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第16回富山県林業技術センター
林業試験場中山間資源課
 

第16回 富山県林業技術センター林業試験場
中山間資源課
春が待ち遠しいスギの開発から
別な視点でスギを生かす研究も
毎年春になると、花粉症が話題になり、その元であるスギは厄介もののように見られている。
林業がふるわない今日にあっては、なかなか解決策が見い出せないが、無花粉スギの発見を契機に、新たな取り組みが始まった。
今回は林業試験場を訪ね、スギと“仲良く共存”することはできないか…などをうかがった。本誌が皆様のお手元に届くころは、スギ花粉のアレルギーでくしゃみ、鼻水などでお困りの方が多いことだろう。シーズン前には、今年の春は例年になく花粉が飛ぶのではないかと予想。だんだん温かくなって、桜の便りが南から上がってくるのが待ち遠しい半面、花粉症の方には春は憂鬱な季節であることも事実。“♪は~るよ来いは~やく来い…”などと陽気に歌っておれるものではないだろう。県林業試験場は、無花粉スギの苗木の育成に取り組んでいることで全国的な注目を集めるようなったが、大量に育苗できるようになれば、まさに“♪は~るよ来い”と歌いたくなるはずである。

偶然に発見された無花粉スギ

指でポンとはじいただけで花粉はこれだけ飛ぶ。

 この無花粉スギは偶然に発見された。時は1992年。富山県ではその年から花粉の飛散情報を出そうと、県内の杉林に調査ポイントをいくつか設け、林業試験場の職員が中心になって、スギの開花状況を調べ始めた。
  その調査ポイントのひとつ、富山市内のある神社境内のスギ1本が、いつまで経っても花粉を飛ばさないことを発見。当時、同試験場の造林課長であった平英彰氏(現新潟大学農学部教授)が、知人の岐阜大学の研究者にこのスギを持ち込み、分析を依頼したのであった。
  「その頃、私は岐阜大の大学院で農作物の研究をしていたのですが、指導教授からスギの花粉を調べてくれないかと、問題のスギのサンプルを渡されたのです。電子顕微鏡で調べてみると、本当に花粉がない。樹木で無花粉の突然変異が発見されたのは初めてでした。調べれば調べるほどおもしろくなり、最終的には無花粉スギが研究テーマになってしまいました」
  大学院修了後、富山県林業試験場に勤務するようになった斎藤真己氏が、13年前を振り返っていう。
  当時も春になると花粉症が話題になり、スギ花粉が問題視されていたにも関わらず、この無花粉スギはあまり注目を集めなかった。というのも、“たまたま1本、無花粉スギが発見されたといっても、花粉症が解決されるわけではない…”というような半ば諦めのような感覚が学会やマスコミにあったのである。
  ところがその後、新潟や福島、神奈川、青森などでも地元の研究者等が無花粉スギを発見。ここに至り、「はるよこい」と命名された無花粉スギの苗木の育成に、先行的に取り組んでいる富山県林業試験場が全国的に脚光を浴びるようになったのであった。


細胞がつぶれて花粉ができない

 ここで、このスギが無花粉になる過程を簡単に述べておこう(スギの花粉崩壊過程参照)。
  スギの花粉は前年の秋から発育が始まり、一核期と呼ばれる花粉形成過程の第2ステージで細胞が膨らみ始める。正常なスギの場合は10月上旬~中旬に第2ステージを迎え、10月下旬~11月上旬には成熟した花粉ができ上がる。
  これに対して無花粉スギでは、花粉細胞の生育が半月~1カ月遅れて始まり、正常なスギ同様に一核期に花粉細胞を生長させるものの、膨らむと細胞壁がつぶれてしまって隣の細胞と融合してしまう。
  通常、細胞は細胞壁という固い殻で覆われて、球形を維持している。ところが無花粉スギでは、殻を形成するスポロポレニンという成分がつくられないため、細胞は薄い膜で覆われたまま。「例えていうと、無花粉スギの花粉細胞は薄い膜だけの生卵のようなもので、少し圧力が加わるとつぶれてしまい、結果として花粉が形成されない」(斎藤氏)のである。
  同試験場では、挿し木による育苗によって「はるよこい」の増産に取り組んでいるが、この方法では一定の期間が必要である。苗木として出荷できるのは2011(平成23)年からで、それも初めのうちは年間500本程度。短期間に、また効率よく苗木の生産ができるようにと、昨年からは組織培養の方法を用いての育苗にも着手した。





