TOP > 未来を創るアントレプレナーたちの挑戦 > 第50回 株式会社キレイサービス
子育て中にヒントを得てお店をオープン
足元を固めていずれは県外展開も!
子どものアレルギーを軽くしたい一心で掃除の技術
を学んだところからヒントを得て起業した中田千晶社
長。
今回のお店訪問の主人公は中田千晶さん。もともとは結婚式やイベントの司会を生業(なりわい)としていたのだが、子育ての過程でハウスクリーニングでの起業を思いついたのだそうだ。
「私の子どもは、乳児の時からぜんそくやアトピー性皮膚炎などに苦しんできました。掃除機をかけるとごほごほ咳き込むし、紙おむつではお尻が蒸れて赤くなるため布おむつをしていたのですが、それでも時々赤く腫れていました。そこで医師に相談したところ、水拭きしてから掃除機をかけるとか、水フィルターを使うことを勧められました。またおむつを洗う洗剤も、無添加のものがよいと勧められ、さっそく使ってみると症状がすごく軽くなったのです。こうした経験をとおして掃除や家事に関心を持つようになりました」
中田社長は10年前を振り返ってそう語るが、その後間もなく、掃除の技術を学びたい一心であるハウスクリーニング会社に就職。その時点では「創業については露ほども頭にはなく、子どものアレルギーを軽くしたい」という思いで胸がいっぱいだったという。
掃除スタッフとして中田さんは、オーダーをいただいた客先での業務に勤しむことに。そうしたある日、客先で強アルカリ性の洗剤を使ったところ、洗剤が少し目に入って涙が止まらなくなったのだ。
「その時私は、単に掃除の技術を学ぶだけでは不十分で、汚れの成分や特徴、洗剤の性質など掃除に関する幅広い知識が必要だと実感しました。そしてネット検索で見つけた日本ハウスクリーニング協会がエコな洗剤を使った掃除を推奨していましたので、今度はそちらで勉強することにしたのです」と中田社長は語り、「人や環境に優しい掃除術を一通り学んだ後で、アレルギーの子どもを持って困っているママを中心に、これを伝えたいと思うようになりました」と続けた。
ここで中田社長は、ハウスクリーニングのお店を出すことを秘めたのだ。ただお店を出すといっても、どのように創業し、集客したらよいのかわからなかった。そこで折よく高岡商工会議所で始まった創業塾を受講しながら、開店の準備を進めることに。時は平成20(2008)年9月。母親の目を掃除に向けたあの子は3歳になっていた。
キッチン、風呂、トイレなどの水まわりの掃除の他、エアコンのクリーニングも。他に家事代行
も行っている。
「創業塾は10回コースでその年の9月から始まり、3ヵ月ほどで修了しました。中小企業診断士の方が講師をされ、創業して何をしたいのか。他社との違い・自社の強み、売上計画などをフォーマットに従って記入し、講師に添削していただきました。それを通して、事業として自分が何をやりたいのかを明確にしていきました。今だからいえるのですが、それはビジネスプランの作成でした。ただ当時の私にはそれを理解するバックグラウンドがなく、講師にいわれるままに書類を書き、また必死になって他の受講者の後を付いていっているようなところがありました」
とはいいながらも中田社長は創業塾修了間際の11月11日にお店をオープン。高岡商工会議所の相談員とともに不動産屋を回って、「やっと見つけた」一室で創業の旗を揚げたのだ。
「高岡市内の不動産屋を何軒も回りましたが、『これから創業』『掃除の会社』という言葉を発した途端に断られました。これだけ空き店舗があるのに……と悔しい思いをしましたが、信用のない会社の悲哀を実感しました。テナントとしての入居をOKしてくださったのは、チャレンジショップ用に店舗を貸し出した経験のあるビルのオーナーでした」(中田社長)
後にこのオーナーはキレイサービスのよき理解者になり、テナントスペースが空いた際に掃除の発注をしてくれるようになったばかりでなく、他のビルオーナーにも紹介してくれるなど顧客開拓に力を貸してくれるようになったのだ。
ただ、顧客開拓の主役はあくまでも中田社長の双肩にかかっていた。そこで力を発揮したのが、ハウスクリーニングを紹介する同社のホームページで、それは創業塾にゲスト講師として招かれたあるホームページ制作会社の社長に依頼してアップされたものだ。
