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[第29回]株式会社天高く(麺家いろは)  

[第29回]株式会社天高く(麺家いろは)
富山も売り込みながら自慢のラーメンをPR
 “ラーメン屋のおやじ”が全国から注目された

全国のサークルKサンクスで、数百万個が売り出されたカップ麺「富山ブラック」。栗原会長が監修し、2週間足らずで完売した。この他に、富山ブラック風味のスナック菓子「ベビースター」と、北陸三県限定で富山ブラック風のおにぎりとチャーシュー丼も発売された。
 4月下旬から1週間ほど、テレビやラジオで盛んにCMが流れた富山発のカップ麺・富山ブラック。ラーメン店「麺家いろは」の創業者・栗原清さん(運営会社「天高く」の会長)が味の監修をし、“売り切れ御免”の期間限定でコンビニのサークルKサンクスが全国6,100店余りで販売したところ、1店・1日の最高の販売数が690個を超えた店もあったという。
 ひとつの商品が1店で、しかも1日でこれだけ売れたのは、前代未聞といっていいかもしれない。おかげでゴールデンウィーク中の県内3カ所の「麺家いろは」のお店(本店、掛尾店、シック店)には、本物の富山ブラックを食べたいという県外客が列をなし、駐車場は県外ナンバーの車であふれた。
 本家本元のラーメン店はもっとすごい。昨年、金沢で行われた北陸ラーメン博でのこと。前回までの最高記録の2,000杯を、初参加の「麺家いろは」が3,200杯を達成して新記録を樹立。昨年からは会期が1日短縮されて2日間の開催となったにもかかわらず、この記録が打ち立てられたのだ。
 「麺家いろは」の、富山ブラックの、人気の高さがうかがえるだろう。これには長年、ラーメン博を主催してきたテレビ局もびっくり。共催のサークルKサンクスも驚き、カップ麺としての商品化が企画されたというわけだ。

「夜逃げを考えた時もあった」

麺家いろはの「富山黒醤油らーめん」。スープは真っ黒いものの、後味さっぱり。他に白エビの殻でだしをとった「白エビ塩らーめん」、高麗人参・クコ・ナツメなど薬膳料理の素材5種類の粉末を使った「越中とやま完熟みそらーめん」がある。ちなみにこの薬膳らーめんは、富山大学和漢医薬学総合研究所、薬の広貫堂が開発に協力し、当機構の「とやま発新事業チャレンジ支援事業」に認定されている。
  「皆様のご支援をいただき、お陰様で…」と繰り返す栗原会長は、実は苦労人だ。
 今から20年前の平成元年のこと。大手運送会社の富山販社の社長を務めていた栗原会長は、独立志向を持っていたため退職して会社を設立。コンテナを使ったカラオケボックスの事業展開を始めた。自身でもカラオケボックスを経営するかたわら、コンテナやカラオケ機器の販売も実施。その一方で、アメリカで開発された自己啓発の教育プログラムの販社をつくり、さらには薬草酒をメインに提供する小さな居酒屋も1軒持った。三足のわらじを履いたわけだ。
 カラオケボックスの方は、ブームの先駆けであったためビジネスは順調に伸びた。ところが、商機があると見るや、雨後の筍のように新規参入が相次ぎ、コンテナではなくカラオケハウスを建てるところが出現。カラオケの機械もより便利な機能を求めて開発が進み、年に数回、ニュータイプのマシンが出されるようになった。
 「こうなると、資本力がものをいいます。私は個人創業でした。カラオケハウスの展開はなかなかできませんし、カラオケの機械も随時新型に入れ替える資金的な余裕がありませんでした」
 と栗原会長は当時を振り返るが、それでも無理してカラオケマシンを交換していったことが主な原因となって資金繰りに苦しむようになり、ついには資金ショート。億単位の負債を抱え込んだ。教育プログラムの販社も閉じた。経営的には何も問題はなかったものの、“自己啓発の教材を売っている社長の別会社が行き詰まったということは、この教材の意義は…”とうがった見方をしてくる客先も現れてきたから清算したのである。
 残ったのは居酒屋(金沢市)と借金のみ。一時は「夜逃げも考えた」という。「自己破産すると行動が制限され、再起も難しくなる。借金を抱えて、死んだ気でもう一回やってみないか」と弁護士にアドバイスされて始めたのが、ラーメン店であった。居酒屋の奥にあった物置を改造し、みかん箱にベニヤ板をのせたようなテーブルを配し、15人も入ればいっぱいになる店を構え、ラーメンの試作に明け暮れたのである。
 「イメージしたのは東京の支那そばでした。透明感のあるあのスープが好きで、東京に行った時は必ず食べていました。ところがどれだけ試作しても、スープは真っ黒。本格的な修業をしていませんから限界があったのでしょうが、真っ黒いスープもなかなかいけた。そこで、いつまでも準備しているわけにはいかなかったので、店をオープンさせたのです」
 暖簾(のれん)を出したのは、平成4年11月。店の名前は「ザ東京ラーメン」とした。そして9カ月後の平成5年8月には、法人化して「ザトラ商事」を設立(店名はそのまま)。行列ができるほど評判のラーメン店になった。それを見た古くからの友人が「応援するから富山にも店を出したらどうか」と誘い、後に本店となるお店(射水市小杉)を出したのであった。
麺家いろは店内にある、スープ、醤油に対するこだわりの口上書。「とにかく1回食べてみて…」とは社長の弁。


