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上海・長江流域ビジネス商談ミッション開催  

第8回 世界をリードする環日本海経済交流
上海・長江流域ビジネス商談ミッション開催
個別商談(相談)に比重を置き、多数が参加
  
 「今の中国は、1970年代の日本を見ているようだ。それ以前の日本は労働集約型の製造業が中心となって経済成長を支えていたが、より付加価値の高いものをつくるために研究開発に力を入れ始め、都市部には本社や開発部門を置き、工場を地方に移し始めた。中国も同じく過渡期にあるようだから、対中国ビジネスも今後は様変わりするのではないか」
 上海浦東空港で帰路の搭乗手続を終えたミッションの宮本顧問(当機構専務理事)はつぶやいた。県職員として商工行政に携わった経験が長いだけに、この言葉に耳を傾ける参加者も多く、各社は自社の業務内容との絡みの中で、5年後、10年後の青写真を描かなければならないと反芻しているようにも見受けられた。
 その意味でも今回のミッションは従来にも増して実りあるものとなったが、その概要をお知らせしよう。
日程概要(11月4日~8日)
日程
主なスケジュール
1日目 ・移動(富山空港→上海浦東空港→上海駅→無錫駅)
・県内からの進出企業(2社)と交流会
2日目 ・江蘇省錫山経済開発区管理委員会訪問
・中国企業等視察
 (1)無錫案源汽車製造有限公司(バス組立、バス部品製造)
 (2)無錫万裕電子有限公司(電子部品製造)
・移動(無錫空港→武漢空港)
・県内からの進出企業(1社)と交流会
3日目 ・湖北省武漢市政府訪問
・武漢東湖国家高新技術開発区委員会訪問
・中国企業等視察
 (1)武漢新芯集成電路製造有限公司(半導体製造企業)
 (2)武漢郵電科学院(光通信技術の先端研究機関)
 (3)商談のため1社のみ別企業訪問
・移動(武漢空港→上海浦東空港)
4日目 ・中国国際工業博覧会視察・商談(通訳付)
・企業訪問・商談等
 (1)日系企業訪問
 (2)商談
 (3)個別投資相談
・ビジネスセミナー
・ジェトロ上海事務所との交流会
5日目 ・移動(上海浦東空港→富山空港)
  結構ハードなスケジュールでしたが、「密度の濃いミッションだった」
  (帰国後のアンケートより)と好評でした。

無錫が上海に近くなり、より便利に

上海-南京を結ぶ高速鉄道。車内は日本の旅行者の様子と変わりなく、一行が乗った無錫まではほぼ満席状態だった。
 日程の概要は上の表に紹介した通りだ。参加者がまず驚いたのは、上海から無錫(むしゃく)への交通手段の高速鉄道(いわゆる新幹線)であった。車内はビジネスマン、旅行客で満席となっており、市民生活が豊かになりつつあるのが実感できた。また日没後の移動であったため沿線の様子をうかがうことはできなかったものの、住宅や事業所から漏れる明かりは切れ目なく続き、都市の成長が点から線、線から面へと広がっていることがうかがえた。
 われわれ一行が乗った新幹線は日本の「はやて」型で、最速時の時速は約250キロ。在来線では2時間程度かかるところをわずか50分で結び、ダイヤも正確であった。錫山経済開発区管理委員会の陳主任は「将来的には300キロ運行を目指しているから、上海はもっと近くなる」と強調。新幹線の他に高速道路網が整備され、また長江(揚子江)を使った水運も利用できるため物流に便利な都市として注目されてきたが、07年10月には開発区の近くに無錫空港がオープンしたため、従来にも増して関心が寄せられるようになった。
錫山経済開発区管理委員会による投資環境説明会の様子。現地に進出している日系企業によると「自然環境や気候が日本と似ていて、過ごしやすい」ようだ。

