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第30回 株式会社グローカル・ネットワーク  
第30回 株式会社グローカル・ネットワーク
新しいビジネスモデルで屋台村運営
商店街活性化に公的支援も一役

「最近また屋台村が注目されて、いくつもの市町村から出店オファーがきています」と岡野社長。独立店を輩出した屋台村の運営の仕方が注目されている。
 「酒問屋である日本海酒販のお客様は、町の酒屋さんです。酒屋さんを回って、お酒の注文をいただいてくるのが我々の仕事。酒屋さんの先には、飲食店がある。当社から見たら孫お得意様に当たりますが、酒屋さん回りだけでは注文が増えないので、屋台村を通して飲食店を育て、自社でお客様を増やすことを考えました。格好よくいうと顧客創造です」
 時代は、昭和から平成に代わって間もない頃のこと。あるビールメーカーが広島で屋台村の支援を始め、飲食店を育てて独立開業をサポートするようになった。メーカーの特約店であった日本海酒販は、屋台村運営のノウハウを導入して富山でも試してみようと動き出した。冒頭のコメントは、当時を振り返っての岡野確治社長の弁であるが、同社では屋台村の運営管理会社としてグローカル・ネットワークを立ち上げた。
 屋台村……。飲食業による独立開業希望者に、維持費の安い屋台村で経験を積ませ、固定客と開業資金を確保させて独立させる事業スキーム。平たくいうと、飲食店・居酒屋のチャレンジショップだ。
 その始まりには諸説あり、そのひとつの広島発祥説によると、1989(平成元)年、広島のある企業がミニ屋台の集合体で事業を始め、翌年「やたい村」と命名。以来それが進化し、地域興しや商店街活性化を目指して全国各地に屋台村が現れ、’92年から’93年にかけては一種のブームにもなった。

コンビニの運営スタイルを導入

 グローカル・ネットワークが富山市一番町(現在の総曲輪フェリオあたり)に屋台村1号店「人情屋台西町村」をオープンしたのは、ブーム真っ盛りの’92(平成4)年のこと。続く2号店「となみ人情屋台村」は’97(同9)年に砺波駅前に開いた。ともにテナント数は8店。基本的には3年で卒業(独立して自分の店を構える)の契約となっているが、お店の事情も考慮して延長も認めるようにしてきた。
 「屋台村は雨後の筍(たけのこ)のように各地に現れ、富山でも、私どもの他にいくつもできました。しかしそのほとんどが行き詰まって閉鎖し、また期待されたほど独立開業に結びつかなかったようです。全国的に見ても、長く残っているのは私どもの屋台村など数えるほどですが、当社では屋台のお店がつぶれない工夫をしました」(岡野社長)
 その工夫とは、コンビニエンスストアのフランチャイズ本部と各お店の関係を導入したこと。本部では、各店のお金・商品の流れ等などバックヤードに関することはすべて把握・管理し、各店には、迅速な商品の補充や接客態度向上、清掃の徹底、すなわちお客様と真直ぐに向き合うよう指導してきた。それを屋台村本部と各屋台に導入したわけだ。
 屋台村での実際に照らしていうと、日々の売上げはすべて銀行に預ける。一部現金決済の仕入れは別として、食材や備品の仕入れ、水道光熱費は本部がすべて管理し、売上げの中から決済。さらにはテナント料やロイヤリティーなども売上げから差し引き、必要経費を引いた残りを「これが貴方の儲けですよ」と渡すシステムだ。
 このシステムでは、各屋台へ商品を卸している業者が安心できる。また屋台のオーナーも、仕入れ等の精算が済んでいないにもかかわらず、日々の売上げを収入と勘違いし、そのお金を他に流用(悪いケースでは賭博、投資など)することがなくなる。
 また屋台の経営状態が損益分岐点を割ると、商品(味)、接客姿勢、店の清潔度などに問題のあるケースがあり、その場合はコンサルタントの指導を受け、改善を義務づけるようにもしたのであった。
 「こうしてやっていくと、3~4年で1,000万円程度貯めることができる」(岡野社長)そうで、それを元手に独立開業していったお店が、富山・砺波合わせて十数店あるという。
砺波駅前のビル1階にある「砺波人情屋台村」。付近の居酒屋より繁盛している様子。


復活店が軌道に乗れば多店舗展開の可能性も…

総曲輪フェリオの近くにある「そうがわ屋台横丁」。ここのファンは「2,000円あれば、十分に味わえる」とご満悦でした。
 人情屋台西町村は、商店街の再開発(総曲輪フェリオ)により、残念ながら幕を下ろした(2005年)。それから5年、全国の屋台村が次々行き詰まって撤退していく中で、となみ人情屋台村は孤軍奮闘し、俄然、注目を浴びるようになった。
 「飲食店の創業支援という意味では、当グループの使命は終わったと思い、一時は撤退も考えました。ところが商店街や自治体から熱い要望をいただき、富山市で屋台村を復活させることにした」(岡野社長)のだそうだ。
 富山市での復活オープンは2011年3月。その前年には、屋台村の今後の事業計画を策定するために、中小企業支援センターの専門家派遣制度を利用して指導を仰いだ。また同社の屋台村の運営のあり方(酒問屋の日本海酒販、屋台村運営管理のグローカル・ネットワーク、厨房機器メーカー、飲食店創業を目指す屋台オーナーなどの協力関係)が、新しいビジネスモデルとして新連携(所管/中小企業基盤整備機構)の支援対象になる可能性があったので、中小企業応援センターの専門家の応援も受けて、事業計画のブラッシュアップも図った。
 残念ながら、新連携の認定には至らなかった。しかし、飲食店の専門のコンサルタントや公的な産業支援機関との密なるネットワークが副産物として生まれ、また富山市総曲輪に暖簾(のれん)を出した「そうがわ屋台横丁」は、多店舗展開も視野に入れた復活店として、北陸3県の市町村から熱い眼差しで見つめられることとなった。

 所在地/高岡市荻布177-1
 代表者/岡野 確治
 資本金/2,000万円
 従業員/1名
 事 業/居酒屋屋台村の運営・管理
 TEL/0766-21-2424
 FAX/0766-28-5244

作成日2011.12.5
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