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[第27回]メッツゲライ・イケダ  

[第27回]メッツゲライ・イケダ(有限会社池多ファーム)
「裏通りでも、人が探してくる店にしたい」
 と一念発起。ホントウにそうなった。

 「ファミリーパーク前」の信号を、富山大学杉谷キャンパス方向に400mほど行ったところに、今回訪ねたお店はある。名前は「メッツゲライ・イケダ」。ドイツ語が堪能な方なら、店名を聞いただけで何を売っているお店かピンとくるだろう。「メッツゲライ」は食肉店という意味。つまりこのお店では、肉や手づくりのハム・ソーセージなどの食肉加工品を売っている。
 ただここは、商業地としては決して1等地とは思えない立地。しかも店を立ち上げたのは、実家が肉用牛の畜産農家とはいうものの、3年前に店をオープンする以前は、県の職員として畜産試験場で研究員をしていたという経歴の持ち主。ぜひとも会って商売の様子をうかがいたい、と思って出かけた。

自分でつくったハムにびっくり

村田勝己店長。ハムの試作では、失敗作を大量につくって、破棄に困ったこともあった、という。
 店長の村田勝己さんが、「食肉店をやるのもいいかな…」とかすかに思ったのは県の畜産試験場に入って2年目のことだ。その年、農林水産省の畜産試験場(つくば市)に3カ月間派遣されて、肉の理化学的な分析をしていた時のこと。通常、試験で余った肉は廃棄されるが、「加工も勉強したらいい」と勧められて、ハムとソーセージをつくった。初めてのことだ。でき上がったハムを恐る恐る食べてみると、これが旨い。ソーセージも、“これがソーセージか”と思うほどだった。
 「非常にショックでした。今までスーパー等で買っていたものと、味が全然違う。添加物や代替材料を使わない食品はこんなにおいしいのか、とびっくりしました。いずれは家業の畜産を継がなければいけないかな、と漠然と考えてはいたのですが、おいしいものを普及させることも農業・畜産の役割ではないかと思ったのです」
 村田さん、24歳の時を振り返った。
 ただ、手づくりのハム・ソーセージのおいしさに感動したといっても、すぐに店を構える、とまではいかなかった。仕事を途中で放り出すわけにはいかないし、ビジネスとして食肉加工の店を始めるには、自店なりのハム・ソーセージの製法や味を確立しなければいけない。「いずれ店を持てたら…」という希望を温めながら、休日を利用して北は北海道から南は九州まで自家製のハムやソーセージを食べ歩き、また文献を読み漁るなどして、希望が孵化する時を待った。


国際コンテストに出品したハムが金賞

2005年の国際コンテストで金賞を受賞した際の賞状とトロフィー
 転機が訪れたのは30歳の時だ。
 仕事が一段落した。また、ドイツ製法でハム・ソーセージを手づくりしながら、食肉加工店を東京で営んでいる大学時代の先輩に相談すると、修業に来てもいいと応じてくれた。8年間の研究員生活に終止符を打った。そして家業の畜産を手伝うこと1年。その間、東京で3カ月間のハムづくりの修業をし、また富山に帰ってからは試作を繰り返した。満を持して「メッツゲライ・イケダ」をオープンしたのであった。
 ここで編集子は、敢えて失礼な質問をぶつけてみた。「店の立地が悪いのではないか」ということだ。電話で店の所在地を尋ねられたら、「ファミリーパーク前の信号を……」と簡単に説明でき、確かに、富山県内の人だったら大体わかるところにはある。しかしこの場所は、同店が店を構える前の数年間は空き店舗の状態が続き、また、それ以前に入居していたテナントも、数年でのれんを下ろして、店がたびたび入れ替わっていたところ。ここ10年ほどは、小売店が根づかない場所だった。
 店長は少し考えて答えた。
 「ここの入居状況は知っていました。でも、僕はなんとかなる、なんとかしよう、と思いました。裏通りにあるラーメン屋さんでも、おいしいと評判の店には、人は探してでも行く。数年前から、食の安全についての意識がものすごく高まっていますから、正直に、安全でおいしいハムをつくっていけば、支持してくれるお客さんがついてくれるのではないかと思ったのです」
 店をオープンしたのは05年11月である。その1カ月前に、「ダメでもともと」と割り切って、ドイツで開催された食肉加工品の国際コンテスト「SUEFFA(ズーファ)」に出品。初参加で、しかも商品としての販売実績がないにもかかわらず、いきなり受賞してしまった。しかも金賞1つに銅賞2つ。誰よりも驚いたのは本人だ。と同時に、自らがこだわったハム・ソーセージのつくり方が正しい方向を向いていることを証明する結果にもなった。もちろん、店のオープンに弾みを付けたのはいうまでもないことだ。