 錫山経済開発区(無錫市に8つある開発区の1つ)は、江蘇省政府によって「先進開発区」に認定(1998年)され、世界40カ国(地域)から1,200を超える企業が進出。精密機械・自動車部品・電子部品・特殊繊維等の産業が集積し、累計契約ベースでは60億米ドル、実行外資ベースでは30億米ドルに達している。そのうちの1/3近くは日系企業によるもので、管理委員会では日本語版のしゃれた投資案内のパンフレットをつくり、さらなる投資を図ろうとミッション参加者に盛んにアピールしていた。
今回入手したパンフレットの中では編集・デザインが洗練されていた錫山経済開発区を紹介する日本語版のパンフレット。広告代理店が制作にかかわった様子。


内陸部の武漢が光電子産業のトップ基地に

武漢市政府幹部との意見交換。市長がヨーロッパ出張中であったため、副市長の孫氏に対応していただいた。
 2日目の午後には、空路70分で武漢市(湖北省の省都)へ飛んだ。武漢は、北京や重慶、上海などの大都市とおよそ1,000キロ離れた中国中部の工業都市。日本や欧州の自動車メーカーが相次いで現地法人を設立したため、「中国のデトロイト」と夢がふくらんだが、今やそれを上回る夢が語られるようになっている。それは「武漢・中国光谷」(オプティカル・バレー)。全国に53カ所ある国レベルのハイテク産業開発区の中では最も早い1991年に認可され、今や中国トップの光電子産業の集積都市に発展してきた。
 武漢では、華中科技大学、武漢大学など全国トップレベルの大学によって研究者・技術者の養成が行われるため、教授レベルの技術者は8,000人超、一般の技術者の数は20万人超。武漢の光電子産業が中国で最も進んでいるのはこの豊富な人材によるところが大きく、武漢市副市長の孫氏も「研究開発と人材確保がしやすい」ことを強調していた。
 実際のところ、武漢での光ファイバーケーブル生産の国内シェアは約4割、光通信関連部品も約3割を生産。またソフト開発も盛んで、欧米のみならず日本からもIT企業、ソフト開発企業が多数進出し始めていた。

武漢東湖国家高新技術開発区管理委員会の訪問に際しては、オフィスを回りながら、進出企業の手続きのなどを具体的に説明してくれた。

 ここで疑問が湧いてくる。例えば進出した外資系企業は、どの国(言語)で使うソフトを開発しているのか。管理委員会や日系企業関係者の話を総合すると、“例えば日系企業の場合は、日本国内で受注したソフト開発を武漢で行っているケースが多い”という。つまり使用言語は、日本語ということだ。
 英特克信息技術有限公司(武漢インテック)の日本人スタッフがいう。
 「そういうケースでは、社員の多くは上海などの日系企業に勤めた経験があって、日本語ができます。技術を持った人の賃金が、大都市並とはいかなくてもそれに近づいたため、Uターンして働く人が増えてきたのです」
 キャリアを積んだ技術者が、今後ますますUターンするようになれば技術者の層に厚みが出てくる。またそれによって産業の集積がさらに進めば、全国の優秀な研究者・技術者を引き寄せることにもなりかねない。オプティカル・バレーは、米国のシリコン・バレー を模して世界的な光電子産業の集積地を目指しているのだが、今後の展開が楽しみであるとともに、日本にとっては強力なライバルが現れたといっても過言ではないだろう。  


有望な取引き先候補企業を開拓

博覧会視察の前日に参加者に手渡されたガイドブック。山田社長は「中文の漢字と英文で訪問したい企業を絞り込んだ」という。
 さて今回のミッションでは、企業視察や投資環境のレクチャーを受けるだけではなく、商談の実施にも力点をおいた。参加企業には予め、「どんな企業と、どのような商談がしたいのか」を具体的にうかがい、当機構を通じて現地の市政府や管理委員会に、いわゆる“お見合い相手探し”の仲人を依頼した。またスケジュール4日目の中国国際工業博覧会の視察でも、博覧会事務局の協力を得て商談通訳3名を配置。前日の夕方には、同事務局より出展企業のガイドブックを入手してミッション参加者全員に配布。訪問先ブース(企業)の予定を事前に立てていただいた。
 「ガイドブックは中文と英文による事業説明でしたが、大体の目星はつけられます。博覧会場では予め5社に的を絞り訪問しました。また皆さんが武漢で視察している間に、市政府によって紹介された企業1社を訪ね、工場見学と商談をさせていただきました。ある製品の生産委託先を探しているのですが、自社での能力にも限界があるためミッションに参加して商談させていただきました」
「6社の話をうかがい、うち3社は取引きの可能性がある」と語る山田社長。「文化の違いがあるからお互いに歩み寄って、生産委託ができるよう話をまとめたい」と意欲的です。

