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[第20回]株式会社フォーユア アンビエント すけの  

[第20回]株式会社フォーユア アンビエント すけの
 家具販売で量販店よりは専門店を志向
 “家具の似合う家を建てる”までに

 旧国道8号線沿い、庄川に架かる高岡大橋のそばに、赤いファサードが目立つ店がある。店の名前は、「SUKENO高岡」。平成13年(’01)2月に法人名を変えたのを機にこの店名になったが、「家具のすけの」といったほうがピンと来る方が多いかもしれない。
  昭和25年(’50)の創業当初は雑貨卸をし、42年に当地に店を構えた時から家具・インテリアの小売に乗り出した。ちょうど団塊の世代が結婚の時期を迎え、またそれに続く新築ブームで家具は飛ぶように売れ、当時としては珍しかった郊外型の同店は、大量仕入れ・大量販売の先駆け的な存在であった。

「ある意味ニッチな市場を狙う」

 ところがオイルショックで消費熱は一挙に冷え込んだ。今日の言葉でいうバブル崩壊が起こり、小売業界では活路を求めて店舗の大型化、量販店化を模索。自動車の普及が追い風となって郊外型にも拍車がかかり、家具小売業もこの流れに巻き込まれたのであった。
  その状況は今日も続いており、それを如実に物語るのが「商業統計表」に現われた数字である。手元にある同資料をみると、昭和63年(’88)には全国で2万5,895店あった家具小売店が、平成14年(’02)には1万2,892店と半減。一方、店舗面積は666万5,000㎡から631万6,000㎡と5%強のマイナスに止まっている。この間、商店街にあった家具店は徐々に見かけなくなった。もともと広いスペースを要する業態であるが、量販店化して展示・在庫点数を多くしようとすると店舗は大きくなり、それにともなって郊外店が増えてきたといえるだろう。
  しかしながら今回訪問した「SUKENO」は、店舗数は3店に増えたものの量販店ではなく専門店を志向。最終的には高級輸入家具に特化し、また時代背景に合わせて業務内容を変えて、店の勢いを保ってきたのであった。
  助野忠夫社長が振り返っていう。
 「量販店を目指すことは、選択肢のひとつとしてはあったでしょう。でもそれでは安売り競争になって、いずれ行き詰ると思いました。当社としては何百億円の売上げを立てることが目標ではなく、会社を運営していく売上げがあったらいい。ある意味ニッチな市場を狙い、そこで確実に商売をしていこう。そう思ったわけです」



家具に合わせてリフォーム

「SUKENO高岡」のショールームに展示されているバス。こんなのを見ると、編集子はまた心をときめかせました。
 同社が輸入家具を扱い始めたのは、昭和52年(’77)のこと。システムキッチンやシステム収納も展示し、後に徐々にアイテムを増やしていく。そして平成4年(’92)からは、ヨーロッパから直接、家具を輸入するようになった。
 洒落た家具があることで「家具のすけの」はすぐに評判になり、編集子も学生のころから何度もショールームの見学に行った。そして “将来、こんな家具のある家に住みたい”と心をときめかせたものだ。ただ、ちょっと値段が高く、また日本の家に合うのだろうかと疑問を持ったような記憶がある。
そのあたりを助野社長にうかがうと、「本場の家具ですから作りはしっかりし、デザインもいいのですが、値段がネックになって、最初のうち家具はあまり売れませんでした。でもシステムキッチンやシステム収納は、その便利さから高額でも受け入れられる土壌があったのです」と答えが返ってきた。
お客様(後ろ姿)に家具の選び方をコーディネートする同社のスタッフ。
 そこで、お客様からは“販売だけでなく施工も…”と要望が出てくるようになり、営業品目の中にリフォームを追加。といっても単なる取り付け工事ではなく、お客様のライフスタイルに合わせ、什器や部屋の使い勝手を最大限に活かす工夫を盛り込んだリフォーム。極端な言い方をすると、“お客様の暮らし方と家具に合わせて家を改築する”ようなものであった。


