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[第21回]有限会社はなと  

 
[第21回]有限会社はなと
 「名水ポーク」をとんかつに使った評判のお店
 数だけを目指しての多店舗展開をしないわけは…

 先ごろ終了した、料理の対決番組「どっちの料理ショー」(YTV系)。9年半近い放送の間に、全国のうまい食材が紹介され、グルメな時代を彩ってきた。
 その番組で、県内で生産されている食材がいくつか取り上げられ、その1つが5~6年ほど前に紹介された黒部の名水ポーク。脂身を手の平にのせると、肉の繊維まですーっと溶けていくほど脂がしつこくなく、植物油で揚げたとんかつは「これが本当に豚肉か」と思うほどさっぱりしている。


名水ポークの中でも、さらに上質の肉をとんかつに

 今回訪問したのは、その名水ポークをとんかつに使って県内に4店舗(やわらかとんかつ かつ兵衛等)を構えている(有)はなと。同社はまた麺類2店舗(はなと本店、よねまつ)、喫茶・軽食2店舗(珈琲哲学)を持ち、本社のある黒部からファミリーパークの近くまでの呉東を中心に、延べ8店舗に暖簾を出している。
 取材が決まって、まずは食べておかねば話にならない、とさっそく出かけた。開店間際(午前11時)というのに、店にはお客さんが続々と入って来る。隣の席に座った2人連れの女性の1人は、何度か名水ポークのとんかつを食べたのだろう、「このとんかつ、脂っぽくないから」と、もう1人に説明している。その隣の席の実年夫婦からも、同様の趣旨の話し声が聞こえてきた。
人気の「名水匠ロースかつ定食」。豚肉は芯温が70度を超えると硬くなるため、同店では芯温を66~68度にして、からっと揚げる。淡いピンク色が残り、旨味を含んだ肉汁が口いっぱいに広がる。

 編集子がオーダーしたのは、もちろん「名水匠ロースかつ定食」。名水ポークの中でもさらに上質の5%しかとれない肉で、いわば “名水ポークの極上品”を使っている。
 待つこと5、6分。運ばれてきたとんかつは、真ん中がピンクで、脂がじゅうじゅういっている。「どっちの料理ショー」のゲストのように店内で1人騒ぐわけにはいかないので静かに食べたが、ホントウにさっぱりしていて、うまかった。



「このままでは店がダメになる」と思った時も

椅子5つの鍋焼うどんの店から新たに始めた花當友代専務。
 もともと同社は、昭和13(1983)年に創業。花當(はなと)準二社長の父親が黒部の旧市街で食堂を営んでいたのが始まりで、黒三・黒四ダムの建設工事で町がにぎわい、また地元企業の活況などで店も繁盛していた。
 ところが事情があって店を休業。結局それは18年に及んだが、昭和50(1975)年に社長の奥さん・友代さん(現専務)が椅子5つの、鍋焼うどんと手打ちそばの店で再び暖簾を出したのであった。
 「私はサラリーマンで、時間のある時は出前の手伝いもしました。でも、カエルの子はカエルというのかな、親父が働いていた姿を子どもの時に見ていましたので、自分もやりたくなったのです」(花當社長)
花當準二社長
 当時はやった言葉でいうと、脱サラということか。8年勤めた会社を辞め、昭和52(1977)年に、現在の本社所在地に食堂を出店。麺類の他に定食ものもメニューに加え、8号線を利用するドライバーの胃袋を満たし始めたのである。
 モータリーゼーション化が急速に進んだ時であり、結構お店は繁昌した。社長の兄弟も店を手伝うようになり、家族の間で暖簾分けも実施。ところが、昭和58(1983)年に北陸自動車道の朝日IC~滑川IC間が開通すると、状況が徐々に変わってきた。
 「飲食店は“水もの”とよくいいますが、本当にそうです。道路1本の開通で売上げが下がってきました。長距離ドライバーにこんなに利用していただいていたのかと驚くとともに、商圏とかマーケティングを考えないといけないと、改めて認識させられました」
 花當社長は店が苦しくなった当時を振り返る。そこに追い討ちをかけたのが、ファミリーレストランの登場であった。「まさか黒部に来るとは思ってもいなかった」(専務)というが、それが現実のものとなり、併せて回転寿司の店も近くの8号線沿線にオープン。売上げは3割近く落ち込み、「このまま食堂をやっていたのではダメになる」と思ったそうだ。