 こう語るのは化学プラントメーカー・山田工業(株)(富山市婦中町)の山田忠英社長だ。同社では数年前から生産委託先を求めて独自の活動を続けてきたものの、納得できる企業に巡り合えなかった経緯がある。そのため今回のミッションで感触のいい企業(武漢1社、博覧会(上海)2社)と巡り合えたことは「大収穫」(山田社長)であった。
 「帰国後は、相手先企業とは文書によって連絡を取り合っています。08年の春以降、もう一度3社を訪ね、ゆっくり時間をとって具体的な話をしたいと思います」と山田社長は今後の展望を明かし、「今は生産の委託先の開拓ですが、将来的には販売先の開拓もあり得るでしょう」と抱負を語った。
 05年4月に飲食業で起業し、4店舗(フューチャーダイニング・ビーライン、越中だいにんぐ・又兵衛など)に事業を拡大してきた(株)ビーライン(富山市布瀬本町)の大坪悟社長も個別相談を行った1人。ジェトロ上海の駐在員から、上海の飲食業の市場と店を開き従業員を雇うに当たっての法律関係のレクチャーを受け、上海市内の飲食店3軒(いずれも日系のお店)に入ってみた。
 「富山の物産を使ってアンテナショップ的な飲食店を持ちたいという夢を持っていたのですが、ただ珍しいだけでは商売にならないことがわかりました。日本のある地域の郷土料理を出していたお店は、あまり繁盛していないように見受けられましたし、同様の店で閉店したところも多いとジェトロの方にうかがいました。お客さんのニーズに合っているかどうかは、日本も中国も変わりません。また、建物の賃貸や雇用に関する法律は中国では整備中で、毎年のように改定されたり新しい法律ができるから、そこにも目を配らなければいけないとアドバイスを受けました」。大坪社長は個別相談を以上のように振り返るが、「富山からアジア(上海)に進出し、そして東京で事業を立ち上げる。何でも東京の時代は終わった」と青年実業家らしく大きな夢を語った。(注:08年1月より「労働契約法」が中国で施行され、勤続年数など一定の条件を満たした従業員は、終身雇用されるようになり、また短期の契約社員も含めて労働補償金(一種の退職金)の支払いが義務化されるなど、雇用を巡る法律環境が変わっていく)
 このほか、個別商談では丸和ケミカル(株)(高岡市野村)や(有)IMS企画(富山市杉谷)が事前にマッチングを行い、現地企業とホテルで商談を行った。現在も成約に向けて商談が続いている。

ジェトロ上海事務所で、上海の飲食業の市場環境などのレクチャーを受ける大坪悟社長(左)。この後市内の日系の飲食店3軒を回り、商売の様子などを視察した。

  

 個別商談(相談)や個別工場見学は、今回のミッションで初めて試みたこと。最終的には、個別商談(相談)は10件、個別工場見学は2件となった。ミッションの藤野文晤団長(当機構・環日本海経済交流センター長)は「視察だけでは、なかなか結果が伴わない。参加される方々の要望をうかがいながら、商談の機会がもっと増えるよう次年度以降のミッションを企画しよう」と意気軒昂。また冒頭に紹介した宮本顧問の言葉を引き取って、「人件費の安い中国でものをつくるだけでなく、販売先として中国の市場を強く認識しなければならなくなるだろう」とミッション参加者にアドバイスしていた。


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