 


偶然に発見された無花粉スギ

 この無花粉スギは偶然に発見された。時は1992年。富山県ではその年から花粉の飛散情報を出そうと、県内の杉林に調査ポイントをいくつか設け、林業試験場の職員が中心になって、スギの開花状況を調べ始めた。
  その調査ポイントのひとつ、富山市内のある神社境内のスギ1本が、いつまで経っても花粉を飛ばさないことを発見。当時、同試験場の造林課長であった平英彰氏(現新潟大学農学部教授)が、知人の岐阜大学の研究者にこのスギを持ち込み、分析を依頼したのであった。
  「その頃、私は岐阜大の大学院で農作物の研究をしていたのですが、指導教授からスギの花粉を調べてくれないかと、問題のスギのサンプルを渡されたのです。電子顕微鏡で調べてみると、本当に花粉がない。樹木で無花粉の突然変異が発見されたのは初めてでした。調べれば調べるほどおもしろくなり、最終的には無花粉スギが研究テーマになってしまいました」
  大学院修了後、富山県林業試験場に勤務するようになった斎藤真己氏が、13年前を振り返っていう。
  当時も春になると花粉症が話題になり、スギ花粉が問題視されていたにも関わらず、この無花粉スギはあまり注目を集めなかった。というのも、“たまたま1本、無花粉スギが発見されたといっても、花粉症が解決されるわけではない…”というような半ば諦めのような感覚が学会やマスコミにあったのである。
  ところがその後、新潟や福島、神奈川、青森などでも地元の研究者等が無花粉スギを発見。ここに至り、「はるよこい」と命名された無花粉スギの苗木の育成に、先行的に取り組んでいる富山県林業試験場が全国的に脚光を浴びるようになったのであった。


地元産のスギを積極的に使おう

「はるよこい」の苗木が安定的かつ大量に供給されるようになっても、いま里山に生えているスギを伐採しないことには、花粉の元を断つことができない。ここで問題なのは、国産の木材は北洋材に比べて値段が高いということ。それゆえ、多くの住宅では北洋材が使われ、日本では林業で生計を立てることが難しくなり、その結果、多くの森林が放置されたままになっている。また、戦後の積極的な植林で、これから花粉を飛ばすようになるスギが多く(スギは植えて40年前後経つと花粉を飛ばす)、花粉症にかかる人がますます増える可能性がある、といえるだろう。
  現在でも、スギ花粉症の患者数は全国で2,000万人はいると推定されている。まさに“国民病”のようになっていることから、当然、何らかの対策がとられなければならない。
「花粉の飛散量を軽減させる最も有効な方法は、われわれ消費者が国産材、特に地元のスギを積極的に活用すること。伐採と再造林によってスギの世代交代を促進すれば、花粉の飛散量は確実に減ります」と斎藤氏は強調する。
  スギ花粉の飛散距離は数十km程度。花粉飛散量を減らすためには、地元の成熟したスギを伐採し、木材として利用することが最も手っ取り早く、確実な方法といえる。家を建てる際、10%でも20%でも地元のスギを使うようにし、その後で「はるよこい」のような無花粉スギなどを植林することで、確実に花粉の飛散量を減少させることができるのだ。また、スギの葉に含まれる精油成分の有効利用など、木材以外でのスギの用途開発が進めば、林業に一条の光を当てることになるだろう。  ちなみにスギに始まる花粉症は、進行するとヒノキの花粉にもアレルギー反応を示すようになる。さらにはイネ科、キク科の植物、そしてキウイ、パイナップル、リンゴなどの食物にも反応する可能性があるため、一刻も早くスギ花粉への対策が待たれるところだ。

[研究室(課)概要] 
○スタッフ
西村正史課長、斎藤真己研究員ほか6名
○研究内容
雪害防止、森林施業システム、材木育種、育苗、特用林産、山村特産などの研究開発


富山県林業技術センターの沿革
(主なもの)
1935年 富山県林業試験場開設
1949年 富山県農業試験場福沢実習分場に統合
1957年 富山県農業試験場林業部と改称
1959年 富山県林業指導所と改称
1965年 富山県林業試験場と改称
1969年 富山県木材試験場開設
1987年 林業試験場・木材試験場を統合して林業技術センター開設
1999年 林業試験場に山村特産指導所の一部を統合


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