TOP > 未来を創るアントレプレナーたちの挑戦 > 第78回 株式会社オカッテン
「生涯現役で働きたい」を実現するために
自分のお店を持った!
起業前の3年間、経営や集客について学んでからお店
を持った、オカッテンの代表を務める坂倉有紀子さん
(写真上)と「ぺんぎん食堂」の入口(写真下)。
「自分のつくった料理を目の前で食べていただいて、その反応を見たかったのです。それを突きつめていったら、今のようなお店をやることになったのです」
富山駅の近くで、居酒屋のように少しお酒が楽しめる「煮込みと惣菜(そうざい)の店 ぺんぎん食堂」(以下、ぺんぎん食堂と略す)とおむすび・お弁当のお店「つぶ屋」(現:(株)オカッテン)を営む坂倉有紀子さんはこう語るが、氏はお店を始める前は、富山市内の小学校で給食の調理員をしていた。起業の思いが芽生えたのは、調理員として働き始めて7年ほどが過ぎた時のことだ。30歳になった坂倉さんは自分を見つめ直す機会を得て、「この仕事を一生続けるのか。他に合った仕事があるのではないか」と模索し始めたのだった。
ただ、最初から居酒屋・惣菜販売のお店で起業しようと決めていたわけではなかった。先入観をなくし、長く続けていける仕事は何か、自分の好きな仕事は何かを探るために、「得意・不得意」、「好き・嫌い」の2軸のマトリックス分析表に、自分自身のことをプロットしたこともあるという。その結果、飲食店・居酒屋の経営が高位に位置づけられたのだった。
起業の芽がふくらんだ。
同店のテイクアウト惣菜の一例。予約によりオードブル
なども受け付けている。商品代金1万円以上で、富山
市内への配達も可。
「もともとお酒が好きだったので居酒屋には興味があったのですが、私は定年を過ぎても働きたいと思っていました。東京の浅草に、ホッピー通りという大衆酒場が並ぶ一角があります。ちょっと腰の曲がったおばあちゃんが、仕事帰りのサラリーマン相手にお店の切り盛りをしている。私もああいうふうに、生涯現役で働きたいと常々思っていたのです」(坂倉さん)
そこに惣菜販売が加わったのは、それまでの勤務経験からだ。給食づくりの職場では女性の働き手が多く、仕事と子育て、仕事と家事の両立に悩む同僚を目の当たりにしてきた坂倉さん。そのたびに「世の中にはこういう女性が多くいる。なんとかサポートできないか。気軽に惣菜を買って帰ることのできるお店があれば…」と思うようになったという。そういうところから、のちに「ぺんぎん食堂」と名づけられたお店では、テイクアウトの惣菜販売も事業の柱にすることにしたのだった。
起業が選択肢の一つになって、坂倉さんは勤めが終わった後で図書館に通うように。創業や経営についての本を借り、また事業計画の書き方なども独学で学んだ。図書館には3年近く通い、「はやるお店づくり」などの本も読みあさった。
SNSでの情報発信にも努めたという。その内容は、おいしい食べ物についての情報、おいしい料理を出す飲食店についての情報だ。誰にも忖度(そんたく)することなく、坂倉さん自身がおいしいと思ったものをSNSに上げ、「この人の食べ物情報は本物だ。ウソがない」とフォロワーの信頼を得ることを心がけたという。そしてお店をオープンする8カ月前の平成30年2月からは、ぺんぎん食堂オープンの予告も時々発信し、お店のファンづくりに努めたのだった。
令和2年4月、最初のコロナ蔓延の際に用意した4店
合同の弁当配達をお知らせするチラシのタイトル部分。
時には酒問屋の配達員の協力も得るなどして、弁当の
配達を行ったという。
「図書館に通って経営について学んだおかげで、金融機関に融資の依頼をする際に添付する事業計画書なども自分で書けるようになり、実際、自分でまとめました。また8カ月前から、SNSを通じて地道に店のオープンをPRしてきたのが功を奏して、最初の3〜4週間は何をしたのか記憶がないほどの忙しさを経験させていただきました」
