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とやま産学官金交流会2011  

「次世代成長産業を支えるオープンイノベーション
―産学官金連携の一層の深化を目指して―」
新興国の台頭、グローバル化など世界経済の環境は厳しさを増す一方で、そこに東日本大震災やタイの洪水がわが国に深刻な影響を与えることになりました。こうした中、次世代産業の振興がますます求められています。今回の交流会ではそこに焦点を当て、基調講演、分科会、ポスターセッションを行いました。基調講演では、グローバル化を見据えた人材育成などについてお話いただきましたが、その概要をお知らせします。


基調講演
「人を軸にした経営とグローバル化」
テルモ株式会社 名誉会長  和地 孝 氏

 皆様こんにちは。テルモの和地です。今日はお招きいただき、光栄に思っております。
 私は、医療機器メーカーの社長・会長として、産学官連携を行ってきました。今日はその事例を紹介するより、むしろ基本である、人材の育て方、どうしたら人間を軸とした経営ができるかという、私が現場でやってきたことをお話しした方が、皆様のお役に立つのではなかと思いますので、そういう観点でお話します。併せて、グローバル化への対応についてもお話させていただきます。
 皆さんが見慣れた世界地図では、日本は真ん中あります。ではヨーロッパの世界地図では、日本はどこにあるか。極東、地図では右端です。オーストラリアの世界地図は、北半球と南半球が逆さまになっています。私がスカンジナビア航空に乗った時に機内で見た世界地図は、スカンジナビア半島が中心で、ここでも日本は端にありました。
 資源も乏しい、端っこの島国の日本がなぜ、先進国と経済的に伍していけるのか。またキリスト教国でもないのに、なぜサミットに早くから加わることができたのか。結論をいうと、日本人は平準的に優れているからです。私どもが海外展開しているある国では、4~5歳で2桁の暗算ができる地域がある一方で、レストランで料理の注文をしても、店員は2品以上覚えられない地域もあります。
 日本の一番の強みは人、人材です。そこで人を軸とした経営が求められるのではないか。その基本は、「人はコストではなく資産だ」ということ。私は常々そういっています。そしてこの考えは、海外にも通じると最近つくづく思っています。
 実は私は社長を9年、会長を7年、計16年経営トップを務めました。この間の経験を交えながら、人を軸とした経営についてお話します。


社長就任時の3つの決意を公表

 私も人間ですから、弱い面を持っています。そこで社長になった時、3つの決意を社内外に公表しました。なぜ公表したかというと、迷ったり、逃げたくなるからです。決意の1番目は、「最も難しい仕事は、トップが自らやる」。とかく不祥事が起きると、トップは逃げがちです。トップといえども人間ですからわからないではありませんが、トップが逃げたのでは部下はついてきません。そこで、そう宣言しました。2番目は「選択に迷ったら、難しい方を選ぶ」。経営にはいろいろ判断が求められます。例えば選択肢Aには問題があまりないように見え、一方Bを選んだ場合は、問題だらけに見える時がある。そこでAを選ぶと、意外と問題が次々と出てくる。ところが問題山積のBの方を選択すると、問題が最初からわかっているからか覚悟ができ、その上でいい解決法を模索する。Bの方が成功の確率が高いことを何度も経験してきました。そこで私は、「選択に迷ったら、難しい方を選ぶ」ことにして、テルモの窮地を救ってきました。
 3番目は、「時流に流されず、自流でやる」。マスコミや風評などの時流に流されないで、自分の頭で考えて、自流でやる、ということです。この考えの背景には、私の経験があります。私は戦前生まれで、小学校の4年生の時に終戦になりました。一日で価値観が180度変わったのです。昨日まで誉められたことが、今日は叱られる。小学校4年生としてはショックでした。価値観は常に変わることを経験したのです。