「いろは…」の「い」から再出発

裸一貫で、ラーメン店で再起を期した栗原夫妻。右は栗原会長。左は夫人であり、同社の社長でもある栗原しのぶさん。
 金沢店は、新幹線建設予定地にかかってしまったため、残念ながら閉店となった。しかし、栗原会長はラーメン店の経営に徐々に自信を持ち始め、本店を拠点にしての多店舗展開と、フランチャイズ化の導入も検討するまでになった。 “ラーメン屋のおやじ”になって苦節10年。平成14年にはフランチャイズ1号店の掛尾店がオープン。翌年には店名を「麺家いろは」に変え、また平成17年には法人名を「天高く」に改めた。
 「ラーメン屋のおやじとして本腰を入れ、一からやり直すという意味で、店は『麺家いろは』と名付けました。また当時本店周辺には、高い建物がほとんどなくて立山連峰が一望にでき、立山のごとく社運を高くしたいという希望を込めて『天高く』にしたのです」と再スタートにあたっての大きな夢を語る栗原会長。一時金沢に避難していたものの、「事業家としての自分を育て、また新たに機会を与えてくれた富山に感謝したい」という思いでいっぱいだったという。
 「全国へ」という思いが頭をかすめた時、富山のPRとともにラーメンを売ろうと考え、商品名を「富山黒醤油らーめん」と改名。近くの富山県立大学の研究者たちが常連客になり、「ラーメンに深層水を使ってみないか」と誘う教授も現れた。その取り組みが新聞で紹介されると、今度は県漁連から「白エビの殻をだしに…」と提案された。栗原会長は“ちょっと変わったラーメン屋のおやじ”として、県外にも知られるようになったのだ。
 
本店の外観。独特の書体の「麺家いろは」が目立つ。テナントとしてビルに出店している店では、この文字が染められた暖簾(のれん)が目を引く。


物産展等で次のネタを…

お土産セットもあるので、自宅でも麺家いろはの味が楽しめる。
 全国区へのデビューのきっかけは、浜松のラーメンテーマパーク(浜松べんがら横丁)への出店(平成18年3月)であった。順位を争うテーマパークではなかったものの、全国の有名店6店とともに人気が比較された。初めの2カ月間の売り上げは、下位をキープ。真っ黒いスープが敬遠されたようだ。ところが3カ月目に入ると「真っ黒いけど、後味あっさり。富山の黒醤油もなかなかいけるぞ…」と口コミで広まり3位に。さらに3カ月後には2位に浮上し、以後これをキープするようになった。
 浜松で注目されたのをきっかけに、デパートやスーパーで開催される物産展からも声がかかるようになる。そして月に平均1回は出店するようスケジュール調整をしてきた。
 「誘われて出店する物産展は、商売としては魅力的ですね。基本的にはラーメンをつくるスタッフだけが行けばいい。見込みの客数に合わせて、私1人の時もあれば、他に1~2人を連れて行くこともあります。費用を差し引いても利益が残りますし、何より宣伝効果抜群。物産展には、一般のお客様に混じって商売のネタを探している人がいて、次のビジネスにつながるケースが多いのです」
 と栗原会長はニコニコ顔。まずは物産展やラーメンテーマパークの、新規出店先の開拓に結びつく。またサークルKサンクスでのカップ麺商品化のように、商売のネタが見つかることも、笑みを誘う一因になっているようだ。おかげで常設のお店は6店舗にまで増えてきた。
 「この5月末の3日間に、駒沢のオリンピック公園で東京ラーメンショーが開催され、全国で評判の25のラーメン屋が出店します。『麺家いろは』もエントリーされて出店しますが、ぼくは今から楽しみです。天候にもよりますが、1日2,000杯、3日間で6,000杯を目指したい」とますます意気軒昂だ。
 さて、結果やいかに…。
 (この取材は、5月中旬に実施。東京ラーメンショーの開催中はあいにくの雨にもかかわらず、多数の方が来場され、「麺家いろは」は4,041杯で断トツの第1位。「雨の中会場に来てくださった皆様、また当店の『富山黒醤油らーめん』を召し上がっていただいた皆様、ありがとうございました」とHPへのアップの作業中に栗原会長からお礼のコメントが寄せられた)

    

 県外では、「富山のラーメン屋です」と「麺家いろは」を紹介する栗原会長。ラーメンとともに富山を、富山と一緒にラーメンを売り込んでいる。県外のお店3店には、県や観光連盟がつくった観光ポスターを掲示したり、パンフも置いている。再起を期した時にあった負債は、支援者の協力も得ながら無くすことができた。まさに、“ラーメン様々”。「黒醤油らーめん」によって元気になったのは、お店もさる事ながら、栗原会長そのものであった。
 その富山のラーメン屋の栗原会長がこれから仕掛けるのが、とろろ昆布をトッピングした「富山おでん」。同社をはじめ、すり身製造会社、かまぼこメーカーら6社(団体)の有志が集まって発起人会を立ち上げ、小田原城址公園で開催された「小田原おでんサミット」に出店(4月4・5日開催)。準備した1,700食はあっというまに完売し、人気の高さをのぞかせた。
 おでんが富山を元気にする日が来る…。


栗原清 株式会社天高く会長
本社/射水市戸破1555-1(TEL0766-56-9988 FAX0766-56-9981)
事業内容/ラーメン店の運営、FC展開
設立/平成5(1993)年5月(創業平成4年)
資本金/3,040万円
従業員/75人(パート等含む)
URL/ http://www.menya-iroha.com/
作成日2009.06.02
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