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[第18回]株式会社 牛島屋  

[第18回]株式会社 牛島屋
きもの小売業は成長産業です
きものの魅力を語り継ぎたい

右の写真をご覧ください。やっぱり女の子ですね。振り袖を羽織って、とっても、うれしそう。
  この写真は、今回の取材先、呉服販売の牛島屋の常設展示場「舞夢館」を案内していただいた時のワンカット。見学されていたお客様に「袖を通してみますか」と武内保衞社長がうながされた。お気に入りの一着を羽織ると、彼女はこぼれんばかりの笑みを浮かべ、「至福の時です」と一言。色鮮やかなこの着物は森英恵さんがデザインされたもので、お嬢様方の目にとまることが多いようだ。   さて、呉服屋さんというと、商店街やデパートなどで店を構え、ホテル等で展示会などを催しているのが一般的な販売のスタイル。同社のように常設展示場を構えているケースは極めて珍しい。業界の常識からすれば“異端”のようでもあるが、きもの離れがいわれて久しい中での同社の“元気維持”の工夫をうかがってみた。

婦人きものの購入は20年に1枚

「ホテル等店外でのきものの展示販売は昭和60年前後から盛んになり、当社はその先駆けの1社です。呉服屋は“待ちの商売”の典型ですが、店頭一辺倒では限界が見えていました。それで店外での展示販売を企画し、それを発展させて常設展示場を構えたのです」
  武内社長はそう振り返るが、売上げの回復を図って企画した店外での展示会・販売方法も、当初は受け入れられなかったようだ。違和感を抱いて、店を辞める従業員もいたという。
  きものの小売市場は年々減少している。「家計調査年報」(総務省)をさかのぼってみると、昭和45年には1世帯当たり年間0.451枚の婦人用きものが買われていたものの、平成16年は0.049枚と約10分の1に減少。1世帯当たり2年で1枚買われていた婦人きものが、35年経った今日では20年に1枚しか買われていないことになる。
  これに歩調を合わせて、きもの小売店も著しく減少してきた。「商業統計表」(経済産業省)によると、元号が平成に代わったころは、全国に3万を超える店があったが、平成14年には1万7000店余りまで減少。同期間の年間販売額は2兆円超から、1兆円を下回るまでになってしまった。


「努力の差が出るから不景気は好き」

 業界人にとっては、ため息しかで出ないような状況であるが、武内社長からはそんな様子は微塵も感じられない。というより、ご本人は「確かに業界全体は不景気ですが、廃業・閉店される店はあっても新規参入はありません。また、成人式などで毎年必ず新しい需要が生まれてきます。そう考えると、きもの小売業は成長産業といってもいい」と穏やかに語る。そして「努力の差が現われるから、不景気は好きです」と付け加えられた。
  その努力のひとつが前述の催事による販売スタイルの導入であり、常設展示場をオープンしたことである。また富山市中央通りの本店では、2階にカフェを設けて代々伝わる美術品や蔵書を披露。3階は多目的スペースにしている。さらには社長夫人の紅荷子さんは、着付け教室を開いて和装の魅力を伝えている。
  いずれの企画も、一般消費者ときもの、お客様と牛島屋の距離を近くするためのものといえるだろう。「若い人にも気軽に店に立ち寄ってもらって、ファッションとしてのきものの魅力に触れてほしい」という武内社長の思いが形になったものだ。こうした「努力」の結果、市場が冷え込んでいるにも関わらず、同社はここ数年、毎年十数億円の売上げを達成し、業種別売上高では県内のトップ企業として名前が挙げられている。(帝国データバンク調べ)



正札販売は信用第一

舞夢館の2階、3階。留袖、訪問着、振り袖などが所狭しと展示されている。
同社の堅調な経営の背景には、正札販売の方針が一因としてあるといえるだろう。高額商品の販売では、“あなただけ特別に…”と商談の途中で営業マンがささやく例が見受けられるが、ここの営業マンは値引きの話はしない。
  この正札販売の原則は、牛島屋7代目・宗七氏の時に確立されたようだ。店に伝わる話によると、明治時代に6代目が保証人を引き受けたばかりに借金の肩代わりをして、深刻な経営危機を招いてしまった。苦しい状況の中で後を継いだ7代目は、正札販売を取り入れて店を再建したという。
9代目の現社長に正札販売の真意をうかがうと「お客様からの信用」と答が返ってきた。氏が語るところを要約すると、値引きするお客様としないお客様がいたり、お客様によって値引きの幅が違うことは、お客様を差別することになり、ひいてはお客様の信用を失いかねない。また極端に値引きした場合は、通常の価格は何なのかと疑問を抱かれかねない、というのである。
「ですから私どもでは、店としてお安くできるギリギリの線で価格をご提示しています。高岡や魚津に出店した時、『なぜ値引きしないのか』とお客様から何度も尋ねられましたが、そのうちに正札価格そのものが安くなっていることに気づいていただきました。また、お客様によって差別していないことをご理解いただき、それが信用につながったようです」と結ばれた。

全国の組合の理事長に

6階のラウンジで開催されていた社内研修会。展示会が近くなると、社員に、接客や商品についての研修が徹底的に行われる。
冷えきったきもの市場にあって、同社が健闘している様子を伝えてきた。催事による販売方法は今では当たり前となり、常設展示場を設けての販売も、何社か追随するようになった。
  取材中、終始穏やかに話される武内社長は、比較的元気な自社のことを話されるにしても、淡々と語り、誇張を交えない。そんな人柄を見込まれたのであろうか。同氏は、全国呉服専門店協同組合の理事長に推され、この6月に就任。このポストには、従来は大都市圏の大きな呉服屋さんの社長が就いていたが、業界全体の元気回復を図ろうと武内社長が推薦されたようだ。
  理事長就任にあたっての抱負をうかがうと「全国の呉服専門店が元気を出して、きものの魅力が語れるようにしたい。そのためには、それぞれの店の経営の安定化を図らなければなりません。このままでは呉服屋の数は最盛期の3分の1になってしまうでしょうが、経営のノウハウなどの情報交換を活発にし、組合員の生き残りのお手伝いをしたいと思います。また、後継者の教育にも力を入れ、全国で後継者育成ネットワークをつくり、全国のお店の子弟を受け入れて商売の勉強をしていただきたい」と力説。これまでにも7名の研修生を受け入れた同社であるが、組合有志とも連携し将来の経営者を育てることを目標にしているという。
  生き残りをかけて、激しい競争が繰り広げられるきもの小売業界。牛島屋では、新たな出店地も検討しているというから、本当に不景気を楽しんでいるようだ。


武内保衞 株式会社牛島屋代表者
本  社/富山市中央通り1-6-9
事業内容/呉服、宝飾の販売
設  立/1950年10月(創業1848年)
資本金/1,000万円
従業員/55名(パート含)



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