「その社長は、県内のホームページ制作会社の経営者としては先駆的な方で、塾で語られた言葉が印象的でした。いわく『当社は客先から報酬をいただいてホームページをつくってきましたが、本当のお客さんはそのホームページを見て商品を買ってくださるエンドユーザーでした。そのエンドユーザーの気持ちを理解しないでホームページをつくってもダメだ、とある時気づいたのです』と。その言葉を聞いて、当社のホームページをつくる人はこの人をおいて他にはいない、と確信したのです」
こうした決意を秘めて高岡商工会議所の相談員とともに件(くだん)のホームページ制作会社を訪問。相談員からは「あの社長は大変忙しく、創業間もない会社の依頼は引き受けていただけないのではないか」と事前に聞かされていたのだが、中田社長の気迫に押されたのか、ビジネスプランを詳しく聞き込んだ後で、「予算はこれくらい。こんな写真を用意してほしい」と掃除にまつわるいくつかのシチュエーションを提示してきたという。また、この時点ではまだ決まっていなかった同社の社名も一緒に考えてくれて(中田社長は「リフレナチュラルサービス」を社名の第一候補にしていたが……)、“覚えやすい社名、事業が想像しやすい社名、ネットで検索した際上位にくる社名”というところから「キレイサービス」に落ちついたのだそうだ。
キレイサービスの事業について紹介する地元紙の記事(北日本新聞
H23.12.23)。他の新聞やテレビなどの取材も多数受けた。
こうしてキレイサービスは設立された。当初は個人創業で、常勤は社長1名、外部スタッフ3名。自社のホームページでのPRのみだったため産声は極めて小さいものだったが、地元の新聞社が聞きつけて記事にした他、テレビ局も取材に訪れ中田社長の創業を報道。おかげで掃除の依頼がポツリポツリと入るようになった次第だ。
「赤字にはなりませんでしたが、資金繰りが順調だったわけではありません。そこで週末の司会業はしばらくの間は続けました。そうした折、『とやま起業未来塾』を卒業した知人から『未来塾に参加してビジネスプランを練り直すとともに、損益分岐や資金繰りなど、経営の細かいところを勉強した方がよい』と勧められて、平成22年の春から学ぶことにしたのです」(中田社長)
中田社長によると、最初のうちは掃除要員である外部スタッフ(3名が交代)と社長がペアになって客先に出向いたのだそうだ。そして社長は、掃除箇所の確認など仕掛かり時の顧客対応が終わると車の中で着替え、スタッフと一緒に掃除にあたった。その際の外注費は、客先よりいただく代金の半分以上を占めていたため、“働けど働けど……”に近い状況になったのである。これを半年ほど続けるうちに、外注費が適正でないことと、外部スタッフを使っていたのでは作業効率が悪いことがわかり、一転して今度は外部スタッフの従業員化(ただしパート)を模索。試行錯誤を繰り返す中で経営は徐々に安定してきたのだが、経営についての基礎を学びたいという思いがますます強くなって未来塾の受講と相成ったわけだ。
平成22年度とやま起業未来塾最後の日に、キレイサービスのビジネスプランを発表
する中田社長。最優秀賞に輝く。
入塾した当時を中田社長が語る。
「未来塾では、小学校等でいう“担任”みたいな講師の方2人についていただいて、経営について1〜10まで教えていただきました。最も役に立ったアドバイスは、“掃除の仕方をマニュアル化し、スタッフの誰が客先に行っても社の基準で定めた品質の掃除ができるようにしなさい”というものです。また5Sについても勧められ、他には“本気でハウスクリーニングの事業を行う気持ちがあるのなら、法人化して組織をしっかりし、従業員の社会保障もきちんとしなさい。また県の経営革新計画の承認を得て、事業を発展させることを考えなさい”と強く提案されたことも印象に残っています」
経営革新計画の承認を得るとは、平たくいうと事業の効率化・合理化などを図って新しいシステムや機器を導入する際、その事業計画の承認を県より受け、その承認の下に金融機関から低利で融資を受けることだ。ここでのビジネスプランは創業塾や未来塾のものとは違って、より具体的な収支計画などが必要になるため、かねてから持っていたビジネスプランを細部まで見直すきっかけになったのであった。
