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[第23回]有限会社CDC  

[第23回]有限会社CDC
 チャレンジショップを卒業して8年
 「年1店増やしたい」と夢を語るまでに

小松 満社長
 「毎月末の支払日が来るのが恐怖です。経営者って大変ですね」
 と語るのは、フリークポケット(富山市中央通り商店街のチャレンジショップ)を8年前に卒業した小松満さん。取材中、「楽しいことより苦しいことばかり」と語りながらも、ニコニコと笑顔を絶やさない。その様子から商売を楽しんでいることがうかがえ、現在は有限会社CDCの社長として、子ども服・雑貨・婦人服の小売店3店を運営するまでになった。
 小松さんはちょっと変わった経歴を持っている。いわゆる高校は自衛隊の少年工科学校(横須賀市)を卒業し、自衛隊に在職しながら大学を卒業。その後、事情があって富山に帰り、家業の塗装屋を継いだ。
 「主な作業場は、ダムでした。黒四ダムなどの鉄柵にペンキを塗っていましたが、100mを優に超える高さですから、最初は、足がすくんじゃって…」
 黒四ダムの堤高は186m。放水口から放たれる水は落差があるため、時には眼下に虹を見せる。そういう高所での塗装をメインとする仕事から、フリークポケットでの「お店修業」に転身。「商売のいろは」は商店街の店主たちにすべて指導を受けてのスタートであった。

最初は逃げ道を残していた

05年9月に竣工した本社。1階は「CP STOR」、2階は事務所。
 商品の仕入れ、販売、接客…。何も経験していない。そして資本も(あまり)ない。あるのは、夫人と語り合う「将来、店を持ちたい」という大きな夢だけ。98年7月に始めたフリークポケットの2坪の店「CP STOR」(シーピー・ストア)は、小松さんにとっては何よりも大きかった。
 「まず初めに扱ったのは、欧米の軍隊等で軍人さんがファッショナブルに着る洋服。マニアックなものではなく、一般の人が着ても違和感のないものです。それとアメリカから輸入した子どもの古着を扱いました」
 当時を懐かしそうに振り返るが、通常の販売業務は夫人と後に加わったアルバイト店員に任せ、小松さん自身は塗装業を本業として、土・日などの休日に店に顔を出して帳簿を整理。この時点では、「ダメだったら塗装業1本に絞ればいい」(小松さん)と、ある意味、逃げ道を残していたのであった。それが半年を過ぎたあたりから独立するための店を探すようになり、“修業”修了までに3カ月を残し、99年4月に念願の店(富山市中野新町、広さ約10坪)を持ったのであった。
 独立すると、テナント料だけでも月に十数万円。“趣味”の延長のチャレンジショップとは訳が違う。小松さんは店で扱う商品を子ども服に絞り、安定供給が難しいため古着の比率を徐々に少なくし、今では新品の子ども服のみを扱うようになった。商品の価格帯は、3,000~5,000円が一般的。乳児用のタンクトップも4,000円前後のものが多いように見受けられた。
季節がらTシャツやタンクトップが多く、3000~5000円の商品が中心。
 「当店の子ども服は、量販店・安売り店に比べると高いのですが、それなりの品質はあります。また同じ価格帯のデパートの子ども服とも違う。デパートの子ども服は、おばあちゃんが孫に買ってあげるような、落着いたものが多い。それに対して当店の商品は、若いお母さん好みのデザイン。だから店の立地があまりよくなくても、お母さん方が来てくれる。極端な言い方をすると、安売り店の隣に店を構えてもやっていく自信はあります」
 「CP STORE」は後に移転し、現在は、富山市民病院前交差点を東に500~600mほどのところを、住宅街へ折れた脇道沿いに立地(富山市太郎丸)。一見、小売店には不向きと思われるが、取材中(平日の午後2~4時)もお客さんが途切れることなく訪れ、“この店を目指して来ている”ことがうかがえた。


