第37回 コンチネンタル株式会社 商談会、サポイン TONIO Web情報マガジン 富山

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企業活動には山あり谷あり。谷から脱却し、右肩上がりに導いた経営者のひと言には再起のヒントあり。

第37回 コンチネンタル株式会社

顧客満足度upを目指して技術を向上
今では大都市圏の工場もアテにして

1点ものの受注が多いため、仕掛かりの前には図面を見ながらの確認
も多いという。左は岡田俊哉専務。

 「私の父は、3人で始めた会社を60人にまで拡大しました。後を継ぐ私が、父と同様に会社の規模を20倍にする……。当社は板金業を営む会社ですが、それで1200人規模の会社に拡大することは、普通に考えるとあり得ません。板金だけでは300人も難しく、仮に規模の拡大を図ったとしても私の場合はプラスαの“メシの種”を考えるようになると思います。父には、創業者としての苦労があったと思いますが、それは私には味わえない。でも私には二代目の苦労があり、これは父には味わえない。だから私は二代目の苦労を楽しみたいと思っています」
 そう語るのは、ステンレス、鉄、アルミニウム等の精密板金、特に溶接加工を伴う板金が得意なコンチネンタル(株)の岡田俊哉専務。同社をそこまで育てたのが、専務が「父」と呼ぶ岡田幸雄社長だ。
 創業は平成3年。バブル崩壊の年だ。そこから続く景気の低迷は、後には「失われた20年」といわれるようになるのだが、まさかそんな20年が待っていようとは思いもせずに、前の会社の仲間とともに板金業を始めたのである。
 この20年で、日本経済は多くのものを失った。しかし同社は平成4年、14年、20年、24年と工場を新設・拡張し、“ほぼ右肩上がりの20年”の社歴を刻んできたのだ。「景気が下り坂の中で起業したのが、かえってよかったのではないか」と岡田社長は振り返るが、今回は精密板金が得意なコンチネンタル(株)の軌跡を追う。中小企業の後継者難が叫ばれて久しい中、頼もしい二代目も控えて同社はさらに伸びていくのか……。

失われた20年の間に工場の新設・拡張を

「5年先には、専務にすべてを譲るつもりだ」と公言し
ている岡田幸雄社長。経営の勘所は呉服問屋に勤め
ている時に養ったそうで、その時の社長には今も年1
回の挨拶は欠かさないという。

 岡田社長のビジネスの原点は、老舗の呉服問屋に勤めていた時に養われたという。いわく「顧客管理、受発注の管理、在庫管理、入出金の管理などを徹底的に訓練されました」と。それを起業前に勤めていた鉄工所で導入してみたところ、生産性が上がって利益率が改善したという。「それと同じことを独立後も続けただけです」と岡田社長は謙遜していうが、当時の板金業界では、そこまでの管理は珍しかったようだ。
 なぜか。バブル崩壊の前には、多少の波があったとはいえ好景気が長く続き、小規模の板金屋といえども仕事にあぶれることはほとんどなかった。おまけに家族経営的なところが多く、経営はいわゆる“どんぶり勘定”だ。それゆえ新しい仕事が始まる際の見積では、加工費や償却費などが正確に把握されずに見積されるケースも多々あったようで、そうした悪習から抜け出せなかっ企業が、景気変動の荒波の中で淘汰されていったのである。
 「景気が悪くなると、発注元はコストダウンの必要性が高くなって、当社のような起業間もない会社にも声をかけていただく機会が多くなるのです。その事情を理解して、少し安めに見積を出せば受注できるわけです。後はこちらが努力して、安くても赤字にならないよう、そして少しでも利益が出るよう工夫すればいいだけです」(岡田社長)
 そこで同社では、技術の向上のために惜しみない手間暇をかけた。最新鋭のマシンはお金を出せばどこの会社でも手に入れることができるが、それを使いこなす技術・ノウハウは社内で培っていくしかない。だから若手の社員にも積極的に仕事を教え、より難しい仕事を、より早くこなせるよう、社長みずからも新入社員を指導してきたという。
 「当社が創業した頃でも、まだ変な職人気質が残っていて、若手の技術者育成には無頓着な企業が多くありました。“技術は先輩から盗むものだ”とかいって、若手を野放しにしていたのです。私の考えはその反対で、若手には積極的に技術やノウハウを教え、生産性を高くしていくことが大事だ、と。それがこの業界での生き残り策の第一で、近い将来、技術者不足が深刻な課題になってくるだろうと予想していました」(岡田社長)
 安く受注して利益率が厳しくても、生産性を向上して2回目、3回目からは利益を確保できるようにしてきたのだ。だからこそ、「失われた20年」と世の中が騒いでいる間に、工場の新設・拡張を4度も成し遂げることができたのだ。