一番の危機は、誰も危機感を持たなかったこと

 さてここで、テルモという会社を紹介しましょう。創立は1921年、大正10年。今年90周年を迎えました。北里柴三郎博士をはじめ、国内の医学者らが発起人となり、創業しました。なぜドクターが会社をつくったのか。第一次世界大戦まで、日本の体温計はほとんどドイツから輸入されていました。ところが戦争により輸入が途絶えたので、北里博士らが「それなら国産でいい体温計をつくろう」と立ち上がったのです。それが当社の始まりです。テルモは、体温計を意味するドイツ語thermometerからとりました。
 体温計から始まった会社ですが、1960年代の終わりから70年代にかけて、使いきりの注射器を開発しました。昨今、注射器が一人ひとり違うのは当たり前になっていますが、私が子どもの頃には、1クラス40~50人の予防注射を1本の注射器で済ませた、ということもありました。「もったいない」ということで、使いきり注射器はなかなか普及しなかったのですが、10年かけて医療現場の意識を変えて、今では当たり前のことになっています。普及が遅れていたら、肝炎の患者数はもっと多かったかもしれません。
 その後、ガイドワイヤー、バルーンカテーテル、予め薬剤を充填した注射器、脳動脈瘤治療用コイル、左心補助人工心臓などを送り出しました。左心補助人工心臓の開発・普及には16年もかかり、今や世界で冠たる製品になりました。こうした積み重ねで、テルモは総合医療機器メーカーになったのです。
 会社が、順風満帆に来たかというと、決してそうではありません。1989年から91年は、3期連続の赤字になりました。3期連続の赤字、すなわち経営危機に直面していたのです。銀行からは「危ない」といわれ、証券会社からは「潰れる」といわれました。私が社長に就任したのは1995(平成7)年です。
 どのように会社を立ち直らせようかと考えました。一番の危機は、社員の誰も危機感を持たなかったことです。前の社長が25年もトップを務めたため、社の誰よりも業務に詳しく、意見の具申ができなかった。そこで皆、指示待ち人間になってしまったのです。
 私はまず、企業風土を変えようと思いました。どんな立派な戦略・戦術を考えても、企業の風土が悪ければ、浸透しません。そこで私は、人を軸とした経営を掲げたわけです。指示待ち体質からの脱却を図り、「人はコストではなく資産だ。みんなが頑張ってくれれば、含み資産がどんどん増える。でも、さぼっていたら負債になる。人を大切にして育てる経営をするから、みんなには仕事の主役になって欲しい。一人ひとりが仕事の主役だ」と宣言しました。
 また、有言実行キャンペーンを行いました。それまでは、事業の計画づくりは熱心でしたが、実行の段階になると熱が冷めていました。そこで実行して成果を上げることをポイントにしたわけです。世界中の社員が対象です。「これをやる」と宣言させて、半年以内に実行させる。仕事のことでもいいし、仕事以外でもいい。「富士山のゴミを拾う」「マラソンで、目の不自由な人の伴走をする」のもいい。ただし、宣言したことは実行して欲しいと伝えました。8割の社員が達成しました。
 そこで有言実行した社員を、東京湾から伊豆七島を回わる、豪華客船一泊のクルージングに招待しました。部屋は、相部屋。そこに本社、営業所、工場、研究所の社員をばらばらに入れて、一晩中ディスカッションさせました。「テルモはこのままではダメになる」「変えないといけない」と。誰一人寝ずに、夜を徹して議論しました。そこで皆覚悟したわけです。いうならば、テルモ全体に火がついたのです。これは会社の75周年の事業として行い、80周年の時も実施しました。
 85周年の時、社員の皆は、今度はどの客船を使うのだろうと期待していたと思いますが、止めました。なぜ止めたかというと遊びになるからです。75周年、80周年の時は、目的意識がはっきりしていました。そこで85周年はクルージングは止めて、円覚寺で座禅を組みました。外国人の社員も一緒に。中にはヨガの心得のある外国人がいて、和尚が驚くほどきちんと座禅を組んでいました。