雑貨店でつまずきそうになったが…

婦人服の店「COTON」では、ベーシックなデザインの洋服が中心に扱われている。
 子ども服の店が軌道に乗ってくると、今度は雑貨店をオープン(2000年12月)。「STANDARD  PLUS」(スタンダード・プラス)と名づけたお店を中央通りに構え、海外の“のみの市”などで買い付けたアンティークやコレクタブルな生活雑貨を並べた。ところが、こちらの商品はなかなか売れない。“この店でしか扱っていない”といっても、極めてマニアックな商品が主で、1日の売上げが3,000円に達しない日が続出。小松さんは6カ月目で電車通り沿いの店を締め、「CP STORE」(当時は中野新町)の2階に移転させたのであった。(01年6月)
 「おそらく数百万円分の在庫があったでしょう。CP STOREの2階でSTANDARD PLUSを続けたといっても、屋根裏部屋のようなところに商品を並べ、衝立で囲んで事務用のスペースを確保しただけ。売上げが改善されたわけではありません。塗装の仕事が終わってから衝立の中の事務所にこもり、どうしたらいいか頭を抱えていました」
スタンドに麦わら帽子をかぶせたセット。スタンドだけでは抵抗ありそうだが、この組み合わせは、なかなかのもの。(「dupon35」の店内)
  1カ月近く悩んで至った結論は、ホームページを開設して、ネット上で商品を売ること。富山では売れなくても、全国に紹介すれば多少は売れるのではないか、と期待したのであった。ただ当時は、楽天市場などのショッピングモールが注目され始めたとはいえ、地方の一企業がネットショッピングを行っているケースは極めて稀な状況。小松さんは、“ワラをもつかむ”思いで独学し、2カ月後には自分つくったホームページを開設したのである。
 「コンピュータの動作環境によってはレイアウトが崩れたりするなど、できのいいホームページではありませんでした。でも、商品は売れました。ライバル店はほとんどありませんから、全国のお客さんから注文が舞い込み、在庫の山が消えたのです。僕はこの経験で、商売にネットを使うことの意義を痛感しました」
 手探りで始めた商売であったが、この後、店を3店に増やした。昨年度の売上げは1億4,000万円弱、本年度は、このまま行けば1億8,000万円前後の見込み(8月決算)。増加分4,000万円のうち7割方はネット経由の販売によるというから、実店舗の販売とネット上の販売が相乗効果をもたらしている好例といえるだろう。


「企画書を持って1年通い続けた」

「CP STOR」WEBサイト
 「今扱っている商品は、大都市圏をはじめ他の店でも、他社のネット上でも販売されています。当社のネット経由のお客さんの多くは県外の方で、その大半は首都圏にお住まいの方々。コーディネートしながらの販売の効果が、現れているのではないでしょうか」
 同社のホームページを見ると、身近な生活雑貨を扱う店に変身した「dupon35」(デュポン35、03年5月出店)、婦人服の店「COTON」(コトン、04年9月出店)の商品も含めて、“こんなふうに使ってほしい”“こんなコーディネートはいかが”と提案するような写真を満載。単に商品を並べるのではなく、その服を着た時の、その生活雑貨を部屋に置いた時のシーンがイメージできる写真の撮り方となっている。
 モデルは知人やお客さん、あるいはそのお子さんにお願いし、デジタルカメラで社内のスタッフ(小松さんも含む)が撮影。より効果的な写真の撮り方ができないかと、スタッフ全員でファッション誌などを見て研究しているというから、ネット通販への熱の入れようが想像できるだろう。
 こうした取り組みがメーカーに評価されて、新たな出店にもつながった。それがこの秋にオープンする、婦人服のパリ・コレを扱うお店。その販売店は国内には十数店あるものの、パリ・コレのみを扱う小売店は小松さんの店が3店目。販売方法の企画書を何度も書き、1年間提案し続けてようやく夢が叶ったのであった。
 「最後はこちらの熱意を汲んでくれたのかもしれません」と小松さんは振り返るが、「ネットショッピングと組み合わせて、ブランド品の販売を成功させたい」と熱意を見せていた。


毎年1店出す「10年計画」を持つ

子ども服のメーカーが秋・冬ものの洋服のもって営業のために来店。鹿皮のスカート1着5万円という商品もありました!!
 小松さんは陽気だ。冒頭にも記したが、「苦しいことが多い」といいながらも商売を楽しみ、店を増やしてきた。どの店も、その時々で自分が好きなもの、自分で売ってみたいと思う商品を扱ってきた。「金儲けのためでなく、小売業を楽しみたい」と語る小松さんは、1年に1店のペースで店を増やしていく「10年計画」を立てた。同一商品で多店舗化を図るのではなく、「自分が売りたい商品で店を出していきたい」と意欲満々である。
 2年前の「紅白」では、黒四ダム(の構内トンネル)で中島みゆきが「地上の星」を歌った。そのダムの鉄柵にペンキを塗っていた青年が、自分の人生を小売業で輝かせようとしている。ダムをつくった男たちと同様に、小松さんにも「10年計画を達成」のドラマがある。


小松 満 有限会社CDC 代表者
本  社/富山市太郎丸178-12
事業内容/子ども服、生活雑貨、婦人服の小売
創  業/1998(平成10)年(法人化04年)
資本金/300万円
従業員/13名(アルバイト等含)

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