リーマンショックで前年比マイナス70%

比較的若い技術者が多いが、「徹底的に鍛えたから若くても腕は確か」
と岡田社長は工場内を案内してくれた。

 こうして順調に拡大してきた同社もリーマンショック(平成20年9月)の翌年は大打撃を受けたという。岡田社長が当時を語る。
 「売上げは前年比マイナス70%まで落ち込み、税理士からはリストラを勧められました。確か従業員は、35人くらいいたと思います。リストラを始めた同業者もありましたが、私は手塩にかけて育てた技術者を手放したくはなかった。景気が回復した時、技術者がいないと復活に向けて走り出せないからです。それで国の雇用調整の補助金を受けたのですが……」
 岡田社長は急に声の勢いをなくし「補助金を受けて雇用調整をし、週休3日を導入しました。その結果、休むのが当たり前という雰囲気が社内に蔓延し、客先から急ぎの仕事が入っても、「私にとっては休日だから」と、仕事を後回しにするような状態になったのだという。そこで岡田社長は補助金を返上し、リーマンショック前に事業拡張のために金融機関から借り入れていた資金を人件費に充て、自身は営業回りで靴の底をすり減らす毎日に。東京・大阪・名古屋周辺の工業地帯を飛び込み営業をし、どの板金屋も赤字になるからといって手を出さない安い仕事も受け、リーマンショック以前より遥かに忙しい状況をもたらしたのだ。
 「安い仕事ばかりですから、経理上は赤字です。でも余計なことを考える余裕もないほど忙しくしたら、皆モチベーションが高くなり、技術の習得も生産性の向上も以前より上がってきました。借り入れた資金を人件費に転用しての綱渡りの経営で、もう3~4カ月リーマンショック後の回復が遅れていたら、当社は潰れていたかもしれませんが、ギリギリのところで持ちこたえました。技術者をリストラした同業者の回復は遅かったのですが、当社は1人もクビにしなかったのですぐにフル生産に入ることができました」(岡田社長)
 その結果同社では、リーマンショックの影響で債務超過になったものの、回復後2年でそれを解消し、再び右肩上がりを続けるようになったのだ。そして、その時の積極的な営業が功を奏して、顧客数や製造する板金製品の品目数が格段に増加。顧客の6割が県外企業になり、今では毎月60社ほど(県内外合わせて)から3500種の板金製品の注文を受けるまでに。その内の50%以上が「1個の注文」だという。