IT化で店舗の制約をカバーした

 同社が2店舗目を構えたのは、平成11年(’99)である。場所は東京・目黒、都立大(当時)の近くのビルの1、2階で、周辺にはブティックなどが建ち並ぶ好立地であった。
 県内での輸入家具の需要に限界があるのはわかる。でもなぜ、東京なのか。東京はマーケットが大きく、可能性も大きいが、家具小売業は広いスペースを要するため、場合によってはテナント料が負担になるのではないか、という疑問が湧いてくる。
 「インターネットが、その制約をカバーしてくれました。ホームページ上に、約3,000点のヨーロッパの家具やインテリアを紹介し、在庫していない商品については、ご注文をいただいてから輸入するようにしたのです。ちょうどインターネットが一般にも普及し始めた時で、店頭の商品と併せて見ていただくことで、結構、ご注文をいただきました。また家具選びをコーディネートする際には、お客様の部屋をパソコンで図面化し、“このソファーを入れたらこうなる”とパースを描いてご提案するのが簡単にできるようになり、これも販促の大きな力になりました」
 助野社長のこの弁は、IT化を図った賜物といえるだろう。小さなスペースと労力で大きな情報発信。ホームページは、紙のカタログと違って更新(改訂)が容易で、費用も少なくて済む。またIT化で在庫をリアルタイムで把握できるようになったことも、効率的な経営に役立ったようだ。
バス・サニタリーのトップブランド、AGAPE(アガペ)を中心に、リフォーム、キッチン、家具など住空間をトータルに提案する「SUKENO東京」。


世界のトップブランドを扱うように

「MINOTTI」は世界50カ国で愛用されているインテリアのトップブランド。同社では、日本初のショップを’05年11月に南青山にオープンした。
 東京ではこのあと2つの店をオープンしたが、移転にともなって統合するなどして現在は「SUKENO東京」と「MINOTTI」(ミノッティ)の2店舗。いずれも南青山に店を構えている。「SUKENO東京」ではアガペ社(本社イタリア)のバス・サニタリーを中心に、キッチンや家具など住空間をトータルに提案。また「MINOTTI」ではミノッティ社(本社イタリア)のソファーを中心にインテリアを紹介。両社とも世界的に人気のあるトップブランドである。
 「初めのうちは比較的リーズナブルな輸入家具も扱っていました。でも、量販店も徐々に質のいいものを扱うようになり、またヨーロッパの売れ筋の家具のコピー商品も氾濫するようになりました。最終的にブランド品に絞ったのは、差別化を図るためです」と助野社長はその背景を語り、「高級化すればマーケットが小さく、見えにくくなるため、高級住宅を手掛ける設計事務所やハウスメーカーなどにセールスプロモーションをかけるようになりました」と続けた。
 小売店の販売スタイルに卸の要素を加えたといえるだろう。また同社は、平成13 年(’01)からはハウジング部門を立ち上げ、住宅建築も営業品目に追加。平たくいうと、“高級家具の似合う家をつくろう”というのだ。



新築住宅は家具と人が入って完成するもの

「家具は住み心地を演出するための大事な要素です」と強調する助野忠夫社長。
  「長年、家具を販売してきて思うのは、ライフスタイルがこれだけ変わっているのに、家の設計は従来のままというのが多い。図面の中ではソファーを置くようになっていても、よく見ると奥行きが70cmだったりする。このスペースで置けるのはせいぜいクッションです。新しく家を建てる場合、家具を入れて施主さんが住み始めて完成と言えるのに、多くの場合そこまで配慮されていません。だから、せっかく家を新築しても、不便な生活をしなければならないことが多いのです」
  助野社長は熱い思いを交えながらハウジングを始めた動機を語るが、家具の販売では商品のブランド化を進め、またリフォームを手がけた背景などを考え合わせると、“商機のにおいをかぐのがうまい”と、感心した。
  何はともあれ、一度ショールームを見学されることをオススメしたい。幸せな夢がいっぱい詰まっており、家具で生活が変わることが実感できる。




助野忠夫 株式会社フォーユア アンビエント すけの代表取締役
本  社/高岡市三女子127
事業内容/家具・インテリア等の販売、住宅建築・増改築
設  立/1960年7月(創業1950年) 資本金/1,000万円 従業員/40名
SUKENO http://www.sukeno.com/    Minotti http://www.minotti.jp/

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