メニューに合せ店を専門店化する道を

 そこで平成8年に思いきって、店の専門店化を決断。麺類を扱う店は「はなと」とし、定食部門はとんかつ専門店の「やわらかとんかつ かつ兵衛」に変えた。しかし何故に、とんかつ専門店なのか。すぐ近くの生地(いくじ)漁港から毎日魚を仕入れ、キトキトの魚を使った定食でもよさそうなものである。
 とんかつ専門店を選んだ理由を花當社長にうかがうと、「それは私がとんかつが好きだから」と呵々大笑。そして「好きこそものの上手なれ、ですわ」と付け加えた。
 結果としてみると、とんかつ専門店を選んだのはよかったのかもしれない。最近の各種の調査を見ると、とんかつは好きな料理の1位に挙げられたことはないものの、例えば “夕食での出現頻度”は毎年10位前後(食肉消費センター調べ)、 “外食の肉料理の頻度”では3~5位(同)で推移している。子どもを対象にした好きなメニュー調査、男性サラリーマンの好きな和食メニュー調査など、他が実施したアンケートでもとんかつは上位につけている。
 「とんかつ屋に決めた後で、そういう調査をいくつも見ました。とんかつは、毎日食べるものではありませんが、1週間に1回とか2週間に1回は食べたくなる。家庭でとんかつをおいしく揚げるのは結構難しいですから、調理済みのを買われるか、店に食べに行く。マーケットは大きくないけど必ず需要がある」と花當社長は語り、「特に5、6年前からは、BSEや鳥インフルエンザなどの問題が起きて、消費者の皆さんの食肉の安全性への関心が高まり、豚肉は追い風を受けています。我々とんかつ屋にも…」と続けた。


品質の維持ができる範囲で多店舗化

ファミリーパークの近くには、かつ兵衛、よねまつ、珈琲哲学の3つの店舗が並ぶ。珈琲哲学はFCに加盟しての営業で、お客さんの回転も結構いいように見受けられた。
 平成10(1998)年からは、多店舗化に乗り出し、3年後には「名水ポーク」を使ったとんかつもメニューに追加。追い風をまさに順風に受けての展開といえるだろう。それならば呉西にも店を出して、おいしいとんかつを食べさせてもらいたいところだが(因に編集子は呉西在住)、事はそう簡単ではない様子である。
 「とんかつ屋の難しいところは、肉の管理です。肉は一定期間熟成させて、もっともいい状態の2日ほどの間に調理すると、おいしいとんかつができます。ところが上質の肉でもその前後に調理すると、本来のおいしさがなくなっている。お客さんの数は毎日変わりますから、肉を調理するタイミングを間違うと味が落ちたと判断され、それが積み重なってお客さんを減らしてしまうのです」
 花當社長のこの弁は、とんかつ専門店の課題を突いているようだ。今回の取材に当たり、大々的に多店舗展開している(していた)とんかつ専門店の盛衰を調べてみたが、肉の管理が不十分になって味に変化をもたらしたり、店(店長)を管理するための人材を多くし過ぎて(つまり生産部門より管理部門を大きくして)、それが経営を圧迫したと思われる例もあった。
 そこで、同社では数だけを目指した多店舗展開はしない、とのこと。「かつ兵衛」などのとんかつ専門店は主に社長が、「はなと」など麺類の店は主に専務が管理し、そして喫茶・軽食の「珈琲哲学」はフランチャイズに加盟して、その本部の指導を仰いでいる。「料理やサービスの質の維持を第一にしないと飲食店はすぐにダメになる」と花當社長は強調し、よくある出店要請も断っていることを紹介してくれた。


      


 今回の取材は、とんかつ専門店の元気さを中心に話をうかがい、「はなと」や「珈琲哲学」についてはあまり触れなかった。ただ、下見と撮影のために「珈琲哲学富山西店」(ファミリーパークの近くにある)には平日の午後2時過ぎに、2度足を運んだが、いずれも満席に近い状態で、お客さんの回転もいいように見受けられた。客単価が低く、資本回転率が悪いため喫茶店は姿を消しつつあるものの、FC展開している「珈琲哲学」は一味違う様子。またの機会に取材させていただこう。
 最後に「ごはんとキャベツのお代わりは自由とありましたが、とんかつのお代わりは…」と尋ねると、「それは勘弁してください。経営が成り立たなくなります」と花當社長は再び大笑された。その笑顔、どこかのキャラクターの子豚ちゃんが笑っているようで、“とんかつ屋さんはこの人の天職ではないか”と思えてきた。


花當準二 有限会社はなと 代表者
本  社/黒部市荻生5297
事業内容/とんかつ、麺類、喫茶・軽食の専門の飲食店を展開
創  業/昭和13年(法人化/平成元年10月)
資本金/1,500万円
従業員/92名(パート含)

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