女性社員の一言で替えた本社の…

 「人は資産だ」という考えを浸透させるために、私は全国の現場を歩きました。当時国内だけでも4000人以上の社員がいましたが、全員と話をしました。例えば工場で、工場廃水を外へ流す時、鯉を使ってチェックしますが、そういう部署は社員1人で、工場長も課長も日ごろは行かない。そういう1人の部署にも行きました。すると、いろんなことが見えてくる。会社には縁の下の力持ちがたくさんいるのですが、社長も役員も知らない。人事部長だって知らない。しかしまわりの社員は皆知っている。「彼のお陰で、自分たちは仕事ができる」「困った時には彼に相談したらいい」と皆が尊敬している。どんな組織にも、1人や2人はいます。ところが業績表彰制度では、「オレが…、オレが…」という元気のいい人だけが出てくる。でも現場は、縁の下の力持ちに支えられていることが多い。それを経営サイドは見過ごしてはいけないと思いまして、「現場の誇り賞」を設けて他薦にしました。
 「現場をまわっている」という経営者はたくさんいますが、実はその後が大事なのです。5つの現場を歩いて、同じ問題、質問が3つ出たら、私はすぐに改革しようとします。逆に何にも意見・質問が出なくても、何を望んでいるのかを感じるようにしています。
 ある時、研究所に行くと、本社に転勤になる女性がいたので、「おめでとう」といった。すると、「全然、おめでたくありません」と返ってきた。訳を聞くと、本社の女性用トイレの設備は古く、使い勝手もよくない、という。そこで総務に「全部替えたらいい」と指示しました。しばらくして総務部長に会って、「ウォシュレットはどうした?」と聞いたら、「全員希望していましたが、予算が足りないので止めました」という。
 そこで私はいったのです。「それをやるのが総務部長の仕事だ。見積り取って、そのままやるのは仕事ではなく作業だ」と。その後1カ月ほどしたら「全部ウォシュレットにしました」と報告してきた。工事の設計を変えたり、業者さんに協力してもらって、当初の予算どおりにできたというのです。そこで私は、「君はちゃんと仕事をした」と総務部長を評価しました。
 しばらくして、研究所から本社に転勤になった女性が訪ねてきて、「八丈島に行きましたら、珍しいものがあったので、この間のお礼にお土産を買ってきました」と焼酎を持ってきてくれたのです。うれしかったですね。こういう具体的なことを重ねていくと、「社長に提案してもいいんだ」と社内の風土が変わっていくのです。
 今申し上げたような言葉を、『テルモの心』という小冊子にまとめました。全部で66項目あります。当時の世の中の風潮は、「改革、改革、なんでも変えろ」でした。でも私は、変えていいものと、変えてはいけないものを峻別する必要があると思い、『テルモの心』には変えてはいけないものを載せ、これ以外はどんどん変えようと提案しました。
 例えばこんな一文があります。「医療を通じて社会に貢献します」。これは私どもの企業理念です。これは絶対に変えない。90年の歴史の中で一度も手をつけていません。それから「人を軸にした経営」「社員はテルモの資産です」。これは先ほど申し上げた内容で、社員へ約束です。その代わり、社員の方にも義務がある。その義務を果たさないと資産には入らない、と社員側への厳しい要求も書いてあります。
 意外に注目を集め、人気投票で3番目に入ったのが「礼の心を持つ」でした。皆さんお笑いになるかもしれませんが、その中身は、“朝、おはようございますといいなさい。挨拶をしなさい。約束の時間はきちっと守りなさい。お世話になったらお礼状を書きなさい”というものです。若い人がこれに興味を持ちました。一昔前でしたら、小学生に教えた話ですが、最近は教えられていないようです。「なぜ、朝、おはようございます、というのですか」と問いかける若者がいますし、挨拶の仕方も知らない人もいます。しかしやはり、礼の心を持つことは必要だと思います。