坂倉さんはオープン当初をこう振り返るが、客足は翌年も途切れることがなく、お店は追い風に吹かれ続けたという。
突然の向かい風は、新型コロナウイルス感染症の蔓延によってもたらされた。富山県では令和2年3月30日に1人目の感染者が出現。翌日から外出が自粛されて、各種小売店は大打撃を受けた。もちろん、ぺんぎん食堂も例外ではない。ただ、同店ではもともとテイクアウトの惣菜販売に取り組んでいたため、その対処は極めて早かった。
「4月1日には、ウチのお店のほか3店と協力して『ブレーメンの弁当配達し隊』をつくり、弁当や惣菜の配達サービスを始めることを決めました。そしてすぐにチラシをつくり、4月10日過ぎにはポスティングや街頭での手渡しを始めたのです」(坂倉さん)
配達可能な地域は、JR富山駅を中心に、おおむね半径5km、午前11時から午後5時までの受付。商品代金は2000円以上で、1配送につき500円の配達料をいただいた。この配達サービスは、最初のコロナ感染のピークが収まった6月まで続き、4店の窮地を救ったのだった。
ぺんぎん食堂の2階に設けた「つぶ屋」のおむすびと
お味噌汁(写真上)と、1階のぺんぎん食堂の入り口の
そばに置いた惣菜の自動販売機(写真下)。惣菜は
真空パックされているため、持ち帰ってすぐに食べる
ことができる。
コロナの猛威に曝(さら)されながらも、オカッテンは意気軒昂だ。令和2年度には当機構の「富山県地域企業再起支援事業費補助金」の採択を受けて、テイクアウト用の容器の購入とオリジナルのエコバッグの作成にあてた。エコバッグは惣菜の高額購入者のプレゼント用に使ったのだが、たくさん入れられて便利だと口コミで広まって、惣菜の販売増に結びついたという。
また同年にはコロナ禍中にもかかわらず、町のにぎわい創出や雇用の拡大に貢献する姿勢が評価され、富山市の「ヤングカンパニー大賞奨励賞」に選ばれ、さらなる飛躍が期待されたのだった。
そして翌年度、「富山県中小企業リバイバル補助金」の支援を受けて、ぺんぎん食堂の2階をおむすび・お弁当のお店「つぶ屋」に改装して、事業を拡充したのだった。
事の経緯を坂倉さんが語る。
「別なお店がテナントとして入っていたのですが、引越されて空き店舗になっていました。そこで『ぺんぎん食堂』の宴会場用に借りようかと思っていたのですが、コロナの蔓延により利用法を改めて検討しました。テイクアウトの需要が増えていましたので、おにぎりとお味噌汁が楽しめ、弁当やオードブルも販売する『つぶ屋』にし、大量のオーダーにも応えられるよう厨房機器の充実を図ったのです」
坂倉さんによると、団体客による宴会需要には波があり、2階の利用法について迷っていたらしいが、「コロナ禍によって再考の機会を得ることができた」と前向きに臨むことができたようだ。
さらに令和4年度には、「富山県中小企業ビヨンドコロナ補助金」の後押しを受けて、惣菜を真空包装するマシンと、真空包装された惣菜を販売する自動販売機を導入したのだった。この自動販売機の売り上げが予想外に伸び、「導入から4カ月もしないうちに自販機導入の代金分は回収できた」(坂倉さん)というから驚きである。
さてここまでお店の運営が順調に進むと、“他の町で2号店を”と考えがちであるが、坂倉さんにはそれはない様子。「私は生涯現役で働く場が欲しかったので、このお店をつくったのです。2号店、3号店をつくってもそこで私は働くわけではありません。店長を置いて、お店の運営を任せるというやり方もありますが、それだったら私はその人の独立を支援したい」と語り、アントレプレナーの片鱗(へんりん)をのぞかせたのであった。
連 絡 先 :株式会社オカッテン
所 在 地 :〒930-0092富山市安田町1-10
事 業 :居酒屋の運営、惣菜やおむすび、お弁当、オードブル等の製造・販売
T E L :076-471-5155
作成日 2024/3/8