さらに大きなプレッシャーとなったのは、M社長の店舗運営のノウハウである。同氏の店では、業界のトップメーカーから商品を直接仕入れ、それをリーズナブルな価格で販売。今でこそメーカー直というのも珍しくはないが、M社長の店では当時既にそのスタイルを確立していた。
「ノウハウは教えるから…」の約束通り、M社長は石橋社長を伴ってメーカー回りをしてくれたのだが、取り引きに応じてくれたのは30社あまり。“取り引きは問屋・代理店を通して”という商習慣が厚くて高い壁となった。
従って、創業当時の商品構成は片寄ったものになり、「一部の商品は御大(M社長のこと)の店から仕入れたけど、店はスカスカだった」(石橋社長)という。M社長は、問屋・代理店経由で商品を仕入れて、商品構成を増やすことを許さなかったのである。
また、メーカー直の取り引きができたといっても、扱うロットは大きい。始めたばかりの店が、見込みだけで1年分あるいはそれ以上の在庫を抱えるのはリスクが大きく、そのため石橋社長は「御大の店から小ロットで仕入れさせてほしい」と泣きつくように何度も頼んだ。
しかし答はいつも同じで、単純そのもの。「在庫がいっぱいあるんなら、売ってきたらいい。メーカー最小ロットでも数が多すぎるのなら、交渉して少なくしてもらえばいい」。人もうらやむ形で若くして創業できた石橋社長であるが、通常とは違う“重荷”を背負ってのスタートであった。
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