1人もクビにしないM&A

 次に、当社のグローバル展開について紹介しましょう。世界に20の工場を展開し、日本には5つ、あとの15は海外にあります。また販売・マーケティングの拠点は、国内34、海外46の、合計80カ所にあります。医療機器には人種を超えて使える特性がありますので、ほとんどの医療機器はグローバルな商品です。従って当社では、大分前から世界展開を図ってきました。
 その過程で、M&Aも行ってきました。私は企業買収を行う際には、いくつかの基準を設けています。その1つは、自社でも事業を行っているが、スピードが間に合わない場合です。買収してスピードを上げないと、世界での競争に勝ち残れません。2つめは、自社にはない技術を持っている会社を、M&Aで買収して技術を手に入れる。そして3つめは、自前では世界3位以内に入れない場合、企業買収をしてそれを実現します。私はこの3つを、M&Aを展開する際の基準にしてきました。
 ただそこで大事なのは、「業績のいい会社を買う」「企業風土の合う会社を買う」ことです。これもM&Aを進める上での重要なポイントにしてきました。私どもには、業績の悪い会社を安く買収してきて、それを建て直す力量はありませんので、多少高くても業績のいい会社を買うことにしたのです。また企業風土の合う会社、日本的にいうと相性が合う会社です。相性の合う会社を選ぶようにしてきました。
 M&Aの具体的な事例を申し上げましょう。スコットランドのグラスゴーにバスクテック社があります。大動脈治療用のステントグラフトが得意で、非常に優れた技術を持っている。その親会社が訴訟で負けて、お金をつくるために、子会社のバスクテック社を売りに出したので、買いました。
 私は買収すると、すぐにその会社に行って社員に話しかけます。バスクテック社では、こんな話をしました。日本の戦前の小学校の唱歌には、スコットランド民謡がたくさんある。蛍の光、庭の千草、夕空晴れて…。同じ音楽に感動するから、皆さんとは心が通じるはずだ、と。すると社員の顔が一瞬で変わったのです。買収した会社の社長が、何を偉そうにいうかと思ったら、日本人が知っているスコットランド民謡の話をして、心が通じるだろう、という。全然偉そうでなく、親しみの持てるおじさんだ…という雰囲気になりました。
 バスクテック社の社長は、マイニーといいます。ドクターで、信頼できる人間だと思ったので、帰りに空港まで送ってくれた際にいいました。「業績が悪くならない限り、何も口を出さない。だから思いきってやってほしい」と。彼は感激して泣き出しました。その後10年で、バスクテック社の売上げは2.3倍になり、この会社自体がM&Aを行って、新しい会社をグループに入れています。
 とかくM&Aというと、お金の話が先に出ますが、大事なのは人間だと思います。私が行ってきたM&Aでは、余計なお金は使わず、買収先の幹部には1銭も払いません。その代わり社長以下の幹部が望むのならば引き続き働いてもらって、誰もクビにしません。そこを見極めることが大切です。
 アメリカにマイクロベンション社という、脳のカテーテルでは優れた技術を持っている会社があります。この会社は、買収先を探していました。インターネットで調べたら、テルモは人を大切にするといっている。しかし嘘かもしれない。そこで懸命に調べて、先にテルモのグループに入ったバスクテック社のマイニーに電話したのです。1時間46分話して、マイニーは「嘘ではない。本当だ」と答えたそうで、それで一気にM&Aの話が進みました。マイクロベンション社の売上げは、5年で4.5倍になり、テルモの若い社員を送って教育してもらっているほどです。


やる気のある若者に修羅場をくぐらせる

 私どもテルモでは、年に1回、経営者合宿を行っています。世界中のグループ企業のトップを集めての合宿ですが、ある時『テルモの心』のことが、海外企業の経営者たちの耳に入りました。『テルモの心』は日本の社員向けにつくった冊子ですが、「なぜ、私たちにも見せてくれないのか」とクレームがきました。そこで英訳して各国の経営者に見せると、「もっといい給料、もっと高いポストで他社から誘われているけど、私はこの心があるからテルモに勤めているんだ。なぜもっと早く見せてくれなかったのか」とお叱りを受けました。タイ、ヨーロッパの経営者、アメリカ人のトップにも、叱られました。でも、叱られて嬉しいという、ありがたい経験をさせていただき、グローバルに展開してもベースは人だと気づかされました。
 M&Aでは、買収先の従業員のやる気を引き出してこそ、効果が出てきます。買収した後で、社員が続々と辞めることがあります。特に技術者が辞めてしまうと、何のためのM&Aだったのか、わからなくなることがある。私は相手先社員の首切りは行いませんし、一切させません。何よりまず、相手に敬意を払うことが必要です。敬意を払わないで、お金で横っ面をたたくような買収は決して成功しないものです。現地のトップから従業員を大切にすることが、これからのグローバルな経営、グローバルな人材の育成に繋がるのではないかと思います。
 では、その人をどう育てているか。私どもは非常に厳しいことをしています。海外での仕事は、まず覚悟させます。英語ができる、海外経験があるというのは、基準にはなりません。海外で仕事をしたい、どんな苦労をしてもいいと覚悟させて、自分で手を上げさせています。そして場合によっては、若い社員を1人駐在させることもあります。現地の人は何人かいても、日本人は1人だけ。チリやオーストラリアのシドニーは1人駐在の事務所です。アフリカのヨハネスブルグ、モスクワもかつてはそうでした。やる気のある若者に修羅場をくぐらせると、言葉はすぐに覚えますし、現地での仕事の仕切り方も会得するものです。
 仕事以外の話を、2時間以上できるようにすることも、非常に大事です。確かに英語ができればいいのですが、商品の話しかできないと軽蔑されます。特にヨーロッパでは、文化や歴史、哲学に関心を持っていますから、夕食会などで話を弾ませることができるよう心がけておかなければいけません。先日出たある経済誌が、“英語でもなければITでもない、これからは教養だ”と書いていました。言えて妙だと思います。
 グローバル人材育成の最後のポイントは、異文化との交流や一流のものにたくさん触れることです。今日のこの会は、産官学の交流。富山の場合は金も加えて、産学官金の交流ですが、これはものすごく大事です。同じ業界、同じ会社の中で議論しても、ほとんど進歩しません。傷のなめ合いか愚痴のいい合に終わってしまいます。しかし異なった業界の人と交わる、あるいは一流のものに接すると、あっと気づかされることがたくさんあります。その気づきが人を育てるのです。