大学の研究者も一目置く同社の技術

同社には意外と女性の職員も多く、「機械や工学などを高校・大学時に
専攻していなくても、入社後の指導で一人前の技術者に育てる」と岡田
社長は胸を張る。

 県外の顧客が多くなった背景には、岡田社長の積極的な営業展開の成果があるのだが、当機構もそのサポートをしてきた。そのひとつは、当機構が神奈川や大阪・名古屋などで開催している商談会で、同社はこうした商談会には積極的に参加してきたのだ。中でも特筆すべきは、同社のフォロー営業がしっかり続けられることにある。
 続けて岡田社長が語る。
 「1回のマッチングで成約に至る可能性は極めて低い。ですから数年先を覚悟して気長に待ちます。出張等で出かけた際に『所要でこちらの方に来て、時間に余裕があったので寄らせていただきました。実は今、御社ビルの1階ロビーにいます』と電話を入れると、富山からわざわざ来てくれたのだから……と会っていただけるケースが多い」と。
 気長に待つようになったのには訳がある。先述のように板金業界では昨今、技術者不足が課題になり始めているからだ。仮に今、板金の外注先が確保されていても、その技術者が定年等で退職した後も、品質を落とさずに仕事をこなすことができる板金業者が減っているのである。こうなると新たな外注先が必要になるわけで、その好機を逃さないために岡田社長はつかず離れずの営業を続けているのだ。
 そういう経緯をたどった上での受注例はいくつもある。中にはほぼ毎月、数十万円~百万円単位で発注してくれる企業が数社確保されているというから、岡田社長が数年待つというのも頷けるところだ。
 経済産業省のサポイン等の支援を受けての、機器の部材開発に乗り出したことも顧客を増やすのに役立っている。その代表例が平成22年度のサポインで採択となった「高透磁率材料を構造部材に用いた大型超高真空容器の開発」だ。この開発の幹事は東京のある会社で、その企業では、加速器で光の速さを増し、加速した光を物質に当て、反射した光を分析することによって物質の性質を明らかにする装置の開発を試みていた。その装置には、特殊合金を板金・溶接した部材が必要なのだが、その加工ができる工場を探していたようだ。
 「これは後からわかったことですが、真空容器の開発を試みていた研究者は、大学時代の友人に『パーマロイ78を板金できる業者を知らないか』とあちこち尋ねていたようです。その友人の中に、富山県工業技術センターに勤めている方がいて、『富山にコンチネンタルという会社がある。その会社なら多分できるだろう』と答えられたらしく、その後で真空容器の会社から連絡がありました。私どもでは、その方とも工業技術センターの方とも面識はなかったのですが、これをご縁にお付き合いが始まり、共同開発に参画させていただくことになったのです」(岡田社長)
 「パーマロイ78」とはステンレス合金の一種でニッケルが78%。ほとんどニッケルといってもいい合金だが、加工は極めて難しい。コンチネンタルの共同研究参画を聞きつけた、ある大学の溶接が専門の研究者が、“板金・溶接のノウハウを教えてもらえないか”とアプローチしてきたほどだ。それほど難しい案件であったが、同社では真空容器の仕様に合わせてパーマロイ78を加工し、その部材として納めたのである。そしてサポインによる開発が終了し、商品として世に送り出されることとなったため、真空容器のメーカーは引き続きコンチネンタルに部材の供給を依頼するようになった次第。難加工の案件もこなすコンチネンタルのことが口コミで伝わって顧客が増え、そして「1個の発注」も増えてきたのだ。

入社1日目から修業に

図面管理のIT化など、ITによる業務の合理化を図って顕著な業績を出
したところから、同社は「2008年中小企業IT経営力大賞・IT経営実践
認定企業」を受賞。

 さて、業界における位置を確立した同社にとっては、後継者を育てることが課題になってくる。冒頭にコメントを引用させていただいた専務の岡田俊哉氏は、5年先の事業継承に向けて準備を進めつつあるところだ。ここでも岡田社長は一家言持っていた。
 いわく「学卒後、同業者の会社で2~3年働かせてもらって、『○○で修業してきた』というのは社長の単なる見栄で、何の意味もないし、ほとんど役に立たない」と。
 その言わんとするところを敷衍(ふえん)すると……。勤め始めの数年は、下働きか使い走りが相場で、技術やノウハウの習得を目指しての修業なら最低でも10年はかかる。ましてやコアな技術は、2~3年しか在職しないことがわかっている者には接近させないようにするのが常識というもの。それだったら、自社で徹底的に鍛えた方が良い、というのだ。
 それゆえ俊哉氏は、大卒後の入社初日から作業着に身を包んで板金・溶接などの作業に従事することに。社長や先輩技術者から指導を受け、入社5年で一級工場板金技能士の資格もとったのだ。
 冒頭の専務の言葉は、同社の歴史や社長の考え方、そして後継者としての自らの立場を踏まえた上でのものであるが、「二代目の苦労を楽しみたい」という弁の裏には、固い決意があるのでは、と想像してしまう。プラスαのメシの種には、メッキなど川下に業態を広げる、あるいは自社ブランドの商品開発を行う……など様々な可能性があるだろうが、10年後、20年後のコンチネンタルがどうなっているのか、楽しみなところだ。

連絡先/ コンチネンタル株式会社
〒939-3541 富山市水橋172
TEL076-478-2324 FAX076-478-2551
URL http://www.continental-ltd.com

作成日  2016/03/23

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