石川・福井からもお客さんが来店

ハム、ソーセージの一部。このおいしさは、食べたことのある人にしかわからないので、遠方の方はネットでご注文を。
 受賞のことが、新聞やテレビでも取り上げられたため、滑り出しは順調であった。開店からの3日間は、生産が追いつかないため徹夜状態で製造するなど、極めて忙しい日が2週間ほど続いた。そして1回食べると、一般に売られているものとの違いがあまりにも大きいため、多少値段は高いもののリピーターになって、お店の固定ファンになった人も多い。お中元やお歳暮で贈られた方も、「おいしかった」と今度は自家用に買い求めるようになった。さらには、スーパーやデパートの食品売場の担当者から、「ぜひとも扱いたい」「テナントとして出さないか」と多数の呼びかけが寄せられたのである。
 ところが村田店長は、量販店からの打診のほとんどを断り、スーパー・デパート等で販売しているのは富山市内の1店のみ。他には飲食店、居酒屋など7店に販売して、料理のメニューに加えてもらっているだけだ。
 「基本的には、食べ物に対しての価値観が同じ店で扱っていただきたいと考えています。安く仕入れて高く売るのが商売ですが、品質のいい材料を使うと原価が上がる。そこをご理解していただかないと……。値段を合わせるために肉の質を落とすとか、代替材料や添加物を多用することだけはしたくない」
 販売先を絞っている理由を村田店長はこう説明するが、値段に合わせるために安価な材料や代替材料を使っていたのでは、普通のハム・ソーセージになってしまう。同店で使っている肉は、実家の池多ファームをはじめ肉の品評会で高い評価を受けている県内産ばかり。香辛料はすべて、ドイツから取り寄せたものだ。
 県内に住んでいる外国人客がよく来るようになった。また石川や福井から、北陸自動車道を利用して買い求めにくるお客さんも増えてきた。「おいしかったら、裏通りのラーメン屋でも探していく」というのが、本当になった。県外客は、地図片手に、カーナビに導かれてくるというのだ。


切り売りではないサービス業

このショーケースもドイツから輸入したそうです。取材は日中2時から行ったが、車で店に来る人が三々五々といた。
 ここまで好評であったら、普通はもっと店を増やしたい…と思うところだろうが、村田さんは違った。
 「金沢周辺に店を出す、あるいはテナントとして出店する可能性はあると思いますが、その他、例えば東京とか大阪にまで出ていこうとは考えていない」そうだ。遠隔地に出店すると細部に目が届かなくなり、「お客の信用を落とす火種になりかねない」というのが理由である。
 同店では、ハムやソーセージのおいしい食べ方もアドバイスしてくれる。ワインに合うサラミ、パンと相性のいいソーセージ、チーズとマッチするハム。食べ合わせる食材の原料や製法によって、それに合うハム・ソーセージも代わってくるという。ということは、周辺の食品の知識や食文化も理解していないと、お客さんからの問いかけには答えられないことになる。単に、食肉製品の切り売りをしているのではなく、サービス心ゆたかなソムリエでもある。
 「食べ物の雑誌や本は、よく読むようになりました。また自分で試してみて、本当にマッチしているかどうかも調べています。もともと食べることが好きだったのが、幸いしているようです」と村田店長はこの3年間を振り返るが、苦手な勉強が1つだけあったそうだ。それは財務や会計の勉強。理系の学生時代から研究員生活まで、10年以上にわたって実験データの統計処理などをしてきて、数字とは長い付き合いはあるものの、会計や決算の数字を理解するのは、まったくの素人から始めたので苦労したようだ。
 最後にもう1つ質問を加えてみた。
 「営業損益でみて、3年目の今年は三角マークなしで締められそうか」と聞くと、村田店長はにっこり笑って答えた。
 「大儲けはしていませんが、なんとか店を続けていけます。三角はない」
 またひとつ、ちょっと元気なお店が、呉羽丘陵のふもとに誕生した。

村田勝己 メッツゲライ・イケダ店長
本社/富山市北押川13
店舗/富山市古沢702-3(TEL076-427-0666)
事業内容/肉用牛肥育、水稲、食肉加工販売
設立/2005年9月(創業1965年) 店舗開設 2005年11月
資本金/700万円
従業員/9名(パート等含む)
URL/ http://www.i-beef.com/
作成日2008.11.07
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