その判断は美しいか

 最後に、私なりのまとめです。やはり企業は、社会的使命感を持たないといけません。ただ儲ければいいのではなく、志が大事だと思います。レイモンド・チャンドラーは「男は強くなければ生きられない。優しくなければ生きる価値がない」といっていますが、当社ではそれをもじって「強い経営力がなければ、経営はやっていけない。世の中の役に立たなければ存在価値がない」といっています。この2つを新入社員の時から徹底して意識させています。
 また、これは全く私の個人的な考えですが、美の価値観、美意識をもって欲しい。判断を求められる時に、好きか嫌いか、得か損か、自分なりに正しいか正しくないか…、こういう価値観で判断しがちです。でも考えてみたら、好きだったことも間もなく嫌いになる、今日は得だけど10年後には損をする…、こういう例はたくさんあります。そこで私は、美の価値観、美意識をもっていただいて、それで判断していただくことをお勧めしたい。自分がこれからすることは、美しいか美しくないか。この価値基準を持てば間違えないのではないかと思います。
 長々とお話させていただきました。皆様と交流の機会を持てましたこと、そしてご静聴いただきましたことに御礼申し上げます。ありがとうございました。

Q&A

質問者A  ヒト、モノ、金、情報、そして企業文化を経営資源といいます。その企業文化の中に日本的経営も含まれるのではないかと思う。日本的経営というと、終身雇用、年功序列、そして企業内組合。グローバル経営の中において、日本的経営のいいものは残していけるのではないかと思うが、先生のお考えをうかがいたい。

和地  グローバル経営だからといって、全部同じにするのは間違いです。同じヨーロッパでも、イタリア人と北欧の人はまったく違う。例えば、イタリア人はもっとボーナス増やして欲しい、もっと給料を上げて欲しいといいます。そして人生を楽しむのだ、と。ところがスウェーデンやデンマークの社員は、給料はほどほどでいいが、長期雇用を確保して欲しい、という。それは国の仕組みが全然違うからです。北欧は消費税が28、29%あり、給料が多少上がっても生活は変わらず、それより雇用を守ってくれた方がありがたいのです。要は、国によって文化や歴史に違いがあり、それを考慮せずに全部同じにするのは間違いです。年功序列、終身雇用、企業内組合については、日本では大事だと思いますが、硬直的に行う必要はありません。当社では、終身雇用は守っています。M&Aを行っても、一切人は切っていません。むしろ、どういうふうに人を使うかが大事なのです。企業内組合。私も一時、組合の専従だったことがあります。これは一つの知恵でしょう。そして年功序列。日本で統一基準として示すことができるのは、年功くらいしかないでしょう。実力といっても、誰がどう評価するのか難しい。ただこれを、硬直的に行う必要はないと思います。優秀な人間がいたら、年功の枠から外して上げて存分に仕事をしてもらうことを、私は何度も行いました。基本を守りつつも、柔軟に対応していくことが必要でしょう。

質問者B  人材育成についてうかがいます。会社の中での、グローバルな人材育成については、いくつかお話がありました。では学校教育の中で若者をいかに育てるかについて、お考えをお聞かせください。

和地  ある新聞で教育改革について書いたこともありますが、ここで一言、二言いって問題が解決するわけではありません。ただ、私なりに大事だと思っていることが二つあります。その第一は、先生を尊敬される存在にする、ということです。ご存じでしょうが、イギリスではその年で一番いい先生を、女王陛下が誉めて表彰します。先生の批判ばかりしていても何も始まりませんし、モンスターペアレンツが闊歩(かっぽ)するだけです。二つ目は、会場の皆さんのような企業でいろんな苦労された方に、「子どもを育てよう」という気になっていただくことです。かつての寺子屋では、江戸末期の先生は武士が多くなりましたが、それ以前は、いろいろ経験を積んだ大人が、子育て・教育にかかわっていました。そういう視点が大事だと思います。

作成日2012.02.15
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