続けて中田社長がいう。
「おかげで平成22年暮れの、未来塾修了時のビジネスプランの発表会では最優秀賞をいただき、翌年早々には法人化しました。また県の経営革新計画についても、23年早々に承認いただくことができました。経営について何も知らなかった主婦を、ここまで育てていただいたのは未来塾のサポートがあったからです」
平成26年10月に移転した国道156線沿いの本社。
平成20年11月、個人創業として滑走路を走り始めたキレイサービスは、23年1月の法人化とともに離陸し、上昇気流に乗り始めたのは法人化から4年目の平成26年に入ってからだ。前年の平成25年には「小さな元気企業応援事業」の支援を受けて、高岡市内の全家庭に新聞折込みのチラシを配布(月1回×6回)して、ハウスクリーニングの会社が地元にあることをPR。スーパーの特売チラシのような即効性はなかったものの、利用者がポツポツと現れた他、利用者からの口コミで新規の客先が開拓されるように。26年度の売上は前年度に比べて1.5倍になり、その勢いは翌年にも引き継がれるようになったのだ。
「この間、ハウスクリーニングだけでなく家事代行もサービスに含め、ますます注目されるようになりました。またお店を、ビルの一室から国道156号線沿いの一戸建ての店舗に移すと、お客様がさらに増えたようです」と中田社長は語り、店舗前の道路を観察していて時々目にする光景を紹介してくれた。それは概要次のようなものだ。
本社(高岡オフィス)の前を走る国道156線は交通量が多い。しかしながら前後にゆるいカーブがあるため、車はあまりスピードを出さない。そういう中で時々、速度を落としてお店の前を通り「ここにお店がある」とばかりに助手席の人が指差すケースがあるという。そういう方々はハウスクリーニングを依頼する前に、会社の所在を確かめているのではないかと推測されるそうで、そのしばらく後にサービス内容や料金などを確かめる連絡があるのだそうだ。
こうして富山市内からのオーダーも増え、平成27年9月には富山オフィスを構えることに。スタッフも社員17 名(パート含む)、外部80名を擁するまでになった。
「未来塾の時に立てた事業計画では、法人化から5年後には売上10億円を目指し、またいずれは北陸三県や東海地方にも支店を出す夢を持っていました。3年経った今、この夢の実現について検討してみると少し先に伸びそうですが、専門家派遣の制度を利用したり、よろず支援拠点のマネージャーに相談したりして社内の整備を図り、足元を固めてから積極的に多店舗展開を図りたいと思います」
中田社長がいう「社内整備」「足元を固める」とは、端的にまとめると17名の社員と80名の外部スタッフの一体化、サービスの高均一化などだ。急激に人数が増えたため「目の届かないところが増えてきた」というが、スタッフの意識を今一度高めようというのだ。そこで社を挙げてタブレット端末を使い、クリーニング技術の確認や品質の向上、作業の進捗状況、顧客情報などをスタッフ全員で共有するために、ICTの専門家を招いて指導を受けたのだ(平成26年度)。
「年配のスタッフもいますので、タブレットなどをなかなか使えない方もいるのですが、例えば、ある汚れを落とす技術について不確かな場合、タブレットで検索できますし、また写真にとって同僚に配信し、アドバイスを求めることができます。私たちの仕事の本質は、お客様との信頼です。お客様宅に上がり、台所や風呂、トイレの掃除をさせていただくというのは、信頼関係があってはじめて成り立つものです。地道に信頼関係を築いていく中で、多店舗展開が可能なのがわかってきました」
かつては経営のことを受け入れるバックグラウンドがなかったという中田社長だが、8年の経験を通して意識がまったく変わったようだ。
さて名古屋に支店が出るのはいつのことか。楽しみなところだ。
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作成日 2016/12/01