って意見を聞く)に始まり、のちには保健所に届けて移動販売から始めるのだが、三十数年間のサラリーマン生活に終止符を打って、なぜ楽yaを始めたのか、名人おばあも唸(うな)る楽yaの五平餅にはどんな特徴があるのかを、このレポートで紹介しよう。

「五平餅屋を始めよ」の声が降ってきた

高岡市の五十里地区にあった農家の納屋(写真上)を、
田舎喫茶、農家喫茶の佇まいに改修した。昔ながらの
太い柱、梁をそのまま活かしている(写真中・下)。

 もともと五平餅が好きだった姫野さん。利賀・五箇山・飛騨高山などを旅した際には必ずと言ってよいほど、その地の五平餅を食べてきた。その機会のひとつ、平成27年のこと。飛騨清見のせせらぎ街道を旅した際、知人から「木挽小屋の五平餅はうまいから一度食べてみたらよい。日中、店に行っても売り切れているから、開店数時間前に行けばよい」と勧められたそうだ。飛騨の知人の別荘に泊まって朝7時頃に木挽小屋に行ってみると、入り口に予約票が吊されて、先着順に名前と希望の本数が書き込まれていた。
 「SNS上には、『いつ行っても売り切れ』『幻の五平餅』と言われていましたが、予約票を見てそれが理解できました。その頃おばあは、多分50〜60本くらいの五平餅を毎日焼いていたと思われますが、予約だけで完売になっていたのです」(姫野さん)
 その「幻の五平餅」を食べた姫野さん。「今まで食べた五平餅はなんだったのか」と感動し、以来、頻繁にお店を訪ねるように。そのうちに「このおいしさをもっと広めたい。そのためには私が五平餅屋を始めるべきだ」という声がどこからともなく降ってきたそうだ。
 それをおばあに伝えると、「儲からんぞ」と一言で切り返されたという。それでも諦めずに、何度も通ううちに弟子入りが認められ、米の炊き方、タレのつくり方、五平餅の焼き方などのレシピを教わり、実地指導も受けるようになったのだ。

移動販売から開始

店舗を構える前は、移動販売しながら楽yaのPRも
兼ねて五平餅を販売してきた。写真上は御旅屋通り
セリオ前、写真下は道の駅「万葉の里高岡」前。

 創業を具体的に意識し始めた令和3年のこと。姫野さんは高岡商工会議所が開催していた「創業セミナー」を受講。そこで「飲食店経営に詳しい人がいる」と富山県よろず支援拠点のコーディネーターを紹介され、指導を仰いだのだ。
 「コーディネーターからは飲食店経営のツボを教えていただき、『早く商品を完成させ、1畳の広さでもいいからとにかく店を出して、お客さんの反応を確かめたらよい。軌道修正はできるから』と何度も背中を押されました」
 と姫野さんは振り返るが、令和4年の春頃、まずは自宅前にテントを張っての五平餅の振る舞い(無償で配布)からスタート。近所の方々や友人・知人に五平餅を試食していただき、味や食感などについての意見を求めたのだ。
 この頃の姫野さんの五平餅は、今とはまったく違っていた。一番の違いは、タレだ。エゴマと味噌、砂糖を使った甘じょっぱいところは似ているのだが、当初は水分が多く「シャバシャバしていた」(姫野さん)。焼き上がって食べようとすると、タレが垂れてきて手をべとべとにしたという。初期の串は短かったため、垂れて落ちてくるのも早かったそうだ。
 モニターから上がってくる苦情を、改良のための意見ととらえ、一つひとつ“つぶしてきた”。そしてその年の11月、知人がドッグランで開催しているフリーマーケットに、移動販売として出店したところ「おいしい」と評判に。それを機に地元のイベントやお祭り、道の駅「万葉の里高岡」などでも、簡単な屋台(焼き台)を構えて販売をするようになったのだ。

農家の納屋を改装して創業

楽yaの五平餅の焼き方は、炭火を遠巻きに囲むように
串を刺し、焼き加減を見ながら遠ざける(写真上)。
食する前にタレを塗っていない方を少し焼いて軽く
おこげをつける(写真下)。

 こうして移動販売を行うようになると、実際にお店を構えての営業も考えるように。そのことを念頭に勤めを辞した姫野さんは、クラウドファンディングを活用して、使われていない農家の納屋を購入して改装に着手。当機構の「ワクワクチャレンジ創業支援事業」(令和5年度)の採択も受けて、古びた納屋を和風の喫茶店へと生まれ変わらせたのだ。
 楽yaが暖簾を出したのは令和5年9月のこと。新型コロナウイルス感染症の流行は徐々に落ちつき、人出や街の賑わいが戻りつつある時であったため、期待を背負っての船出であった。
 ここで楽yaの五平餅の特徴を記そう。
 ほぼ円形で、大きさは直径10cmほど、厚みは1cm弱で一般的な五平餅に比べると若干小ぶりだ。タレはエゴマと味噌、砂糖を合わせて甘じょっぱくまとまり、水分は少なく垂れ落ちることはない。タレは五平餅の片面にたっぷり塗り、もう一方は火に炙って軽くおこげをつくる。多くの五平餅は両面にタレをつけるが、姫野さんは片面におこげをつけることで、異なる食感を楽しむことができるよう工夫したのだ。
 お米にもこだわった。おばあは「やっぱり富山の米はうまい」と唸ったそうだが、姫野さんは県内のある地域で生産されるコシヒカリに着目。「もちもち感がすごい」と評判のコシヒカリを用いているのだ。それも炭火でじっくり焼いて。多くの五平餅屋はガスや電熱を用いて、焼き鳥を焼くようにくるくる回して焼くが、姫野さんは炭火にこだわった。
 「炭火の遠赤外線の効果でしょうか。表面はカリッとしていますが、中はふわふわ。遠火でゆっくり焼いて、加減を見ながら火から遠ざけるので硬すぎることもなく、本当に香ばしいのです」(姫野さん)
 ここで編集子と機構の同行者は一度取材を止めて試食させていただいた。さすが「おばあが唸った」五平餅である。口をそろえて「うまい」「おいしい」とおばあ以上に声を上げたのだった。

                   *    *    *

のちにメニューに加えたえごまジェラート(写真上)と
定食の「肉吸いランチ」のB定食(写真下)。商品数を
増やしたことにより売上げ、利益も改善しつつあると
いう。

 お店の経営状態は・・・?
 初期は五平餅とお茶だけでスタートしたのだが、客単価が伸びないところからエゴマを使ったジェラートや豆腐、シフォンケーキなども販売するように。昨年の暮れからは五平餅を使ったランチも始めた。また米を中心に各種材料が値上がりしていることから上代も少し上げたという。
 「会社員勤めの時より収入は若干減りましたが、そろそろ私は定年を迎え、再雇用になるにしても数年先にはリタイヤします。定年前に、自分の好きなことで起業できたことは、すこぶるよかったと思っています。おばあは90歳くらいまで五平餅を焼き、そのあとは息子さんに店を任せました。私も90までとは言いませんが、体が元気なうちはこの五平餅を焼いて、皆さんに喜んでいただきたい」
 姫野さんは目を輝かせてこう語り、再び五平餅を焼き始めた。

連 絡 先 :楽ya

所 在 地 :〒933-0985高岡市須田81

従 業 員 :0名

TEL    :090-2092-6201

Instagram:https://www.instagram.com/egoma.tanoshiya/

作成日  2025/3/24

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